2013年4月30日火曜日

コトリバコ

怖い話が苦手な人は読まないでね! 


私はストーリーを鑑賞するのが好きだ。 
小説、漫画、アニメ、TVドラマ、映画、何でも好き。 
媒体はなんであれ、物語を堪能することは楽しい。 

で、ここ数年私のストーリー鑑賞媒体に追加されたのが「ゲーム」と「2chのカキコミ」。まあどっちもあまりお上品な趣味ではないが、重要なのは中身だ。つまらん小説よりおもろいカキコミの方が私にとっては価値がある。 

で、ここでは最近見つけて気に入った「コトリバコ」という物語について熱く語る。 
「コトリバコ」は2005年に 2ch のオカルト系スレに書き込まれた、実体験の体をとった「怖い話」。 
カキコミの内容は「コトリバコ」でググればすぐ出て来るけれども、それを読んだ女子供が腹痛になるの呪いのとばっちりを受けるの、これまたオカルトらしいオマケ付きなので、そういうの見えちゃったりする人は以下の文章を読まないでね。 
まあ私は2ch のカキコミの真偽には関心がなく、単にフィクションとして鑑賞しているので、そういう人間には呪いも祟りも効かないんだろう。 



要約するとコトリバコは寄木細工でできたパズルのような箱に、子どもの遺体の一部を詰めたもの。コトリバコに触れたり近づいたりした女性と子どもはもがき苦しみながら死ぬ。成人男性と妊性のない女性には影響なし。だから「子取り箱」。 
日本のある地域で周囲からの迫害や搾取に苦しめられていたある村が、ひょんなきっかけからコトリバコの製法を知り、口減らしのために間引きした子どもを使って作成した。そしてそれを加害者の屋敷に献上すると屋敷中の女子供が死に、血が絶えた。村は周囲の集落や町に今までの仕打ちへの報復であることを伝え、以後村に干渉しないように約束させた。 

そのコトリバコが友人宅の蔵から発見されたことをきっかけに、カキコミ主の周りで起こった不思議なことを淡々と語る、というのが「コトリバコ」。 



いいね。禍々しいね。 
そして真偽はどうあれ、すごくよくできてる。仮にすべてカキコミ主の創作だったとしても、それはそれで彼の文才に感動する。 
そうそう、カキコミ主の文章は決して「美しい日本語」ではないんだけどストーリーテリングがうまいというか、読み手をぐいぐい惹き付ける上手な構成なんだよね。 

コトリバコの気に入っている点。 

・機械的である。 
機械的という言葉が適切かどうかはわからないんだけど、非常にシステマチックというか……例えばよくある「呪い」のイメージは、誰かによる誰かへの恨みや害意だと思うんだよね。あくまで呪う側と呪われる側の二者間の問題というか。第三者はとばっちりを食うこともあるが、基本的には関係ない。 

でもコトリバコは違う。作った村人は加害者に対する恨み辛みがあったんだろうが、コトリバコ本体にはそういう目標設定がない。コトリバコを中心に、ある範囲内の女子供が全員死ぬ。恨みの対象者だからとか、コトリバコ作成過程で子どもを殺した犯人だからとか、そういうのは関係ない。 
要するに爆弾や毒ガスなどの類と一緒ってこと。女子供にのみ効く生物兵器。 
「コトリバコ」文中には、加害者に恨みを晴らし村の安寧を確保した後、コトリバコはまとめて保管していたのだが、子どもが言いつけを破ってそれを持ち出したせいで、村自体も半壊状態になったとある。で、コトリバコの本当の恐ろしさにおののいた村人たちは地域の神社に相談して、最長140年もの時間をかけてコトリバコを処分する契約をしたそうな。コトリバコが作られたのは明治維新前後、そこから140年といえばまさにここ10年前後。そしてカキコミ主の友人に神社の末裔と村人の末裔がいて云々、というのがカキコミ内容。 

・効能対象が限定されている。 
子どもと妊娠可能な女性にしか効かない、というのが禍々しさを引き立てる良いスパイスになっている。これがもし老若男女無差別に効くのなら、かえってそんなに怖くないと思うんだよね。死に方が惨いこと、弱者が狙われることも怖さのひとつではあるけど、それよりも「種を絶つ」という目的に特化しているというのが上述のように機械的というか、装置的というか、えぐい。 

