2011年12月25日日曜日
がんばった自分へのクリスマスプレゼント(笑)
私が持ってるたった2本のズボンの、その両方ともが立て続けに破れた。
1本はひざの部分が、油断すると穿くときに足を通してしまうくらい大きな穴があいた。
もう一本は股間(イヤン)に2、3の破れ目が。
ひざが破けた方は某F氏を笑えないくらいみすぼらしいが、股間の方は普通にしてれば見えない位置なので(きわどいだけに)、しばらくそれで耐えた。しかしいつ大事故が起こらんとも限らんので(しゃがんだ瞬間尻まで裂けるとか)、今日大学の裏のショッピングモールで買ってきた。2本。
ついでに夕飯を買い出ししようと思ってスーパーに行き、ローストチキンとか買っちゃおうかなと考えたが、家族連れやカップルで溢れ返る店内に、パーティー用のお惣菜やらケーキやらシャンパンやらが咲き乱れていて、そのあまりの幸せ臭にあてられ、いつもと同じ弁当を買ってそそくさと退散した。
2011年12月7日水曜日
原発18 放射性セシウム入り粉ミルク
久しぶりの原発事故関連。
http://www.sponichi.co.jp/society/news/2011/12/06/kiji/K20111206002186670.html
乳児用粉ミルクに放射性セシウムが入ってたってやつね。
とくダネでは何かの専門家の大学の先生をお呼び立てしてたけど、彼の話には全然納得いかない。特に引っかかったのはこの部分。
「成人男性の体内にある放射性カリウムの放射能?は約4000ベクレル。だからミルクの30 ベクレル/kg くらい大したこっちゃない。」
言葉は正確でないけど、要するにこういうことを言っていた。
でも「放射性カリウムはこれだけあるんだからこれっぽっちのセシウムでガタガタ言うな」っておかしいよね。
「ベクレル」という単位は線種とは関係ない。線種(α線とか中性子線とか)によって、人体に及ぼす影響が全然違う。体内にある4000ベクレルもの放射性カリウム、粉ミルクに含まれる放射性セシウム、それぞれどんな放射線を出すのか知らないけどさ。あんな言い方だと、
「人体にはもともと粉ミルクの133倍(=4000÷30)もの放射性物質が含まれているのだから大丈夫」
って聞こえるよね?そんな数字マジックに誤摩化されるほど視聴者はバカじゃないよ。
ついでに先生は4000 ベクレル/kg じゃなくて 「成人男性一人当たり4000ベクレル」と言ってた。となると密度にして約67 ベクレル/kg (4000ベクレル÷60 kg)ってことだよね?
成人男性の放射性カリウム→67 ベクレル/kg
粉ミルクの放射性セシウム→30 ベクレル/kg
言うほど変わんなくね?まあこの計算自体ナンセンスだけど。
まして粉ミルクを飲む乳児の体重は成人男性の10分の1くらいだよね。放射性セシウム入り粉ミルクから受ける被曝の影響は成人男性のそれと比較にならないほど甚大なのでは。
おまけに放射性セシウムの半減期は(核種によるけど)30年。産まれた赤子が60歳になっても、4分の1のセシウムはまだ放射能がある。いやもちろん代謝で抜けるだろうから、飲んだ粉ミルクのセシウムのうち4分の1が体内で放射線を発しているわけじゃないけどさ。でもセシウムは体内に蓄積しやすいって言うもんね。その間ずーっと赤子の内臓に放射線を浴びせ続けるわけだよね。線種は知らんけど。
それからさ、今回は「放射性セシウム」の有無を調べただけだよね?粉ミルクに含まれる放射性物質を全て調べたらセシウムだけが検出されたってわけじゃないよね?だからさ、放射性ストロンチウムとかも普通に入ってんじゃないの?ストロンチウムはカルシウムに似てるから骨に取り込まれるらしいよ。そしたら代謝で排出するのはほぼ不可能。そこから直に、白血球などを作る骨髄などへ放射線を浴びせるわけだね。
