2011年2月24日木曜日

タモリ式入浴法

10月くらいから『タモリ式入浴法』を続けている。


ボディソープ等で体を洗わず、湯船に10分以上ゆっくり浸かる、というもの。


なぜタモリ式かというと、タモさんがこの方法で入浴していると『いいとも』で言っていたかららしい。

私は番組は見ていないけれど、mixiニュースで紹介されていたので、やってみた。


体の表面の皮脂・汗・汚れはお湯に浸かるだけで充分落とせるし、石鹸でごしごしこすると皮膚に余計な刺激を与えてしまったり、保湿に必要な油分まで落としてしまうので乾燥が酷くなってしまうらしい。


まあ汗まみれ泥まみれ血まみれで仕事をする人ならいざ知らず、インドアでほとんど運動せずに過ごす人にとっては『タモリ式』で充分、というのにもそれなりに説得力がある。


実際数ヶ月続けてみたわけだが、結構いい感じ。毎年冬になると背中や足に湿疹ができるのだが、今年は結構軽い。単に福岡の冬がそれほど乾燥してないのと、今年はニベアの乳液じゃなくてメンソレータムのADクリームにレベルアップしたおかげなのかもしれないけど。

あと冬の浴室の洗い場は寒いので、冷たーい床の上でごしごし体を洗わなくても、温かいお湯に浸かって10分ぼーっとしていればいいというのが、ものぐさな私には嬉しい。


よかったらお試しあれ。

2011年2月21日月曜日

異臭

さっきお手洗いに行ったら、粗相していた。
そう言えば対策忘れてた。そろそろだと思ってて、昨日はちゃんと装備していただけに悔しい。
尿意と便意はあるのに、なぜこれに関しては催さないのか。一定時間我慢できればなおよろしい。そこらへん人間は進化するべき。

衛生用品自体はラボに常備しているのでとりあえず手当てできたが、汚れた下着は今日一日耐えねばならん。気持ち悪い。結構盛大にやっちまったから、帰って洗濯するのも面倒くさい。防寒用毛糸のパンツまで浸透していなかったのは不幸中の幸い。

あと臭いが気になる。自分では気づけないだけに。
まあでもさっきインドカレー食ったから、血なまぐささを凌駕する強烈なスパイシー臭が私から発せられているに違いない。自分では気づかないけど。
おまけにこれから4時間程度ネズミ部屋に籠るので、出てきたときには主に小便臭からなる刺激的獣臭が私の半径2m以内に立ちこめるであろう。自分では気づかないけど。

2011年2月20日日曜日

炉心融解



曲がすごい。
あと「鏡音リン」の声がすごい。熱のこもった歌いっぷりが、機械とは思えない。

2011年2月19日土曜日

Just Be Freinds


VOCALOID2シリーズ 3 つ目 の「巡音ルカ」を使った作品。
曲も好きなんだけど歌詞も好き。
歌詞が好きと言うと詩の内容が好きなんだと思われてしまうけれど、なんというか音として好きなんだな。耳に心地いい。
もちろん詩の内容も良い。主人公?の想いが凝った文章で表現されてて、具体的なことは皆目分からないのにその気持ちだけはすごく伝わる。

2011年2月18日金曜日

ペヤングだばあ

VOCALOID が好きだ。

どのくらい好きかと言うと、数年前にこんな記事を書くくらい好きだ。


http://aqualerius.blogspot.com/2008/10/vocaloid.html

http://aqualerius.blogspot.com/2008/10/vocaloid-vol-2.html


というわけで、ときどきここでお気に入りの曲について紹介していくことにした。



ニコニコ動画は見られない人もいると思うので、youtube に転載されているものを。


VOCALOID作品の中で私が一番好きな曲。


カップ焼きそばの湯切りの際、勢い余って蓋が外れ、中の麺が流しに「だばあ」したときの哀愁を歌った曲。


前半部のワクワク感と、それがだばあして呆然とする心情のギャップが秀逸。


ペヤングだばあ ペヤングだばあ Yeah~

ペヤングだばあ 流しにだばあ ネギ落ちてきて


ソースを蓋の上で温めて 

楽しみ楽しみ180,000 ミリ秒 (←3分)