・物語が良い。 
コトリバコ自体興味深いアイテムなんだけど、それがその村にもたらされた過程の物語が好き。 

時は幕末、現在の島根県に存在したある村は圧政と迫害に苦しんでいた。その頃流刑地として知られる隠岐で反乱があり、島を逃げ出した男が村に隠れていたのを村人が発見。島を脱走した人間を見つけたら捕まえろ、というお達しがあったので、村人たちは男を捕縛した。匿っても村には何の益もないどころか、バレたら迫害どころの騒ぎじゃないからね。 
が、男は命を助けてくれたらお前たちに武器をやろう、と契約を持ちかけた。 
男をお上に献上しても迫害はなくならない。しかし男を助けてその武器とやらを手に入れれば迫害を止めることができるかもしれない。ということで村は男の要求を飲み、「子どもを殺して遺体の一部を寄木細工の箱に詰める」というコトリバコの恐ろしい製法を学んだ。 

地域性や隠岐の反乱というイベントを絡めているのが良い。コトリバコの製法を伝えたのが隠岐の人間、というのもうまい設定。罪人かその末裔か、大陸または半島系の人間か……とにかくはぐれもの感が絶妙。 
あと「千年前の呪術」とか「大陸から伝わった謎のアイテム」とかではなく、百数十年前のある地域という微妙な新しさと具体性が魅力的。 

上の要約では男が命乞いのためにコトリバコを教えたように見えてしまうけれども、男の目的は延命ではなく、コトリバコそのものだったらしい。 

男がコトリバコの製法を教える代わりに要求したのは「自分を逃がすこと」「最初に作ったコトリバコを自分に寄越すこと」「コトリバコ作成の他に女と子どもを一人ずつ用意すること(コトリバコの効能実験用)」。で、男は自分がコトリバコを使って目的を成し遂げたら自分の命を絶つつもりだ、と述べたらしい。 

ここら辺も上手いなーと思う。村人たちはコトリバコの製法を聞いたあとに男を殺しても良かったわけだが、自分はコトリバコを使ってやることがある、それが達成できたら死ぬつもりだ、と言われたら殺しにくいよね。おまけに実際コトリバコが実験台の女と子どもを殺すのを目の当たりにしたら、男を殺す気がなくなりそう。 

さらに男が手に入れた最初のコトリバコは他のものとはわけが違う。 
コトリバコには子どもの遺体の一部を入れるわけだが、何人分入れるかで効力が変わる。基本的に人数に比例して力も強まるわけだが、8人以上入れてはいけない、と男は村人に教えたそうだ。 
一方男は、自分が手にする最初のコトリバコには子どもを8人使うように指定した。8人を一つの箱に入れるのはこれが最初で最後。今後は絶対に作ってはいけない。 

そうして最強のコトリバコを手に入れた男は村から消えた。男がコトリバコを使って何をしようとしたのか、何をしたのかは不明。 
それ以降村人が作ったコトリバコは地域の神社の管理下にあるが、男が持っていったコトリバコの行方だけは杳として知れない。 

いいね!不気味だね!コトリバコというアイテムと、それを巡る物語が両方魅力的。 
それから男はコトリバコを欲していたけれども、彼一人では作成することができなかったと思うんだよね。容れ物の作成は難儀だし、追われる身で8人もの子どもを誘拐殺害なんてできるものではない。 
男は村人を利用してコトリバコを手に入れ、村人は男を利用してコトリバコを手に入れた、という相利関係が上手い。

2013年4月22日月曜日

校則、制服指導

■下着は白のみ! 恋人ができたら担任に報告! ウチの学校の“ヘンな校則” 