だいたい、「国内の基準である200ベクレル/kgは大きく下回っている」なんつってさ。原発ぽぽぽぽーんの前の国内基準は「10ベクレル/kg」だからね。震災前なら1ベクレル/kgでも出たら大騒ぎよ。いわんや30ベクレル/kgの粉ミルクをや。
しかも基準を変えた当時は「国の暫定基準値」って呼んでたのに、今日は普通に「国内基準」つってスルーしてたからね。おっそろしいわ。
200ベクレル/kg以下なら安全かどうかなんてわからないよ。直ちには影響出ないだろうけど。「直ちに影響出ない」程度の被曝量と数十年間の発ガン率や染色体異常を抱える赤子の出生率との相関関係の実験データなんて存在しないでしょ。あったら教えて。ていうか、今の日本がその実験台になってると思う。全世界が今後数十年に渡る日本人の健康状態に関心を寄せているはず。
ええと、長々書いてきたけど、今日のとくダネを見て一番怖かったのが、
放射性セシウム入り粉ミルクが安全であるとする根拠があまりに杜撰。単位マジックで視聴者を騙しているとしか思えない。
↓
つまりそうやって誤摩化さないことには「安全」とは言えない。
平たく言うと「危険」ってこと。
この件はもちろん「明治の不祥事」ではない。自主的に検査してきちんと発表し、全品交換に踏み切って、できるだけのことはしていると思う。赤ちゃん用の食品だけに、すごく誠実な対応だと思う。でも買わないよね。株価も下がるよね。それが消費者の本音だもの。こうなるからみんな隠蔽するんだろうな。
話は変わるけど。
「子どもに放射性物質を投与したくないから、水道水じゃなくてミネラルウォーターでミルクを作っていたのに、粉ミルクにまでセシウムが含まれているなんてどうしたら・・・」
と、赤子を抱えるお母さんが話してたけどさ。
ミネラルウォーターは安全なんだろうか。いつどこで採水されたものなんだろうか。
もう日本にいる以上、原発由来の放射性物質を口にしないことには生きていけないと思う。
外部被曝に関しては事故後しばらく西日本にいた人ならまあ大丈夫だろうけど、内部被曝はたとえ沖縄にいても避けようがないんじゃないかな。
今回の粉ミルクの他にも、ときどき放射性物質が検出されては大騒ぎになってるけどさ。絶対それだけじゃないよね。
検査もされずに市場に流れている放射性食物は当然たくさんあると思うよ。検査しても結果が隠蔽されているものも多いだろうし。産地偽装も横行しているし(とくダネで、福島かどっかの農家のインタビュー画面に、熊本産と書かれた米袋が普通に映ってたのには笑った。あれ結局どうなったんだろう。)。家畜の試料とか、調味料とかになるともうわからないよね。特に魚系は本当にヤバいんじゃないかな。個人的には福島県沖にはプルトニウムがだだ漏れになっていると思っている。怖いから誰も調べないだけで。
魚は泳ぐから、水揚げされたのがどこでも福島県沖を通過しているならアウト。練り物とか加工されちゃうともう日本全国どこでも出回るし。そういうものを食べたお母さんの母乳も当然汚染されてる。
だから、日本にいる以上はもう無理。被曝は避けられない。
地震大国にアホみたいに原発建てまくったのは自民党。
いざ事故が起こると、チェルノブイリみたいに現地の人を犠牲にして徹底した封じ込めを行うのではなく、「みんなで仲良く被曝しましょう」というソ連もびっくりの社会主義的な政策を取ったのが民主党。
そして直ちには出なかった影響が出始めた数十年後、やつらは全員死んでる。か、悠々自適の隠居生活。
「国のせいでガンになった!補償しろ!」ってキレても、そのときの総理大臣自身被曝によるガンだったりして。
理不尽だ。
がんばろう日本!
