2014年11月18日火曜日

ディズニーアニメの訳詞

「アナ雪」翻訳の難しさ…「ありのまま」主人公に思い重ねて
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20141117-00000543-san-movi

上記の記事に関して。

>「作品でしか成立しない歌ではなく、単独でも成立するような歌詞がほしい」

確かに松たか子の歌う日本語版は「単独でも成立」してたと思うけど、作品の中では成立していなかったように思う。

とは言え、初めて日本語版の「Let it go」を聴いたときは、松たか子の歌唱力の高さも相まって、すごく感動した。

ディズニーアニメの訳詞って酷いのが多いんだよね。
例えば「ノートルダムの鐘」の「Out there」なんかが顕著。
曲も良くて、原語の歌詞も素晴らしくて、日本語吹替えの石丸幹二も素敵だったのに、日本語訳の歌詞がぶち壊しだったわー。

原語


日本語


そもそも日本語は英語と比べて一音節に含まれる情報量が格段に少ないから、英語の歌詞の意味を全部日本語に置き換えて同じメロディに突っ込むなんて無理なんだよな。

だから一語一句にはこだわらず、曲全体を通して伝えたいテーマや感情、情景を日本語で表現すればいいと思うわけ。そのためなら順番入れ替えてもいいし、省略してもいいし、なんならオリジナルの文章を加えてもいい。

逆に一語一句を訳すことにこだわると、かえってその歌曲の本質が失われると思う。英語と日本語は違いすぎるからね。

あと、訳詞といっても「詩」だから、詩として成立させて欲しい。
英語には英語の韻の踏み方があるように、日本語には日本語の韻の踏み方があるわけだからさ。

そういう意味で「Out there」は酷かった。日本語舐めてんのかって感じ。なんか、英語歌詞をそのまま訳して無理矢理メロディに乗せた感じで字余り字足らずが目立つし、リズム感も無いし、言葉の選び方にセンスを感じない。



ディズニーアニメの訳詞は程度の差はあれどガッカリクオリティが多いんだが、山寺宏一の歌う「アラジン」の「Prince Ali」は好き。

原語


日本語


例えばイントロのコーラスで
Make way for Prince Ali
Say hey! It’s Prince Ali

なのが日本語では

♪頭(ず)が高いぞ
プリンスのお成りだ

ってなってるんだけど、「Make way」が「道を開けろ」じゃなくて「頭が高いぞ」ってところに鳥肌立った。
英語では「頭が高い」なんて一言も言ってないし、そもそも米国人には「頭が高い」という概念は無いわけだが、アラジンをアリ王子に仕立てて荘厳なパレードをするというこのシーンは、日本人にとって「頭が高いぞ」という表現が最も当てはまると思う。

で、アナ雪の「Let it go」は私にとって「Plince Ali」以来の素晴らしい訳詞なんだ。

原語


日本語


日本語の歌として成立してる。字余り字足らずがほとんど無く、一語一句を訳すことに執着せず、日本語ならではの表現とリズム感で曲の世界観を表している。まるで元々日本語の歌として作られたかのよう。
あと記事にもあるけど、リップシンクがすごい。
そりゃ一昔前のセルアニメと違って、完全に英語の動きになっている口に日本語を歌わせるのは無茶なんだけど、例えば

The cold never bothered me anyway

が日本語では

♪少しも寒くないわ

ってなってて、「anyway」と「ないわ」のリップシンクがすごい。本当に「ないわ♪」って歌っているように見える。

もちろん「The cold never bothered me anyway」は「少しも寒くない」という意味ではない。
直訳すると「ちなみに私は寒さに煩わされたことなど一度もない」って感じになるのかな。
つまり、寒くないわけじゃない。寒いけど、雪の女王であるところのエルサにとってそれは不快であるどころか、むしろ心地良いことなんだよな。
今まで他人を傷つけないように、他人に恐れられないように自分の力を抑圧してきたけれど、彼女の力は彼女自身を傷つけたことは一度もない。だからもう力を抑圧することはやめて、人里離れて好きにやってやる。誰もいないところでありのままに生きていく。
そういう複雑なニュアンスを含んだ文章なんだけど、日本語ではたった十音節でそれを表現することはできない。なので「少しも寒くないわ」は良い妥協だったと思う。

というわけで、私は「Let it go」をすごく気に入っているんだが、文頭に書いたように、日本語の歌として単独でも成立している反面、劇中曲として成立していないと思うんだよな。