行くぜ湯切りだ 感じる Gravity

地平線の先まで響け Say ベコッ (←ステンレスの流しに勢いよく熱湯を注ぐと出る音)


ペヤングだばあ ペヤングだばあ Yeah~

ペヤングだばあ 流しにだばあ ネギ落ちてきて

2011年2月17日木曜日

変な夢

昨夜長い夢を見た。あらすじは
中学時代のいじめ→とくダネ小倉智昭登場→所ジョージとデート
というカオスな内容。

久々に鮮明な夢だったので覚えておいてメモを書こうと思ったんだけど、やっぱだめだね。自分でもびっくりするスピードで忘れるよね、夢って。まああんまり夢の記憶が鮮明だとしばらく経ってから現実の記憶とごっちゃになりそうなので、起きたら消去するシステムになってるんだろうね。脳の神秘!

結構ドラマチックで、カオスな内容の割には筋が通っていたと思うんだけど、今は断片的にしか覚えていない。まあ筋が通っていた、というのも寝起きの感想なので当てにならないけど。

なんか日本家屋風の広い部屋みたいなところで、田中という人を中心とする男子の一団にいじめられてた。自分も相手も中学の制服を着てた。室内にはいじめに加わってない男子と女子もいたんだけど、それぞれ自分の友達とおしゃべりしていて、こちらには関心がなさそう。
いわゆる言葉の暴力なのかはわからないけど、直接「おめーの席、ねえから!」とか話しかけられるわけじゃなくて、「ちょーきもい(ニヤニヤ」「マジブスなんだけどあいつ本当に女?」「ちん○ついてんじゃねーの?」「お前ちょっと聞いてこいよ(ニヤニヤ」「なんで俺なんだよお前行ってこいよ(ニヤニヤ」とか遠巻きに嘲笑する感じ。

しかし田中って人は私をいじめてたんだっけ?濡れ衣だったらごめんよ。いや、実際に中学にその人はいたんだけど、6年間一言もしゃべらなかったんだよね。でも当時はいじめの中心ぽい人がいたにはいたけど、学年全体で私がいたら指差して笑うという遊び?というか習慣?になってたから、確か彼もその中にいたと思う。被害妄想入ってるかもしんないけど、ハンド部は大体そうだったし、帰宅部のヤンキーっぽい人たち?とか他の運動部の人とか。他クラスの男子(初対面)に「きもっ(ニヤニヤ)」と言われたときはびっくりしたわ。誰だよお前ら。

まあそういう思い出を再現したような夢だったんだ。そして私の人生の中で空気だった田中という人が、なぜか悪の権化として登場してたんだ。私も夢ということで強気になってたのか、田中たちに言い返したり殴ったりしてたけど、止まらない。
とそこにN氏が通りかかり、なんか心配してくれた。それに力になろうか、というようなことを言ってくれたんだけど、断ったんだよね。自分でなんとかするから、かかわり合いにならないでくれ、みたいな。

で田中に抵抗するのをやりすぎたというか、股間を蹴りあげたら田中は怒って日本家屋を出て行ってしまった。で、私も日本家屋を逃げ出した。逃げたと言っても門を出たところで、田中が白い車に乗ってまた日本家屋の敷地に入っていったんだけどね。でも彼はこちらには気づかなかったようだ。その白い車になぜか小倉智昭が乗ってたんだな。