あと原発はやめた方がいいと思う。
2011年11月13日日曜日
Belch
2011年10月19日水曜日
ちはやふる
私はアニメが好きなんだが、「おもしろい」と評判のアニメを放送終了から数ヶ月〜数年後にDVDやネットでまとめて鑑賞するのが常だった。
でも「ちはやふる」は何の前評判も聞かずに、たまたまTVで観た第一話があまりにおもしろかったので、リアルタイムで見続けている久々のアニメだ。なんか他人の評判でなく、自力で発掘した気がして嬉しい。
原作は人気の少女漫画だそうで、「自力で発掘」と言っては「いやもともと有名だし。」と突っ込まれそうだが。私にとっては自分で見つけた良アニメなのだよ、うん。
福岡では今週第二話の放送が終わったばかりだけれどね。最終話まで欠かさず観たいな。大河ドラマ『江』はなんかダレてしまって切っちゃったし。今後は毎週このアニメを観ることを生きる希望にしよう。
ストーリーは「競技かるた」を題材にしたスポ根青春モノで、日本伝統のマイナーゲームを取り上げたという意味では「三月のライオン」や「ヒカルの碁」などと近いかもしれない。なんで深夜放送なんだろう。エロも萌えもない、爽やか青春ストーリーなのに。むしろ子どもが観る時間帯にやった方が、百人一首の布教になっていいと思うんだけどな。
知らない人にはおすすめ。アニメも原作もおすすめ。
知ってる人はご一報を。一緒に語ろう。
2011年10月16日日曜日
2011年10月1日土曜日
2011年9月23日金曜日
スマートフォン
パソコンみたいにネットが見られる!→パソコンでいいじゃん。
しかも電話もできる!→携帯でいいじゃん。
と思ってきた私も、ついにスマホを導入した。一ヶ月くらい前に。
しばらく取説とにらめっこしたり、Google先生に相談したり、アプリ入れたり消したりしてたが、概ね落ち着いてきた。で、今のトップ画面がこんな感じ。
恥ずかしげもなく痛スマホ。いいじゃない。ミク好きなんだもの。
一番楽しいのは自分好みにカスタマイズできるってとこかな。まあ要は八百万のアプリの中から好きなものを入れていくってだけなんだけど。
そうそうスマホ「だから」便利ってことでもなくて、買った直後は「ソフトウェアの入ってないパソコン」みたいな感じなんだよね。ただの箱。まあもちろんブラウザ、電話、アドレス帳、メール関係のアプリはデフォルトで入ってるんだけど。それすらもっと性能のいいアプリが出回っているわけだが。
まあそんな感じで、空っぽの箱の中に、自分の使用目的に応じたアプリをどんどん入れていって、「自分だけのスマホ(笑)」を作る、というわけだ。
とはいえ、私がスマホでしたいことはネット、動画閲覧、メール、電話くらいなもんで、そこにワンセグと赤外線通信という「携帯電話らしい」機能が残っていればそれでいいんだけどね。友人はかなり使いこなしてて、実験データやら読みかけ論文やらみんなスマホに入れていて、いつでもどこでもデスカスできます!って状態らしいのだが。私にとっては高額のオモチャのようなもの。
高額といっても、若干前の機種であることとキャンペーン中であること、さらにもともと Pocket WiFi を使用していたことから、購入にかかるコストはゼロだった。月々の使用料も2千円くらい安くなりそう。なんか詐欺みたいだけど多分大丈夫。まあスマホに変えた決め手はそこなんだけどね。
Au 回線を使わずにPocket WiFi でパケット通信をするので、携帯のメールアドレスはほとんど使わなくなった。もともと携帯に届いたメールはgmailに転送してあるので問題ないのだが。なのでここを見ているリアル知り合いのみなさま、私に連絡を取りたいとき、携帯でもgmailでも私に繋がる早さは変わらないのでよろしく。携帯アドレスでも全く問題ないのですが、いずれにしろ私はgmailを介して受け取っています。
他に携帯よりもスマホが良い点は、ネットが見やすい、動画が見やすい、gmailに繋ぎやすい、mp3がそのまま着信音等に使える、などなど。
悪い点は電池の消費がものすごい(一日でなくなる)、タッチパネルに不慣れ(手が多汗症だし)、電話が快適ではない、など。快適ではないというのは、若干重くて持ち続けるのが辛いということとパネルに顔の皮脂がついてしまうこと。
