2011年3月26日土曜日

Tangled



気が滅入る話題が多いですが。こんなときだけど観に行きました。前半ネタバレなし、後半ネタバレありで感想書きます。
冒険あり、アクションあり、ロマンスありの良い意味でベタベタなディズニー映画だった。そして泣かせるシーンでもれなく泣くワタシ。ヒロイン、ヒーローの顔が気に食わないと言う方もご安心を。だんだんヒロインが愛らしく、ヒーローが頼もしく見えてくる不思議。

3Dは高いから2Dでいいや、アニメだし。」と思って観に行ったが、あいにく字幕版が3Dでしかやってなくて、渋々2200円払って鑑賞した。いや〜、2200円の価値はあったわ。でも3D映像しか誉めるところがない「アバター」とかと違って、「塔の上のラプンツェル」は2Dで観てもその良さがほとんど損なわれないと思う。

本当に素晴らしかった。「塔の中のラプンツェル」は私の中で「ノートルダムの鐘」に並ぶ、最も好きなディズニー映画になった。まあ一番好きな作品が「ノートルダムの鐘」というのもなかなか異端だけどね。監禁虐待モノが好きなのかもしれん。
あとディズニー映画は基本的に「山場を超えたら大団円で終わる」って感じなんだけど、例えば美女と野獣、ポカホンタス、ムーランなどはその山場があっさりしてるんだよな。あれ、もう終わり?って思っちゃう。いや、それでも好きだけどね。その点「塔の上のラプンツェル」はその山場が申し分なく絶望的な状況だった。なので見終わった後の満腹感が違う。

原作のグリム童話は知らずに観に行った。「悪い魔女に閉じ込められた少女が、長い髪を利用して男を連れ込む話」というくらいの認識はあったけど。で、今感想を書くにあたってささっとググって読んでみたが、その認識が改まることはなかった。そういう意味では、ディズニーの「塔の上のラプンツェル」の方が余程童話っぽい。黄金の花も髪に宿る魔法も映画オリジナルだとは思わなかった。いや、白雪姫も眠り姫も私の中での「原作」は原作よりもむしろディズニーなので、今回の「ラプンツェル」も1020年と経つうちに原作よりも原作として浸透するんではなかろうか。

セル画じゃないのが不安だったが、キャラクターの体温まで感じられそうな生き生きとした動きはCGでも健在だった。それからあちこちで言われているけれど、髪の毛の表現がすごい。さすが「ラプンツェルの髪チーム」を組織しただけのことはある。ランタン祭りのシーンはディズニーの歴史に残るラブシーンになるだろうし、母ゴーテルの老化と若返りの微妙な変化とか、とにかく本当に素晴らしかった。

あと、これもディズニー映画ではいつものことだけど、脇役や動物たちがいい味出しすぎ。馬のマックスにカメレオンのパスカル、食堂のならず者たち。ならず者たちの歌の中で、ラプンツェルが紅一点惜しげもなくミュージカル声を披露するところなんかもうね。
そうそう、音楽がアラン・メンケンとあって、安心の神曲ぞろいだった。もうのっけから泣く。これは泣く。

いや〜、ミュージカル声のビブラートってハートに共鳴するよね。そしてこんなにも明るく知的でオールマイティーで好奇心の固まりみたいな女の子が、最後に「私もう大人だもの、お母様も(塔の外へ)行かせてくださるわ・・・」なんて歌ったら泣くしかないだろ。やっぱ「ここから出して」系に弱いんだな自分。リトルマーメイドの「Part of the world」しかり、ノートルダムの「Out there」しかり。「外に出る」というモチーフ自体、ディズニーの一つの典型なのかも。

母と娘の、心理学の教科書にありそうな機能不全・共依存っぷりを、グロテスクなテーマにも関わらずディズニーなりに描き切っていたのが良かった。今回の悪役は女なんだが、今までの作品違って魔女ではない。だけど言葉で娘を縛る。外は恐ろしい、あなたはか弱い、私は何でも知っている、だから私のもとにいなさい。こういう呪文で子どもの自立を阻む親ってのは現実にいるからね。母ゴーテルの歌唱力ヤバい。これじゃあ洗脳されるわ(笑)。で、そういう精神的虐待を受けて育ったラプンツェルが母の目を盗んで外へ飛び出すわけだが、旅路での情緒不安定っぷりがリアル。「外はなんて素晴らしいのかしら!」「私はなんて悪い娘なんだろう」「二度と塔には戻らないわ!」「塔を出なければ良かった」という躁鬱状態をコミカルに表現していた。日本語タイトルはグリム童話でおなじみの「塔の上のラプンツェル」だけど、英語では「Tangled(もつれた、からみついた)」になってるのも示唆に富んでるね。

