2016年5月24日火曜日

「軍艦『伊吹』の建造」5

5. 暗部

みんなで楽しくフネをつくりました。

では終わらないのがこの作品。

激務のせいで睡眠時間が全く取れず、ヒロポンが手放せなくなっていく主人公。
ヒロインを完全なる「部品」とするために、薬(これもヒロポン?)を使おうとする大人。
身体の一部をフネに捧げた穂村。
フネ建造に際して決してゼロにはできない死亡事故や重篤な健康障害。
フネはヒトを喰わずには完成しない。

そういう暗部も丁寧に描いているからこそ、この作品は立体的なんだと思う。



6. おまけ

アケミさんがカナメさんと結婚してホムラになっていることにニヤニヤ。
アケミさんの思いがパラレルワールドで遂げられたのだね。おめでとう。

穂村くんの来歴は、書籍化に際して加筆されたものかもしれないけど、もし初出の2011年夏からあったのだとしたら、驚異的なスピードで作品が書かれたことになる。
だって元ネタのまどマギが放送されたのは2011年1月〜3月。
特にアケミさんとカナメさんの因縁が明らかになるのは物語の最後の方で、しかも東日本大震災のおかげで最後の2話が放送されたのは4月以降だった。
だからこのネタが初出時からあったなら、ものの数ヶ月でこの大作が書かれたことになる。
しかも被災しながら。
原稿のデータは津波に持ってかれなかったってことかな……それにしたってすごい。

「軍艦『伊吹』の建造」4

4. ヒロインが魅力的

以下盛大なネタバレなので、未読の方注意。

本作に女性キャラはほとんど登場しない。
せいぜい行きつけの食堂の女将と、そこの看板娘。各自の奥方。その程度。

フネづくりは男の現場。
風の中のすばる、砂の中の銀河。
女子供に用はない。
この作品にヒロインはおらんのだな……いや違う。フネだ。軍艦『伊吹』そのものがヒロインなのだ。

と思ってた。思ってたのに。
残すところ4割を切ったあたりでにわかに登場したよ!ヒロインが!人間のヒロインが!
え、今?今からヒロイン出すの?マジで?

しかもそのヒロイン、

・女子高生(女学生)
・なのに海軍所属、階級は准尉
・理由は彼女の神通力が、厳しい戦局を打開する可能性を秘めているから

もう、典型的ヒロイン。ヒロインの属性盛り合わせ。

この作品はファンタジーであると前述したが、それは魔法使いや宇宙人が出てくるという意味ではない。
架空の巨大軍艦、巨大対空砲に寄せた「男のロマン」という意味でファンタジーと言ったのだよ。

しかしそうか……これまで綿密な考証を重ね、存在しない鎮守府、存在しない軍艦を、史実と見まがうリアリティで描き出していたのに……「魔法系ファンタジー」にしちゃうんだ……。

と不安に思ったのも束の間、このヒロインがなかなか良い。作品にうまく馴染んでいて、苦しい戦局・資材も人手も足りない現場、という終盤のつらい状況をふっと柔らかくするんだよね。

昔読んだ「鉄塔 武蔵野線」という小説を思い出した。
日本ファンタジーノベル大賞受賞作で、映画化もされている。主演は子役時代の伊藤淳史。
この作品、小学生が送電線を支える鉄塔をひとつひとつ観察しながら、その源泉である発電所を目指すという実に地味なストーリーで、ファンタジー感の欠片もない。
でも最後の最後で、この作品がなぜ「ファンタジーノベル大賞」なのかわかるような、大どんでん返しがある。

そんな感じで、「軍艦『伊吹』の建造」の突然のファンタジー転向もこの作品のおもしろさを邪魔しない。
むしろ、中盤から終盤にかけて物語の良いスパイスになっている。
まあ大型対空軽巡洋艦も超巨大対空砲も言ってしまえば魔法みたいなファンタジーだし、「神通力少女」が登場したくらいでガタガタ言うのは野暮かもしれん。

男だらけの環境に突如舞い降りた天使系ヒロインは「ありがち」であるし、私はそういうヒロインにイラッとすることが多いのだが、不思議とこの作品にはイラっとしない。
なんでかなぁ、といろいろ考えたんだけど、今のところの答えは

(1) 登場人物の誰一人としてヒロインに性的な要求をしない。
(2) 著者もヒロインに性的な要求をしない。

ってとこかな。
ロリコン大国日本において、「女子高生」を性的対象視しないフィクションは極めて稀と言わざるを得ない。
しかし成人男性が自分の歳の半分以下の少女を(プラトニックであれ)性的対象視する様は、リアルでもフィクションでもキモい。
表現の自由は担保されるべきだし、その創作物によって直接の害を被る児童が存在しないのはわかる。
でも世に溢れる「子どもを性的対象視する創作物」が、子どもを性的に消費することを肯定し、助長することを、製作者は自覚すべきだと思う。