なので家にいる時はハンズフリーで話してる。こうすると電話を持たなくていいし顔につけなくてもいいものね。
もし私と電話するとき私の声が遠いとか、こちらの声がこだまして聞きづらいとかいうことがあればすぐに指摘してください。
以下、私が入れたアプリの紹介。興味ない人はここでお別れ。Android スマホを使っていて、他人がどんなアプリを使っているのか気になる方は参考までに。
・ Opera Mini: ブラウザ。デフォルトのより使いやすい。
・ Quick System Info: Windows で「Ctrl+Alt+Del」で出てくるアレみたいな感じ。CPUやメモリの使用状況がモニターできるなど。
・ Fast Reboot: Quick System Infoとセットで入れた。裏で立ち上がってるよくわからないアプリをばっさり切るってこと?なのかな。よくわからんけど、こいつのアイコンをタップするだけでCPUとメモリの使用率がガクッと下がる。
・ Swipe Pad: 普通は何かのアプリを立ち上げているとき他のアプリを立ち上げる時は一旦ホーム画面へ戻らなくてはならないのだが、このアプリを使うと直接別のアプリを起動できる。
・ LauncherPro: ホームの壁紙とかアイコンの配置をカスタマイズできる。でも私が重宝しているのは「必要ないアプリを表示させない機能」。
Auのスマホってゴミみたいなアプリがデフォルトで山のように入ってるんだよね。しかも不快なことに、そういうプレインストールアプリはアンインストールできない。GREEとかTwitterとかすげぇ邪魔。なのでこのアプリを使ってメニュー画面に表示させないようにした。本当はアンインストールできたらいいんだけどね。
・ Antivirus: まあ一応。
・ TkMixiViewer: ミクシィのアプリは他にもあるけど、私はこれがお気に入り。
・ NicoRo α版: ニコニコ動画のアプリは他にもあるけど、私はこれがお気に入り。
・ 青空読手: 青空文庫のアプリ。最近『吾輩は猫である』を通読中。
以上。YoutubeとGmailのアプリはデフォルトで入ってる。
2011年8月16日火曜日
9月2日 タシケント帰還
8時起床、朝食。
街をうろうろすると、メイド服姿の女の子を発見!それも大勢。しかも小学校低学年からハイティーンの少女まで。そういえば街ゆく男の子たちも白くて糊のきいたYシャツに蝶ネクタイをしてめかしこんでいる。なんだなんだ?
と、思い至ったのは、昨日は祝日で今日は9月最初の平日だということ。きっと今日は夏休み明けの始業式。ウズベキスタンでは学校の特別な行事に正装(女の子はメイド服)を着用するのが決まりなのでは?
奇しくもウズベキスタン最後の日に、ウズベキスタン初日の謎が解明されるとは。
12時にチェックアウトし(60 ドル)、タクシーに乗って長距離タクシーの乗り場へ(2000 cym)。そこでタシケントへ行くタクシーに乗り換える(17500 cym)。
少し早めの夕食を取る(4300 cym)。
デパートやお店などをうろうろ。
20時にタクシーで空港へ(2500 cym)。早朝のフライトに備え、仮眠を取る。
2011年8月14日日曜日
2011年7月29日金曜日
親譲りの無鉄砲で。
2011年7月26日火曜日
9月1日 シャフリザーブス観光
8時起床、朝食。9時半に乗り合いタクシーでシャフリザーブスへ(5000 cym)。11時半に到着。
シャフリザーブスは7世紀、三蔵法師がインドへの旅路の途中に立ち寄った、との記録があるほど古いオアシス都市。そしてかのティムールが1336年に生を受けたのもこの地。
その上今日は独立記念日。ガイドブックによると「1991年のソ連解体と同時に独立を余儀なくされた。」「不本意な独立」などと書かれていて興味深い。不本意とはいえ祝日であることに変わりはない。人出は多いし、みんなおめかししている。
ティムールが遺した最大の建築といわれるアク・サライ宮殿。現在残っているのは入り口のアーチの残骸だという。このアーチは中に入って上れるらしいのだが、祝日ということでウズベキスタン人の長蛇の列。ということで、外国人の我々は泣く泣く諦める。