ひとつ文句をつけるとすれば、そういう母娘の確執が物語終盤ではかなり端折られていたことかな。意地悪い女ではあるけど、ゴーテルが18年間娘を大事に大事に育ててきたのも事実なんだよね。娘に本を与えたのも絵の具を与えたのも家事を躾けたのもゴーテル。塔の上に監禁し続けたのは魔法を独り占めしたいという欲と娘を独り占めしたいという愛がごっちゃになってたからだと思う。序盤は「娘への愛」もちゃんと描かれていたと思うんだけど、終盤では魔法欲しさに騙して閉じ込め続けた、ただの強欲ババアにシフトしていたのが残念。またラプンツェルも真実を知るやあっさり母を見限るのがちょっとリアリティに欠ける。なまじ最初の躁鬱状態が丁寧に描かれていただけに。まあそのときにはフリンとの出会いを通じてかなり母から自立していた、という解釈も出来るだろうけど、それならなおさら18年間育ててくれた母の顔と王女を誘拐し監禁し続けたババアの顔との間で葛藤があっても良いんではないかい?世間を知らないくせに、駆け引き上手で人心掌握術に長けているラプンツェルは、絶対ゴーテルから良い教育受けてる(笑)

ここまでネタバレなし。のつもり(ちょっと漏れてる気もするが)。
ここからネタバレ自重しない。

ディズニーのお決まりイベント、「魔女と王子の戦い」をあんな風に描いたことに感動した。まあ勘のいい人なら「ディズニーがラプンツェルを映画化!」と聞いた段階で察しがつくくらいお約束なんだけれども。
ゴーテルは魔女ではない。そりゃ若返りを繰り返して何百年も生きてきた妖怪ババアではあるけど、それって本人じゃなくて「黄金の花」の魔法だし、他の人間も同じようにすれば不老不死にはなれるんだよね。ババア目線で見れば、大事にしてきた黄金の花を別の女に根こそぎ奪われたんであって、ある意味可哀想。初めから乳児誘拐を企てたわけじゃなくて、髪をたった一房いただこうとしただけだったし。例えば自分や自分の子どもが心臓移植を待ってる患者だとして、やっと順番が来たと思ったら権力者に横取りされたとする。そしたら呪うよ。殺してでも奪い取りたいよ。ゴーテルもそんな心境だったんじゃなかろうか。

ラプンツェルの誕生日も正直に教えてるし。悪漢らを止めたのも、「作戦」というより娘のたった一つの夢、「ランタン祭りを間近で見ること」を実現させたかったからじゃないだろうか。酒場のシーンはそういう伏線だとも解釈できる。やっぱりゴーテルはラプンツェルを愛していたと思うんだなー。間違った方法だったけど。

そういうただの人間・・・か弱い老婆に対して若く力強い男が剣やら拳やらを振るっちゃいかん。で王子はどうやって魔女を倒したかというと、老婆にはいっさい暴力を振るわず、諸悪の根源である「愛する女性の髪」をばっさり切ったんだな。

魔女が龍とかに変身して王子が死闘の末姫を救う、というモノを期待していた人にはいささかがっかりだったかもしれない。でもフリンの大立ち回りは他にあるからいいじゃん。私はそこで涙腺切れたよ。あまりのことにコンタクトがずれ、一時的に2D映画となってしまったのが惜しい。まあすぐ直ったけど。

髪を切れば解放される。そんな簡単に解けてしまう呪いに、娘は18年も囚われていた。母が必死に守り続けていたのは、あまりにも小さな秘密だった。娘もババアも哀れ。

フリンがラプンツェルの髪を切ったということは、魔法よりも金よりも自分の命よりも彼女を愛してたってことなんだよね。王子は愛によって姫を救い出したし、姫は愛によって奇跡を起こしたわけだ。これ以上ベタなディズニー映画があろうか(反語)。王子様(あるいはお姫様)が恋人の呪いを解くのは往年のディズニーではよくあるテーマだけど、今回は最も断ち易く、同時に断ち難い呪いだと思う。


そしてディズニーだからこそ許される大団円。髪を切ったラプンツェルが本当の母親そっくりのブラウンヘアーになるのもまた心憎い。久々に気持ちよく泣けた映画でした。

0 件のコメント:

VPS