(リクナビ進学 - 04月22日 10:10) http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=150&from=diary&id=2403130
7年くらい前、教育実習で出身中学校に戻ったとき、制服の校則がやたら厳しくなっててすごく悲しかった。 
私が中学2年生の時、新卒の先生が何人かまとめて着任したんだが、その頃の新米教師がいまや立派な中堅どころになっていて、校則の強化も彼らが中心となって推進しているっぽい。 
あの時の若い先生たち好きだったんだけどな。いや確かに思い起こせば若干熱血過ぎるきらいがあったり、少々理不尽なこともあったりしたけど、年配の先生方の枯れた授業よりはずっとわかりやすくておもしろかったし、理不尽さで言ったらもっと酷いのが何人もいたし。 
あの頃の若い彼らがステレオタイプなアホ教師に成長してしまったのかと思うととても悲しい。 
例えば私の時代は制服の中に着るセーターが自由だったのが、なぜか学校指定のセーターを買わされる仕様になっていたり。金のムダ。 
文化祭の開会式のときは、会場である体育館の前で竹定規を持って待ち構え、女生徒のスカート丈を測ったり。きもいわ。 
竹定規ってあたり「生徒の安全のために風紀を取り締まる」というより「そういうことをしてみたい」ってだけに見える。前に書いた小学校の体罰教師もそうだけど。どうも竹定規というのは、形から入る彼らにとって欠かせないアイテムのようだ。 
学校のレベルが低いほどくだらない校則に固執する。私がいた頃はそこまで酷い取り締まりはなかったので、出身中学のそういうところは好きだったんだけどね。それがこのザマさ。偏差値も随分下がったようだし、卒業生としては嘆かわしい限り。 
一番酷いというか、マヌケだったのが文化祭の時。 
朝の職員会議で、「相服を着て来ている女生徒が何人もいる。朝のHRで厳しく指導するように。」とのお達しがあった。 
文化祭は9月の下旬で、文化祭後の登校日から夏服→冬服への移行期間に入るらしい。で、相服は冬服の色違いバージョンでかわいいヤツなんだが、それを着ることが許されるのも文化祭終了後の移行期間から。つまり文化祭に相服で来るのは校則違反ということらしい。 
すげえどうでもいい。 
おまけに後で聞いたところ相服を着て来ていたのはオーケストラ部の女子のみだったそうだ。 
オーケストラ部の女子は相服をステージ衣装として採用している。 
オーケストラ部にとって文化祭でのコンサートは正式な発表の場であり、そこに正装である相服を着用するのは至極当然だったわけだ。もちろんそれは生徒の勝手な判断でなく、オーケストラ部顧問の音楽科教師の指導によるものである。 
「校則では禁じられているのに、オーケストラ部だけ特別なのか?!」って議論はあるかもしれない。でもそれは竹定規教師と音楽教師があらかじめ話し合ってコンセンサスを確立すべきことなんでさ。生徒に「校則と部則とどっちをとるんだ?!」って選ばせるものでもないでしょ。 
っていうか、文化祭でオケ部が相服着るのは確か私の時代からそうだったと思うし、なんでその年だけ竹定規教師がキレたのかわからん。 
なんというか、嬉々として相服女生徒を取り締まろうとしたら、単に教師側の話し合いが足りてないだけだったって顛末がお粗末すぎて呆れた。生徒も呆れただろう。だから教師は軽んじられるんだよ。 
そもそも制服ってそんなに有益なものかね?「華美な服装をして余計なトラブルに巻き込まれないように、生徒を守るために」なんて言うけどさ。今時制服の方が危ないと思うんだよな。私は制服を着ている時にしか痴漢にあったことないよ。制服を着ているだけで女生徒(男子も?)が性犯罪の被害者になるリスクが上がるなら、制服は廃止すべきだと思うんだけどな。制服着て学校名を宣伝して歩くと、DQNにカツアゲされるリスクも上がりそう。 
まあ教師にとっちゃ生徒に制服を着てもらった方が楽ではある。校外活動とか修学旅行の時とかね。でも教師なら生徒指導のしやすさより生徒の安全の方をとるべきじゃね?私服によってどんな「余計なトラブル」が生じるのか知らんが、服装自由な中学校なんていくらもあるんだし、制服廃止して性犯罪から生徒を守った方が良いのでは。 
おまけにやれスカートが短いだ、セーターが学校指定じゃないだ、紺のソックスは違反だ、相服は文化祭に着て来るなだ、レベル低いわ。竹定規と同様、「俺、教師になったら制服指導するのが夢だったんだ!」っぽくてきもい。 
あのダッサイ制服を、自分なりに素敵に着こなそうと工夫を凝らすなんてカワイイじゃないか。私は全くそういうのに関心がなく、校則守ってたのも単に制服を素敵に着ようという意欲がなかっただけだし、そのまま成長して今や化粧すらもしない立派な喪女さ。それを思えば、靴下を変えたりセーターで個性を出そうとする子の方が、お洒落で素敵な大人になると思うんだけどな。 
教育実習の最後に担当クラスの子一人一人からメッセージカードをもらったんだが、その中に「スカート短くしてたこと黙っててくれてありがとうございました」って書いてくれた子がいて、かわいかった。 
スカートの長さなんて超ちっちゃなことを気にしてるのを微笑ましく思いつつ、気にせざるを得ない学校という特殊な環境に同情しつつ、低レベルなことに固執する教師にドン引きしつつ。 
私は制服なんてどうでもいいと思っているが、生徒から見れば私は教師で、教師間で生徒指導の方針が矛盾するのは良くない。竹定規教師のやり方に承服しかねるならそいつと議論した上で共通見解をもって生徒を指導すべき。 
でも私はそんなめんどくさいことはしたくないので、教師にはならない。 