最近気になったのが「僕だけがいない街」。すごくおもしろかったんだけど(原作未読)、アラサー男性の主人公とバイト先の女子高生の関係には引っかかった。なにかと主人公にかまいたがる女子高生を、主人公は「うるさい女」と煙たがるんだよね。うるさいガキ、じゃなくて、うるさい女。別に「女」呼ばわりしたからって、主人公が女子高生によからぬ想いを抱いていることにはならないのだが、主人公にとって女子高生は「子ども」ではなく「女」。そして案の定、アラサー主人公と女子高生は恋愛っぽい関係になる。実にキモい。

話を軍艦伊吹に戻す。
妻帯者である主人公はもちろん、周囲の成人男性の誰一人として、ヒロインを女扱いしない。徹頭徹尾子ども扱い。またヒロインも周囲の成人男性に対してセックスアピールをしない。ヒロインの言動を性的に解釈するバカがいない。実に尋常な職場環境である。

作品の成人男性がヒロインを性的対象視しないのは、著者がヒロインに性的な役割を要求していないからだと思う。
特徴的なのが、ヒロインの外見的描写がほとんど無い点。
素人作品やラノベにありがちなのが、とにかく筆を尽くしてヒロインの美しさを描写したがること。
著者の脳内には超絶かわいい萌えイラストがあり、「みんな!ぼくのかんがえたさいきょうのヒロインを見てくれ!」と言わんばかりに書きまくる。
目が大きいの、それが好奇心でキラキラしているの、透き通って青みがかっているの、髪は黒よりもなお黒く艶やかだの、小柄で華奢なのにおっぱいが立派だのなんの。

そういうヒロインの描写が本作には無い。でも、たとえば
「髪は切れとは言わないから、まとめて服の中にいれて首にタオルを巻きなさい」
という主人公のセリフでヒロインが長髪であることがわかる。
主人公らが頻繁にヒロインの頭をポンポンと叩くことで、ヒロインの頭が叩きやすい位置にある、おそらく平均以下の身長であることがわかる。まあ高身長でも叩けないこたないけど。
そして「フネの部品」として『伊吹』に乗り込むのに、顔面の美醜は関係ない。だから言及しない。

美醜が言及されていないからといって、読者があえてブサイクを想像することはあまりないだろう。
ヒロインは概ね、「ブス」の記述が無い限り「美人」である。
「ぼくのかんがえたさいきょうのヒロイン」を押し付けるのではなく、読者に各自の「ヒロイン」を想起させる。これはマンガやアニメにはできない、文章独特の表現方法だと思う。

ヒロインに「著者の理想の女」であることを要求しない。描写は最小限にとどめ、あとは読者に任せる。
実に潔い。

余計なセクシャリティを省いたことにより際立つのが、ヒロインの巫女性。
私はセックスシンボル*としてのヒロインにはイラっとするのだが、シャーマンとしてのヒロインは大好物。なにせ中二病だから。
(*幼児性を性的魅力に数えているタイプのヒロインが生理的に無理。峰不二子みたいのは好き。)


しかも少女の「特別感」を持ち上げ過ぎないところにリアリティがある。
つまりその少女は特殊な血を引く者でも、世界で唯一の異能者でもないんだよね。
とある新型機器を扱うのが「今のところ」一番うまい少女。
新型機器の性能が確認され、『伊吹』以外のフネにも搭載されることになれば、誰でもコントロールできるようヒトの訓練とキカイの開発が双方進められることになるだろうが、今回『伊吹』に試験的に搭載するにあたっては、最も安定して結果を出すことができる少女を「とりあえず」乗せる。
このギリギリのラインが私好み。
そしてシャーマンの能力として外せないのが「人外との交感」。
洋の東西を問わず神と交感する巫女。FFでは幻獣と交感する召喚師。
今作のヒロインが交感するのは「フネ」そのもの。
フネが昔から「女性」であることを考えれば、『伊吹』の進水と同時にひょっこり現れた不思議な少女は「『伊吹』の化身」と言えるのかもしれない。
本当にうまくできている。

どうやらこのヒロイン(及び軍艦『伊吹』)は、別の著者によって書かれた前作に登場するらしい。
前作と言っても物語の時系列としては本作の後。本作で建造された『伊吹』が海戦で活躍する様を描いたのが前作。おそらくヒロインも得意のエレクトリック神通力を駆使して奮戦するんだろう。そっちも読んでみたいな。