どっちも「ありのままに生きていこう!」って歌っているんだけど、原語は日本語のポジティブなイメージと真逆で、むしろネガティブな歌だと思うんだよな。

記事に
「今の普通の若い女性たちが気持ちを重ねられるような歌詞」
とあるように、日本語版は「もう自分を偽らなくて良いんだよ」「ありのままのあなたが一番素敵なんだよ」「自分を装わないで、生身の自分で社会生活を送ろうよ」って感じ。「ありのまま」は自制・自罰・自虐からの解放を意味している。

原語版にも「自分からの解放」というニュアンスも無くはないけど、それよりも「他者からの解放」の方にウェイトが置かれていると思う。たとえば

Don't let them in,
don't let them see
Be the good girl you always have to be
Conceal, don't feel,
don't let them know

この辺に他者からの抑圧に対する恨み辛みが込められてる。で、さらにここから

Well now they know (手袋ポイッ)
Let it goLet it go~……

と続くわけだ。
「よい子でいろ、絶対にバレるな、って言われてきたけどバレちゃったもんはしょうがない。隠しても無駄だし好きに生きるわー。」と開き直ってる。

Turn away and slam the door
直訳:背を向けて、ドアを思いっきり閉めてやる
I don't care what they're going to say
直訳:誰が何と言おうと気にしない
I'm never going back, the past is in the past(ティアラポイッ)
直訳:二度と戻るもんか、過去は過去へ

ここら辺の歌詞からも、エルサを「ありのまま」でいさせなかったのはエルサ自身じゃなくて「他者」であり、エルサがそれを嫌悪していることが伺える。
極めつけはこれ。
Let it go, let it go
That perfect girl is gone
意訳:好きなようにさせていただくわ。ご所望の「よい子」はもう死んだの。

なんかこう、日本語版と違って原作はかなり攻撃的でやけくそだよな。どう考えても、「会場のみんなも一緒に歌おう!」ってテンションの曲じゃない。

で、この歌の後エルサがやったことは単なる引きこもりだろ?
「自分を装わないで、生身の自分で社会生活を送ろうよ」なんてとんでもない。
エルサは他人を傷つけたり怖がらせたりさせないように、社会をシャットアウトした。
エルサがありのまま生きるには、社会と断絶するしかなかった。
引きこもる場所が実家かマイホームかだけで、本質的には何も変わらない。
Let it go」は壮大な引きこもり宣言なんだよな。底抜けに明るいネガティブソング。
それに対して、日本語のポジティブで前向きな歌詞は、映画の展開と矛盾してると思う。



上述のネガティブな歌詞は、和訳では全く別の言葉に置き換えられていることが多い。

I'm never going back, the past is in the past(ティアラポイッ)
直訳:二度と戻るもんか、過去は過去へ

が日本語では

♪輝いていたい もう決めたの

になってたり。
あと、原語でエルサは「よい子でいなさい」と抑圧されたことにかなり執着を持っているんだけど(”Be the good girl you always have to be” や “That perfect girl is gone” など)、日本語版では「よい子」に関わる歌詞が出てこない。



それから、同じ意味として和訳しているんだろうけどニュアンスが全然違う歌詞も結構ある。

例えば日本語では

♪二度と涙は流さないわ

なんだけど原語では

Youll never see me cry

になってる。「二度と涙は流さない」という意訳も正しいだろうが、この場合は直訳の「あなたが私の涙を見ることは二度とないだろう」の方が本来の意味に近いと思う。
「私、もう泣かないの!ありのまま笑って生きるわ!」なんてポジティブな意味じゃない。
「二度と貴様の前で泣くかバーカ」くらいネガティブで挑発的な歌詞だと思う。

あとはサビの部分で何度も出てくる

♪風よ吹け

いかにも「明日は明日の風が吹く」みたいな、エルサの新しい人生や将来への希望を彷彿とさせるような言葉だけどさ。原語では

Let the stome rage on
直訳:嵐よ荒れ狂え

なんだよね。「風よ吹け」っちゃまー「風よ吹け」なんだけど、テンションに天と地の差があるよね。希望どころか、破壊衝動を感じる。

と、長々とボロカス言ったけど、「Let it go」も「ありのままで」も好きな歌です。

でも完全良い子ちゃんな「ありのままで」よりも「Let it go」の方が毒を感じるから好きかな。
VPS