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↑のmixiコラムを見て思い出した。 


2013年4月15日月曜日

木蓮


大学の木蓮が綺麗。おいしそう。



スズメかな?



書いてて思い出したけど、小学校の国語の教科書で冬眠明けのクマの母子の話がなかった?
そこで子グマが木蓮の花を食べる描写があった気がする。
木蓮がおいしそうに見えるのは、その文章の影響かな。


2013年4月10日水曜日

下ネタ注意

男性器は大きいほど魅力的、進化に影響も 研究報告 
2013年04月10日 08:48 発信地:ワシントンD.C./米国 

http://www.afpbb.com/article/environment-science-it/science-technology/2938001/10560562 
[記事本文は日記の後にコピペ] 

着衣の習慣があるオーストラリア人女性の好みから、着衣の習慣がない先史時代の女性の好みを推測するのはちょっと無理があるんじゃないかなー。 
「人間の男性の生殖器が他の霊長類に比べて大きい」理由が選択によるものであるとは限らないし、たとえ選択だったとしても当時の女性の好みによるものだとは限らない。 
人間と他の霊長類の大きな違いは直立二足歩行か否かなので、そっちの要因が大きいと思うなぁ。骨格、運動の仕方、重力との兼ね合いとか。交配のスタイルも他の霊長類とは異なるんであって、その独自の仕様に生殖器の形状が最適化されたのかもしれないし。 

ただ、いろんな体格の3Dモデルを被験者に見せてセクシーさを評価させるのはおもしろいね。定量性はないだろうけど、街頭で「ぶっちゃけ大きい方が好きですか?」なんてセクハラアンケートするよりはよっぽどマシだと思う。 

リンクの記事だといかにも「身長が高ければ高いほど、モノが大きければ大きいほど良い!」って書き方だけど、別の解説記事を見るとそうでも無さそう。 
モノの大きさとセクシーさが比例するわけでもないし、ある大きさを超えると逆に魅力的ではないとされたらしい。そりゃそうだよな。何事もバランスだよバランス。 
あとモデルのセクシーさは、身長やモノの大きさよりも「体格」の方が重要らしい。肩幅と腰の比率。キレイな逆三角形の上半身は女性にとって魅力的なんだそうだ。 
まぁ原著論文を読んだわけではないんでわからんけどね。 

「男性器が大きい男性ほど、女性が見つめる時間が長くなる傾向が見られた」ってのは好みと関係あるんかなー?「なんて素敵なシンボルなの!」ってより「うっわデカ!どうなってんのコレ。」って感じでシゲシゲ見ていたんじゃないかと推察。男性だって貧乳派だとしても巨乳のねーちゃんがいたらうっかり見ちゃうんじゃない?私でも見るよ。それと同じじゃないかなー。 

あと、このアホ記事が主張するように「女性は大きいモノを好む」としても、大きいモノの男性が小さいモノの男性よりモテるかどうかは別問題。 

まず記事にもあるように現代社会は着衣の習慣が一般的だ。その状態ではモノの大小など判別できない。顔や体格ならまだしも、モノの大小はまず間違いなくモテ度に関係ない。 
で、モノの大小が関係あるような二人の関係になったとして、そこまでいっちゃったらモノの大小くらいでは二人の愛は揺るがないんじゃないかな。まーこればっかりは好みなんで、私が女性代表としての統一見解を述べることはできないが。でも男性もそうじゃない?そこまでの関係になってから、「でも乳が小さいから別れよう」なんてクズ、そうそういないと思うんだけどなぁ。 