そこから南下しつつ、マリク・アシュタール・モスク、アブドゥシュル・アガリク・モスク、ハンマム跡と見ていく。
チョルスーバザールをうろうろしてさらに南下、ドルッティロヴァット建築群(1500 cym)やドルッサオダッド建築群を見学。ドルッサオダッド建築群にはティムールの廟と言われる墓室と石棺がある。結局サマルカンドに葬られたティムールだが、彼が生前自分のためにと用意した廟だそうだ。本当は生まれ故郷に還りたかったのかね。
その後チャイハナで昼食。ショルパとビールを注文(2500 cym)。いや、注文するときはビールとはわからなかった。ただ周りの客が黄色くて透明な炭酸飲料をおいしそうに飲んでいたので、「あれを下さい」と頼んだらビールだった。でも癖があって、日本のビールとはかなり違う。
バス停がわからず、いろんな人に尋ねてみてはそれぞれてんで違う場所を指示され、かなり放浪するもやっとのことで発見。ミニバスにていったんキターブへ行き(500 cym)、そこからタクシーでサマルカンドに戻る(6000 cym)。標高2000 mのタフタカラチャ峠を越えるときの景色が素晴らしい。
17時半ホテルに到着。19時夕食。
20時頃、再び夜のグリ・アミール廟へ散歩。
スマホを持っている日本人旅行者が「福田総理が辞めた!」と言っていた。
えー。
2011年7月25日月曜日
『コクリコ坂』観る?
2011年7月24日日曜日
8月31日 旅の休憩
8時起床、朝食をとる。
日本を発ってこのかたサバイバルゲームのような毎日だったので、今日は一日お休みにする。午前中はホテルでダラダラしたり、PCを借りてネットサーフィンなど。
14時頃おもむろにホテルを出て、バザールのチャイハナで昼食。マンティを食べる(1250 cym)。その後バザールをブラブラ散歩して、サマルカンド大学で日本語を勉強中だという売り子のおねえさんと立ち話をする。
16時頃ホテルに戻って洗濯したり、休んだり。
19時頃ホテルで夕食。今日のメニューはカルクリット。
このホテルは本当に日本人バックパッカーが多く、夕食の時間にはみんなで一つの長テーブルを囲んで旅の情報交換や世間話などをする。我々の他に10人ほどいるのだが、彼らはみんな顔見知り同士らしく、なにやらこちらはアウェイな雰囲気。といっても10人もの団体客、というわけではなくて、みんな風の向くまま気の向くまま、孤独にさすらって貧乏旅行を楽しむ、本物のバックパッカーらしい。いつまでに日本に帰るという予定も特に無いんだか、あるいはものすごい長期の旅なのかわからないが、一筆書きのルートを辿らない人が多い。「こないだまでキルギスに行ってたけどまたサマルカンドに戻ってきた」の、「タシケントでトルクメニスタンのビザを申請したので、発行されるまでの間またブハラやヒヴァをうろうろするつもりだ」の、たかだか(?)3週間程度の旅程の我々には信じられないような会話が繰り広げられるのだ。で、それぞれの街でバックパッカーの集う宿に泊まり、出会いと別れを繰り返すうちに、今現在中央アジアをうろうろしている日本人はみんな顔見知りになってしまうらしい。もともとアウトサイダーな旅人気質の者同士意気投合して、あだ名で呼び合う仲になっている。
彼らの間に挟まりつつ、会話を楽しんだり有用な情報を得たりする。興味深かった話題は、意外とウズベキスタンの料理がみんなの体に合わないということ。今までにもなかなか迫力ある国を回ってきたと思われるバックパッカーでも、結構食事がダメらしい。ホテルにある日本語の資料(たぶん日本人がよく来るホテルなので、日本大使館が置いてった)によると、ウズベキスタンの料理には綿花からとったコットン油というものがよく使われており、日本人の体質ではそれをうまく消化できないらしい。あとはあまり日本で見ない香草がよく使われており、それが苦手な人もいるよう。羊の肉がダメな人もいるし。私はというと、全然平気。現地の食事は何もかもおいしくてしょうがない。快食快便。むしろ日本にいたときより体調いいかも。
今日の支出:1ドル
2011年7月19日火曜日
ハッピーシンセサイザ
キラキラ、ピコピコしてて大好きな曲。
8月30日 タジキスタンへ?