で、人間のヒロインを登場させながらも、「主人公にとってのヒロイン」はやっぱり軍艦『伊吹』なんだよね。そこにうるっときた。

「軍艦『伊吹』の建造」3

2. 日本語が美しい

何の違和感もなく、どこにも引っかかりを感じず、すーっと頭の中に入ってくる文章。
これ簡単なようでいて、かなり難しい。
私には書けない。
扱っているテーマがテーマだけにいかつい文体になりそうなものだが、とても柔らかくて読みやすい。
そして情景描写がものすごくうまい。
情景描写を「頭の中にある美麗なアニメ映像を文章で説明するぞ!」と勘違いする素人やラノベ作家は多いが、彼の文章は違うんだよね。
気負いがないというか、自己陶酔してないというか。
外連味のない素朴な文章なんだけど、それが何の抵抗もなく頭の中に入って、鮮やかな映像として再構成される。
何が違うのか、どうしたらそんな文章が書けるのかわからない。
説明し過ぎないのが良いのかな。行間を読ませる技術というか。

樺太の凍り付くような寒さ。
ぞっとするほど巨大な主砲。
事故の臨場感。

なんかこう、五感に訴える文章だった。



3. わかりやすい

扱っているテーマがテーマだけに、少々難解なこの作品。
でもリアリティを保ちながらこれ以上わかりやすく書くのは無理だと思う。

登場人物が多すぎる。日付や場所が飛び飛びになる。
いくら易しい日本語で書かれているからって、「正式な文書」は当時風の、漢字とカタカナのみで構成されており、目がシパシパしてくる。数値や単位も多く、しかも当時の表記で書かれているのでとっつきにくい。

ので、正直読み飛ばしてる。すまん。
いや、あれだよ、エヴァのオペレーションルームの緊迫したやり取りを一言一句聞いてるかい?聞いてるか、そうか。
マンガの「アベシ」とか「ヒデブ」とかを一言一句逃さず音読するかい?読むか、そうか。
まあ私はそれらと同じように、雰囲気を掴むだけにとどめて、テンポ良く読み進めることを優先した。
書き手にとってその数字は、その表記法は、綿密な考証によって練り上げられた大切な大切なデータなのかもしれんが。
ごめん、そこまでフォローできてない。

というわけで私はこの作品を「わかっていない」のだが、なぜかわかった気になっている。
それはこの作品には太い軸が存在し、時間や空間が飛ぼうが、上司がコロコロ変わろうが、命令文書や数字の意味がイマイチ分からなかろうが、物語の内容が一切ブレないのでちゃんとついていけるからだと思う。

大型対空巡洋艦『伊吹』が計画され、建造され、そして主人公の手を離れるまでの物語。
『伊吹』建造を通して主人公が見てきた第二次世界大戦。

作品の内容はそれだけ。

大風呂敷を広げ過ぎない。過不足のない、簡潔な内容。
だから細かいことがわからなくても、迷子にならない。

あと、すごくシンプルだけどうまいなぁと思ったのは、場面が転換するたびに「日付・場所」が同じフォーマットで本文外に表記されること。
日付・場所の情報を読者に与えずに場面がポンポン飛ぶ文章が難解なのは当然だが、その情報が本文中にあるのも結構探しにくい。
今読んでいる部分だけなら把握できるが、「あれ、なんで主人公は東京に来たんだっけ?」「いつから東京にいるんだっけ?」となったとき、インデックスのように表記されている「日付・場所」はすごく便利。作品の理解の助けになった。

それから巻末の簡易年表。
本文は場面転換が多く、数ヶ月から一年近く開くこともある。
章が変わるたびに上司の名前が変わり、戦局が変化し、主人公たちの置かれた状況も変わる。
それがわかりにくさのひとつではあるが、しかしその間を連続的かつ冗長な文章で埋めればわかりやすくなるのかというと、それも違う。
ここで役立つのが簡易年表。本文の「点」を簡易年表の「線」で繋ぐ。

「日付・場所」のインデックスと簡易年表のおかげで、私は「わかりにくい」作品をわかったような気になれた。まずは主人公、一(にのまえ)君がいつどこにいて何をしているのかさえ分かればOK。

「軍艦『伊吹』の建造」2

前の記事では簡潔にと言いながら随分冗長な文章になってしまったが、ここからはさらに冗長に。

1. リアリティがすごい

どこまで史実で、どこからフィクションなのか全くわからない。
むろん、私が浅学のため史実をよく知らないというのも大きいんだけど。
浅学過ぎて「へー、樺太にも鎮守府があったんだー」なんて信じてしまったじゃないか。
いや、私を嗤うのは待って欲しい。なにも
「むかしむかし、樺太には旧日本海軍の鎮守府がありました。」
って書いてあったのを鵜呑みにしたわけじゃない。
樺太に鎮守府が創設されるに至った背景、樺太ならではの苦労(冬は流氷で固まるから砕氷艦に航路を開いてもらわないと動けないとか、冬期は屋外の作業ができないため工期の短縮はほぼ不可能とか)、鎮守府ができたことで栄え、戦争状態に入ったことで活気を失う豊原の様子が、まるで見てきたように描かれているんだよ。