が、モノの大小による二次効果がモテ度に影響することは考えられる。 
例えば大きいモノに対する自信がその男性の堂々とした性格に繋がり、結果的にモテるとか。 
小さいモノに対するコンプレックスが本人の姿勢をも矮小化させて見せ、結果的にモテないとか。 

しかし経験上、大きいシンボルにプライドをかけている男性は大概クズだ。 
なまじご自慢のシンボルのせいで持ち主の性格がダメになるのだから、この場合はモノの大きさとモテ度に負の相関が成り立ってしまう。 

要するにモノの大小はどうあれ、そこにプライドをかけたり卑屈になったりする男性はモテないってことだ。 
女性が好むのは大きな生殖器ではなく、生殖器の大小に振り回されない男性なのさ。 

[以下記事コピペ] 
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【4月10日 AFP】男性器の大きさは女性にとって重要なのかどうか、という永遠の問題の調査・研究に取り組んだ国際科学者チームが8日、その結果を米科学アカデミー紀要(Proceedings of the National Academy of Sciences、PNAS)に発表した。出した答えは「イエス、女性は大きい男性ほど魅力的に感じる」だった。 

 さらに、着衣の習慣がない先史時代の女性は、相手男性の露出した性器が見えるので、より大きな男性を性的パートナーに選んでいた可能性があり、これが人間の男性の生殖器が他の霊長類に比べて大きく進化した要因の1つになっているという。 

 研究者らがこの問題に取り組むことにした理由は、従来の研究が出した答えがそれぞれ食い違っており、女性への聞き方が率直すぎた点に問題があった可能性があるからだという。 

 今回の研究論文の主執筆者で、カナダ・オタワ大学(University of Ottawa)の進化・性淘汰学の博士研究員、ブライアン・マウツ(Brian Mautz)氏は、AFPの取材に「男性器の大きさというのはデリケートな話題なので、女性が答える際にうそをついているのか、『自分を欺いて』いるのか見極めるのは難しい」と電子メールで答えた。 

■男性器長く高身長の男性に魅力 

 そこでマウツ氏らの研究チームは、コンピューターで作成した一般的な男性の人物画像で、身長、体型、弛緩(しかん)状態の男性器の長さなどを変えたものを使用する新しいタイプの研究に着手した。 

 オーストラリア人女性105人を対象に、さまざまな角度から眺められるように回転している、ロボットのような実物大画像を53種類閲覧させた。 

 女性はすべて異性愛者で、女性には男性器のサイズに関する研究に参加していることは伏せて、性的魅力という点から人物画像を採点するようにとだけ指示した。回答は匿名で集めた。 

 その結果、女性らが最も魅力的と評価したのは、男性器が長い高身長の男性であることが明らかになった。 

 また、男性器が大きい男性ほど、女性が見つめる時間が長くなる傾向が見られた。ただしそれほど長いわけではなく、各採点に要する時間は約3秒ほどだった。 

■進化に影響も 

 では、どのくらい大きければベストなのか――この疑問に関しては、今回は答えは出なかった。「理想的な(すなわち最も魅力的な)男性器の大きさや長さについては明らかにならなかった」とマウツ氏は説明する。「魅力という採点項目の得点は、これらの特性が最大値に至るまで増え続けていた」 

 研究によると、今回の結果は「大半の女性は男性器の大きさを重要視しないという主張を真っ向から否定する」ものであり、人間の男性が他の霊長類に比べて大きな生殖器を持つ傾向が見られる要因を示唆するものだという。「女性による配偶者選択が、人間男性の比較的大きな性器の進化に影響を及ぼした可能性があることが今回の結果で明らかになった」「着衣の習慣がない時代では、格納式ではない人間の男性器は、相手を探している女性にとって目に付きやすいポイントだったのだろう」 

 今回の論文では、男性の人種的背景とそれが男性器の大きさに影響を及ぼすかどうかは言及されていないが、研究の対象とした女性の民族性と年齢に関しては明確に記載されている。研究対象の女性の7割強が欧州系、2割がアジア系、7%がその他の人種で、平均年齢は26歳だった。 