別に小倉智昭のファンでも何でもないんだけど。ただ朝のワイドショーの中で、みのもんた・鳥越なんとかに比べれば一番マシだと思ってる。

田中は白い車を降りて日本家屋に入ってしまったので、私は後から車を降りた小倉さんに話しかけた。「いつもとくダネ見てます」とかなんとか。小倉さんはすご~~~く迷惑そうに「ああそう。ありがとう。」と言って日本家屋の中に入ってしまった。夢の中で私は「田中にないことないこと吹き込まれて、私のこと嫌いなんだろうな」と思ってた。そして日本家屋の門を出て街に繰り出した。

そこからどう飛躍したのかさっぱり覚えてないけど、とにかく街で所ジョージに会い、しかも旧知のようで、楽しくデートした。夕方から夜にかけて。映画を観て、なんか食べた。夢の半分はデート部分が占めてたと思うんだが、ほとんど覚えてないなー。しかし所さんプロデュースのデートはめちゃめちゃ楽しいかったよ。ファンでもなんでもないけど。いつの間にか手に持っていた私のノートPCを代わりに持ってくれて、ジェントルだった。

そんでふと目が覚めた。前半は悪夢だったけど、後半の所ジョージでとんとんになった。

こういうのを読まされても困ると思うんだけど、個人のメモだと思って許してください。いつかフロイトとかユングとかに造詣の深い人に会ったら、こういう夢からどういう心理状態が読み取れるのか聞いてみたくてね。所ジョージとデートってどういうフラストレーションの象徴なんだろう。

あ、でも書いているうちに前半部分に関しては思い当たることが。昨日友人に聞いた話なんだが、その友人の研究室で一人の学生がいびられているらしい。なんかテクニシャンが変な人で?その学生の悪口をラボやボスに吹聴したり、本人にも辛く当たってるっぽい。他のラボメンバーはテクニシャンが変な人だということを知っているので彼女の言い分を鵜呑みにするようなことはないんだけど。でもそのテクニシャンと学生は准教授の下についており、同じラボとはいえ独立したプロジェクトチームを組んでいるそうだ。そういうわけで友人をはじめ他のラボメンバーもうかつに関わることができないらしい。准教授自身もちょっと変な人らしく?准教授、テクニシャン、学生の3人は密室の中で機能不全を起こしてるっぽい。

その子の一方的な悪口ばかり聞かされているボスは「実際のところどうなの?」と友人に尋ねたそうなんだが、そのときはその子もまだ明るく振る舞っていたので「元気にやってますよ」と答えたらしい。がどんどん表情が暗くなって、今では話しかけてもほとんど反応してくれなくて、「今思えばあのときは元気な振りをしていたんだな。申し訳ないことをした。」

いやいやいやいやいや、後悔してる場合じゃないでしょ。あのときは元気そうに見えて、今は相当ヤバそうなんでしょ?じゃあ「相当ヤバそうです」って今、ボスに言いなよ。もちろんボスがどう部下たちと関わっているのか、人間関係のいざこざに関心があるのか、そういう面で正しい采配を振るってくれそうなのか全然わからんので、無責任なことは言えんけどさ。

でも元気そうな表情が装えないくらいヤバい状況なら、そりゃもう末期だよ。早晩ひきこもりか中退か最悪自殺するんじゃ。それにそのテクニシャンは誰かを目の敵にすることで精神安定を図るタイプの人間なんだろうから、その子がいなくなってもまた新たにチームに入った下っ端をいびり倒すんじゃ。いや知らんけどさ。成果主義のラボならなおさら、そういうガンを早期につぶした方が効率いいと思うんだけど。次々とスケープゴートをあてがうよりもさ。

その子はその准教授を選んで来たわけだし、中学生じゃないんだから自己責任でうまくやれよ、って考えも正しい理屈ではあると思うけど。

なにもそのテクニシャンに「いじめ、ダメ絶対!」とか言うんじゃなくてさ。自分を犠牲にしてまでその子を守る義理はないし、犠牲とは言わないまでも下手に関わって「当事者」になりたくないのは当たり前だし。でも、「部外者」に徹したまま、何かその子のためにできることはないだろうか。それも今すぐに。