タジキスタンはビザが無いと入国できないが、半日程度の観光であれば入れてくれるらしい、とネットに書いてあった。また同じ宿に泊まっている日本人の中にもタジキスタンをビザ無しで観光した人もいた。というわけでウズベキスタンを出国、歩いて国境を越える。そしてついにタジキスタン入国!
できなかった。入管の屈強な軍人のおっさんは「ビザが無い」という時点で門前払い。いくらネットの情報にあったの、昨日もビザ無しで入った人がいたの、袖の下渡すの言っても聞く耳持たず。どうやら入管の人に依るのね。適当な担当者だったら通してくれるし、融通利かないというかきちっとした人だとダメ。まあ中央アジアだしね。運が悪かった。しかたなく退散。ウズベキスタンに再入国。
いったん宿に戻り、12時にバザールに行く。昼食にラグマン(2500 cym)。
13時半頃バスに乗り(500 cym)、ウルグベク天文台跡へ(3800 cym)。
ウルグベクはティムールの孫で、グリ・アミール廟にも彼の墓がある。若干15歳にしてティムール帝国の君主となったウルグベクだが、統治者としてよりも学者としての功績が大きいそうだ。天文学者であるとともに音楽、神学、歴史学にも通じていて、サマルカンドには彼の建設した多くのメドレセやモスクが存在する。そこで貧しい家の子どもたちに数学や天文学を教えたり、ペルシャから高名な学者たちを招いたりするなどして、彼の時代にティムール帝国の高度な文明が花開いたのだという。
しかしながらその科学への熱意が仇となり、ウルグベクは保守的なイスラム教指導者によって謀殺された。ウルグベク天文台も彼らによって破壊されてしまったそうだ。
今では天文台の基礎と六分儀の一部しか残っていないが、この六分儀がすごかったらしい。地下深くから地上高くそびえる六分儀は弧長63 m、高さ40 m。それを高さ30 m以上の建物が取り囲んだ、現代の天文台もびっくりの巨大な観測施設だったらしい。ここでの観測で彼は1年を365日6時間10分8秒と算出したという。今日の精密機械で測ると365日6時間9分9.6秒なのだそうで、その差は1分に満たない。すごい。
バスでバザールに戻り(400 cym)、そこからタクシー(1500 cym)でグム百貨店へ。グム百貨店は日本を発って以来初めて見る、普通のデパート。普通と言っても、なんだかソ連っぽくて陰鬱。まず、店内の照明が暗い。エスカレーターが止まっていて、上の階が封鎖されている。壁や天井に装飾は一切なく、まるでコンクリートの箱のよう。こんなに広いのに、息苦しい。そういう感じ。ここでは服や生活雑貨の他に、インテリアや貴金属など高価なものも売っていた。水着もあった。
お土産を物色したが、特にめぼしいものはなかった。カフェのようなところでファンタオレンジを飲んで(300 cym)、百貨店をあとにする。
ホテルに戻ったのは17時。今日も暑くて疲れたので夕寝。19時にホテルの夕食。今日のメニューはカオプ。
20時ホテルを出て散歩。レギスタン広場に多くの椅子が並べてあり、そこに日本人ツアー客と思しきおじさんおばさんが座っている。何か広場で催し物があるらしい。我々も椅子に腰掛けようとするとお代を要求されたので、後ろの方で立ち見することにする。
レギスタン広場に向かい合う3つのメドレセのライトアップが落ちる。期待は高まる。
ウルグベクメドレセのみがライトアップされ、イベント開始。なにやら日本語でのナレーション。レギスタン広場に集う3つのメドレセ、そしてティムール帝国の壮大な歴史物語が語られるらしい。
照明が切り替わって今度はティラカリメドレセのライトアップ。ナレーション。次はシェルドルメドレセ。次はまたウルグベクメドレセ。……。
いっこうにおもしろくならない。3つのメドレセがかわるがわる、あるいは同時にライトアップされ、ナレーションが続くだけ。ナレーションの雰囲気はディズニーシーのミスティックリズムのオープニングのような、何かが始まりそうな、厳かな雰囲気を醸し出しているのだが、何も始まらない。そういうのはあんまり長いとだれる。しかもその日本語ナレーション、一応ネイティブジャパニーズを使っているようなのだが、セリフが素人っぽい。結構聞くに堪えない。