今でもどこからフィクションなのかわからない。
造船施設があったのは本当なの?砕氷艦はつくってたの?
大泊飛行場はあったの?それもフィクションなの?
そもそも大型対空軽巡洋艦『伊吹』はフィクションなの?
フィクションなら、扉絵の110号艦の図は既存の資料ではなく完全自作なの?
B67計画は?一応そういうものはあったの?それともBも67もテキトーにつけたの?

わけがわからないよ……

前作(同じく『伊吹』を描いた同人作品。著者は別。)を読めばわかるのかな……わかんねーだろうな。

というわけで、途中から「全部フィクション。この作品はファンタジー。」と割り切って読むことにした。

でもこの作品の中にも確実に「フィクション」ではない部分がある。
それは「フネのつくり方」。
計画、設計、模型を使った試験、艤装の開発を担当する他機関との連携、原図おこし、盤木の組み立て、ぎょう鉄、溶接、進水、海上での建造、艤装、種々の試験、そして竣工。このほかにも数多くの工程があり、その全てに各分野のスペシャリストや、この道何十年のベテラン職人が携わり、数えきれない人々の力でひとつのフネが完成する。

艦これだったら戦艦大和ですらせいぜい8時間、バーナーで炙れば一瞬でできちゃうのにな!

それをマニアがマニアの言葉で説明するのではなく、私のようなズブの素人にもわかる平易な言葉で、懇切丁寧に、嫌味なく解説してくれる。それも単なる箇条書きではなく、フネづくりに携わる人々が実に生き生きと、体温を持ったユーモラスな人間として描かれている。

喫水下の隔壁ができてくると、おいそれと移動できなくなり、担当箇所に弁当を持ち込んで一日籠城を決め込む者も少なくない、とか。
進水は後ろ向きですべり台を降りるように、艦尾から海に入るが、その際海に入った艦尾が浮力を受けて浮くため、まだすべり台の上にある艦首がすべり台に押し付けられる形になる。そうなると艦首は細くて脆弱なので、破損してしまう。だから進水時はあえて艦尾を重くして浮きを防ぎ、艦首が破損しないようにする。とか。

学んだ。

「軍艦『伊吹』の建造」1

友人が一昨年出版した著作を去年購入し、先日読み終わった。
作品自体の初出はコミケのC80?だったそうで、ぐぐったら2011年8月とのこと。
って、ちょっと待って。その友人は東日本大震災時、石巻の沿岸部にお勤めで、自宅から職場から新車から全部流されたと聞いたんだが。そのわずか5ヶ月後に著作物を出品ってこと?すごすぎる。

そういうわけで、5年前の作品に対して今さら感満載だけれども、感想を書く。
まずは簡潔に。



「風立ちぬ」の10倍面白い。(ジブリアニメの方。原作未読。)



作品の面白さを説明するのに他作品をsageるのはあまり品の良いものではないし、褒められた方も気分は良くないと思うんだけど、簡潔にしようとすると私はこういう言い方しかできんのだ、すまん。

なぜ「風立ちぬ」を引き合いに出したかというと。
「軍艦『伊吹』の建造」というタイトルがタイトルなので、軍艦に興味のない人はまず手に取らない作品なんだよね。たぶん。
私も読む前は、軍艦伊吹の建造に関する研究報告的なものかと思ってた。
だから2011年夏は彼のSNSにコミケや著作に関する日記がアップされていたはずだし、飲み会でも話題に上ったはずなのだが、全く記憶にない。関心がなかったから。すまん。

でも実際本作はまごうかたなき「小説」だった。
それも軍艦マニア向けのニッチな作品ではなく、「大衆小説」だった。

「風立ちぬ」は零戦とかよくわからん、戦争モノは暗いし怖いから苦手、という私でもすごく楽しめた。主人公らの職人魂・研究者魂に胸打たれたし、ユーミンの「ひこうき雲」にのせてエンドロールが始まったときには号泣したし、ジブリアニメの中でも最も好きな作品のひとつ。
しかし「軍艦『伊吹』の建造」はその上を行く。

たとえるなら、「風立ちぬ」の舞台を空から海に移し、カプローニと菜穂子をばっさりカットした上で、その尺を全て「仲間と議論しながら零戦を開発するシーン」に充てた感じ。

おもしろそうでしょ?おもしろいんだよ。
同級生の欲目ではなく、同人作品の「わりには」よくできているでもなく、本当におもしろかった。

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