とか悶々と考えてたら変な夢見ちゃったんだなー。

2011年2月13日日曜日

白夜行









行ってきました。公開中にも関わらず、ネタバレ自重しません。





私は東野圭吾の原作を読んでいたので、ネタバレなしの「初見の楽しみ」はなかったんだけど。
まあ良作なんじゃないかな?かなり複雑なミステリーだが、「原作を読んでいないと内容がわからん」というわけでもなく、ちゃんと一本の映画として完結している。ただ本当に最後の最後まで「少年少女に何が起こったのか」が明かされないので、初見の人はミスリードされてしまうかも?とはいえびっくりするほど分厚い文庫本を2時間半の尺に縮めたことを思えば、これだけのクオリティを保てたのはすごいと思う。

あと単に原作を簡略化するのではなく、映画ならではの表現方法が光ってた。昭和から平成にかけての風景や服装の変化、それに伴う登場人物らの成長や老化が目に見えるのは良いね。私の貧困な想像力で文章からその情景を再現するのは非常に難しいので、やっぱ映像の力ってすごいな、と思う。あと小説はその表現方法の制限から伏線を貼るのが難しいと思うんだけれど、映像なら視覚が使えるのでさりげなく織り込むことができる。
例えば容疑者宅のゴミ箱にプリンの箱が捨ててある。刑事は殺された被害者がその直前に同じプリンを買ったことを知っているので、あっと思う。そして同時に刑事が「プリンの箱に気づいた」ことを容疑者娘が気づき、さらに「容疑者娘が気づいた」ことを刑事も気づく。原作の叙述もなかなかだったけれど、映画なら「刑事視点のプリンの箱」→「容疑者娘視点の刑事の顔」→「刑事視点の容疑者娘の顔」と映すだけで表現できてしまう。

俳優陣は素晴らしかった。何をおいてもまず子役。主人公の男の子と女の子をはじめ、子どもの演技が飛び抜けていた。こういう映画でここまで見事な演技をしたら、彼らにトラウマが残ってしまうんじゃと心配になるくらい。特に映画終盤での亮司少年のシーンには泣かされた。雪穂を逃がして、遺体(まだ息はあったけど)の処理をして、火事場の馬鹿力でドラム缶や粗大ゴミを移動して。そこまでしてからやっと自分も逃げ出して、泣き叫びながら野っ原を走り抜けて、小川で狂ったように手と凶器を洗って。壮絶だった。

大人になった主人公らも良かった。堀北真希は「演技がうまい」というより「雪穂役が合ってる」という感じだった。微笑も憂いも打算まみれの雪穂が、ウェディングドレスの試着をしたときにショーウィンドウの外から見守る亮司に向けて見せた、唯一の本当の笑顔が泣かせる。

あと船越英一郎が良かった。小説よりも映画の方が笹垣刑事個人のことを描いていた気がする。自分の子ども?が死んで、後輩だか同僚だかに出世を抜かれ、定年退職した後でもずっと「あのときの少年少女」を追っている。ドラマでは(あんまり見なかったけど)笹垣役を武田鉄也がやっていて、それがどうも金八とかぶるというか説教臭く感じたので、私は船越さんの笹垣の方が好きだな。眼光鋭くかつ慈愛に満ちている。

私が一番好きなのは亮司の母親弥恵子。彼女は全ての発端となった「質屋殺し」の被害者の妻で、容疑者になったこともあるが、店がなくなった後どういう苦労を重ねたのか、数年後にはスナックのママとして再登場している。事件当時の冴えない奥さんが、今や女手一つで店を切り盛りするセクシー熟女に変身しているのがおもしろかった。戸田恵子いい味出し過ぎ(笑)笹垣刑事との腐れ縁というか、こなれた仲が見てて気持ちいい。