2013年4月8日月曜日

ディズニー談 vol. 2

「ノートルダムの鐘」のDVD借りた。 
何回か見ている作品なので、今回は英語字幕に挑戦。 
英語が理解できているかはわからないけど、内容は理解できた。 

私はディズニーアニメの中でノートルダムの鐘が一番好きなんだけど、改めて観てもやっぱり素晴らしい作品だ。以下ネタバレ自重しない。 

なんといってもオープニングがすごい。これだけで映画一本観たかのような充実感。 





歌詞もいいね。韻を踏んでいるところとか、「~~~ノートルダーム♪」ってところがいい。日本語吹替も頑張ってるけど、やっぱりこの歌詞の良さは英語ならではだね。 
この作品は何と言っても音楽が素晴らしいね!一曲一曲も素晴らしいし、全体の統一感がいい。 
ストーリーに関しても全体のまとまりっぷりがすごい。完成度が高い。鑑賞後の充実感がヤバい。 

ディズニーアニメなのでもちろん全年齢対象なんだけど、その割にこの作品は包み隠さずえげつない。血も涙もない。だがそこがいい。 
悪役フロローがあまりにも悪役なのはいいんだけど、それよりパリの愚民が怖い。主人公のカジモドが公開暴行ショーされてるときは大喜びではやし立て、ラストシーンでカジモドが大聖堂から出て来たときには喝采して迎える。えげつないわー。 

あと今回見直してみて気づいたけど、カジモドもちょっとおかしい。精神遅滞気味というか。それが先天的なものなのか、20年間の監禁によるものなのかわからないけど。 
パリの街が燃えているというのに、好きな女性が自分に惚れているかもしれない、また会いに来てくれるかもしれないと妄想炸裂してるのがグロい。「千と千尋」のカオナシを彷彿とさせる。聖なる愚か者。 
人並み外れた怪力の持ち主っていう設定も、精神障害から脳のリミッターが切れてるせいだとすると重い。 

フロローは弁解の余地なく悪役なんだが、自分の正義を盲信しているところが逆にリアリティーを感じさせる。 
ディズニーに限らずお子様アニメの悪役は自分が悪いという自覚があるというか、別に正義であろうという気もなくて自分の欲望に忠実なだけなんだが、フロローは違う。 
パリのためだから、それが正しいことだから、やる。 
パリを汚すジプシーを炙り出すためにパリ中を燃やすという本末転倒っぷりに気づかない狂気。 
ヒロインに対する情欲を止められない。自分がこんなに苦しんでいるのはあの女が魔女だからだ。だからあの女を火炙りにしよう。でも彼女が悔い改め、自分のモノになると言うなら赦してやる。パリの判事として、下々の者には寛容にならねばな。 

きもいわ。だがそこがいい。 

あとヒロイン・エスメラルダはイイ女。ディズニーのヒロインは大概清らかなお姫様である一方世間知らずな少女なんだけど、エスメラルダは大人の女性。 
物を知らないから清らかでいられる少女と違って、エスメラルダは世の中の汚い部分を色々経験しつつ、それらを飲み込んでなおも清らか。 
エスメラルダは主人公カジモドでなく別のイケメン・フィーバスを恋人として選んでしまうんだが、そりゃそうだよなと思う。別にエスメラルダが面食いだからじゃない。カジモドは未だ自我が確立していないお子様だから、恋愛対象になり得ないのだよ。 
エスメラルダは守るべき弱者として、あるいは信頼できる友人としてしかカジモドを見ていない。カジモドにとっては思いっきり性の対象だがな。 

子どもの頃に観たときは、カジモドに感情移入するばかりでフィーバスにはあんまり関心がなかったんだけど、改めて観てみるとエスメラルダ&フィーバスの恋模様もかなり丁寧に描かれているんだね。フィーバスは普通にヒーローだ。いわゆるディズニーアニメの王子様って感じ。カジモドに対して人として男として対等に向き合っているし。イイ男だ。 

ずっと鐘楼のてっぺんに閉じ込められていて、パリの街を見下ろしながらずっと自分も「普通の人間」として交わりたいと思っていた彼が、少女に顔を触れられたことで涙するシーンに号泣。 
やっぱり汚いシーンを汚く描くからこそ、感動が心の奥まで届くんだと思う。 
VPS