地味だけど江利子もいいね。冴えなくて芋臭い女子中学生だったのが、大学で御曹司に見初められたことでどんどん垢抜けて行く過程が見事だった。雪穂は自分を絶対的に崇拝するもの、かつ自分の引き立て役として江利子を中学のときから飼っていたのに、みるみる自立して花開いていく。おまけに目をつけていた御曹司はなぜか江利子を選ぶし、江利子は江利子で「(髪型・服装を変えて)ごめんね」「(小学生の頃の知人が雪穂に絡んでいたことを)黙ってて『あげるね』」と100%の善意でもって雪穂のプライドを傷つける。そこらへんの雪穂のフラストレーションにぞくぞくした。作品の中で雪穂は多くの善良な凡人を酷い目に遭わせているけれど、そのほとんどが彼女の打算というか、成り上がるための踏み台として利用していたのに対して、江利子の場合は雪穂の嫉妬がそうさせたという、ある意味唯一人間らしい動機だったと思うんだよね。まあそのあとでちゃっかり御曹司の妻に収まるんだけど。

原作「白夜行」は「悪い女と悪い男が周囲を不幸にしながら成り上がっていく」物語であり、「大人に壊された少年少女が、手に手を取って懸命に生きてく」物語でもあった。でも映画では尺の制限があるとはいえ、亮司が雪穂に尽くす側面しか描かれていなかったのが残念。「少女が日の当たる場所を歩けるように、少年は日陰に身を落として、命をかけて少女を守った」とでも言うかな。亮司がなぜそうまでして雪穂を守るのか、という視点で過去の「質屋殺し」を描いていたので、映画としては筋が通っているんだけども。原作では雪穂も亮司のためにいろいろしてあげてるんだよね。
あと原作を簡略化したせいで亮司の悪事が「強姦」と「殺人」に終始してしまったのも残念。原作ではけっこう非合法な金儲けにもスポットが当てられていたんだけど、今回は売春斡旋くらいしか金儲けのシーンは出てこなかったよね?それも金儲けがメインというよりは薬剤師のおばさんと知り合うきっかけみたいな描かれ方だった。原作はカード偽造やらプログラミングやら当時の先端をいく犯罪を描いていたので、さすが娯楽小説の東野圭吾だな、と思った。亮司の荒稼ぎには雪穂の立場を利用した情報リークが不可欠だったりして。またそうやって稼いだ亮司の莫大な資金を元手に雪穂が株取引をしてボロ儲けしたりして。原作はそういう感じなのよー。単に亮司が雪穂にとって邪魔な人間を犯したり殺したりしてるわけじゃないのよー。

基本的に原作をうまく映画化してるなーと思ったんだけど、変に原作に忠実すぎて辻褄合わない点もある。まず亮司のED。原作ではこの設定は重要なんだけど、映画ではあんまり関係ないよね?陵辱された女性たちもそこまではされていなかった、という表現が映画の中では無かったと思うので、かえって混乱のもとになるんじゃ。
あと薬剤師のおばさんが自殺した理由がわからん。自分が用意した青酸カリが犯罪に使われたから?亮司が罪を犯したことに耐えかねて?亮司が帰ってこないから?亮司が自殺を誘導したんだとしても、それで得られる利益がわからん。おばさんに罪をかぶせる目的だったにせよ、青酸カリを手に入れたのは彼女でも死んだ人間たちと彼女には接点がない。実際彼女の部屋に入った船越英一郎に亮司の「切り絵」を見つけられてしまうし。原作では薬剤師とおばさんは別の人物なんだけどね。

モールス信号や人形を介して意思疎通を図るのは映画オリジナルの設定で、なかなかよかった。涙を誘うモチーフとしてよく活かしていた。原作では二人がどうやってつながっていたのかはほとんど描かれていないけれど、数々の犯罪の内容から直接かつ密なやり取りであることがわかる。映画では主に殺すか犯すかだったんで、二人が直接会わなくてもターゲットの名前が伝われば概ね良かったんだろうね。それにしても児童館の爺さんが、大人になった彼らを視認していないのはいささか不自然。小学校卒業してから現在まで全く姿を見せていなかったならまだしも、ああいう形での意思疎通はずっと続いていたようだし。

御曹司「篠崎」は原作の「江利子を好きになった篠崎」と「雪穂と結婚した高宮」が合体した感じだった。原作の簡略化で仕方のないことではあるけれど、そのせいで男に関しても雪穂の完全勝利になってしまったのが残念。原作の篠崎は唯一「雪穂」ではなく「江利子」を選んだ男性であり、後々「雪穂」の欺瞞を見抜くキャラでもある。また雪穂が初めて「道具」ではなく「男」として執着した相手であり、そしてあらゆる策略を使ったにもかかわらず「手に入れる」ことも「不幸にする」こともできなかった男性。彼の存在が「完全無欠の悪女ではない雪穂」を引き立たせるいいスパイスだったんだけどなー。映画の篠崎は完全に雪穂に蹂躙されてたなー。というか、映画の篠崎はどういう状態なんだろう?パーになっちゃったのかと思ったら、笹垣とのやり取りを見るに単なる引きこもりのようだし。うーむ。

エンディングもだいぶ原作とは違う。まあ落ちるというオチは一緒なんだけど、そこに至るまでがね。原作では笹垣の想いもむなしく、追いつめられた亮司が転落する。映画では笹垣の父のような愛を聞き届けた上で、亮司は「きちんと」死を選ぶ。どちらもアリだと思うけど、映画の方が救いがある反面甘さを感じてしまうね。

暴力あり殺人あり性行為ありのひどい内容でありながら、それらの描き方に品を感じた。うまくいえないけど、必要以上に見せないというか。観客の劣情をくすぐるためにそういうシーンを「魅せる」映画はたくさんあるけれど、この映画では淡々と、必要最小限描くにとどめたような。そこらへんに好感が持てた。
なので、堀北真希の濡れ場は皆無と言っていいよ!背面全裸はあるけど乳首どころか乳そのものもほとんど映らないよ!残念!

2011年2月4日金曜日

BLT

今日もSUBWAYで昼食。

「BLTサンド」なるものを食べてみた。SUBWAY でも3 本の指に入る人気メニューらしく、なるほどおいしかった。

ちなみに BLT はベーコン、レタス、トマトの略らしい。

ちなみに SUBWAY では全てのサンドイッチにデフォルトでレタス、トマト、タマネギ、ピーマン、ピクルス、オリーブが挟まれる仕様になっている。そしてメインの具がタマゴであれば「タマゴサンド」、ハムであれば「ハムサンド」と呼ばれる。

おかしくないかい?この法則でいけば「BLTサンド」は単に「ベーコンサンド」と呼ばれるべきではないか。あるいはBLTにならって、タマゴサンドはELT、ハムサンドはHLTと呼ばれて然るべき。別にBLTに限ってレタスとトマトが特別に増量されているわけでもなし。

いや、わかるよ。ベーコンサンドと言うより、BLTと言った方がなんとなくイケてるってことくらい。SUBWAY で BLT がことさら人気なのもおそらくこのネーミングによるものだろう。単に「ベーコンサンド」と言ったのでは「タマゴサンド」や「ハムサンド」などその他大勢のメニューに埋もれてしまう。

じゃあなぜ特別に推したいのが「ベーコンサンド」だったのか。

そしてなぜLTなのか。デフォルトの具で頭文字取るなら、あえてレタスとトマトじゃなくてもいいじゃない。Bacon, Onion, Olive で「BOO! サンド」とかさ。

SUBWAY じゃなくて、他のファストフードかなにかに「ベーコン・レタス・トマト」て人気メニューがあったのかな?マックのベーコンレタスバーガーとか、ああいうのの便乗なのだろうか。

う〜む、気になる。いや、本当はかなりどうでもいい。
VPS