いつかおもしろくなるはず、と頑張って居座ってたのだが、「これはそういう催しなのだ」ということがわかった時点で席を離れた。
きっとこういう適当なイベントで観光客からがっぽり儲けてるんだろうな。おそらくその日本人の団体旅行ではすでにツアーに組み込まれていて、参加せざるをえないんだろう。
しかしながら、イベント自体は大規模だ。なんせサマルカンドの目玉であるレギスタン広場の3つのメドレセのライトアップを動かしたり、日本語ナレーションを放送したり。サマルカンドの夜に響き渡る日本語はなんとも異様だ。たぶんあれ、日替わりで英語版とか韓国語版とかあるんだろうな。明らかに一介の興行師の企画ではなく、サマルカンド観光支部が噛んでる糞イベント。
レギスタン広場を後にして、街をぶらぶら。途中のガーデン・レストランのようなところで結婚式をやっていたり。そうこうしているうちにグリ・アミール廟に到着。ここもライトアップされていて、なかなかの雰囲気。
ここでちょっと人探し。N氏は3年前にもやはり日が暮れてからここに散歩に来て、そこで出会ったお土産物屋の青年がなんと、グリ・アミール廟の地下にある本当のティムールの墓に案内してくれたらしい。なんだかその青年と意気投合して、彼の通うサマルカンド大学の講義に潜り込ませてもらったりもしたそうだ。
というわけで当時の土産物屋の青年、オリフを探す。お土産物屋のおっさんにオリフはまだここにいるかと尋ねると、「オリフはいないが、弟のオディールならいる」とのこと。ダメもとで訊いたのでびっくり。早速オディール君を呼んでもらい、兄の居場所を尋ねると、
「今は友達の結婚式に出てるよ。」
さっきレストランでやってた結婚式にオリフも出席しているんだそうな。なんということでしょう。
オリフに会うのはあきらめて、彼が今何をしているのかを尋ねる。3年前に大学生だったのだから、今はもう何者かになっていてもおかしくない。オディール君によると、オリフはサマルカンド大学を卒業後、学校の先生になったらしい。そして今年10月に結婚するらしい。おめでとうと伝えてくれ、と言ってオディール君と別れる。
グリ・アミール廟をぐるっと回って宿に帰る。本当のお墓に入りたかったが、鍵がかかっている上に厳重に鎖がまいてあったので諦めた。残念。
今日の支出:11ドル
2011年6月30日木曜日
先生。
2011年6月26日日曜日
8月29日 サマルカンド観光
8時起床、ホテルで朝食。9時ホテルを出発。
本日最初の目的地はビビハニム・モスク(入場料 3800 cym)。中央アジア最大のモスクというだけあって、その壮麗な様に圧倒される。
ビビハニムとはティムール最愛の妃の名前。絶世の美女だったらしい。インド遠征から凱旋するティムールのために、ビビハニムが贈ったのがこのモスクだそうな。伝説ではモスクの建設を担った当代随一のイケメン&カリスマ建築家がティムールの妻たるビビハニムに横恋慕してしまう。ビビハニムは彼の求愛を何度も拒絶するも、あまりのしつこさに根負けし、彼女の頬にくちづけすることをイケメン建築家に許してしまう。そのキスの痕が痣となり、彼女の頬に残る。
インドから凱旋帰国したティムールは、寵妃に贈られた荘厳なモスクに感動し、礼を述べにビビハニムの元へ。しかし久々に会った妻の頬に痣を見つけ、ティムールは最愛の女の裏切りを知り、怒り狂う。すぐさま間男のイケメン建築家は処刑され、ビビハニムは彼女の夫へのプレゼントであるモスクのミナレットから突き落とされたのだそうな。ビビハニムかわいそう。イケメン間男あほすぎる。ほっぺにちゅーまではいいとして、吸引しちゃいかんだろう。でもまああれか。彼女が自分のものにならないなら、彼女に自分の愛の証を刻印して、共に死ぬことで一緒になろう、という純愛の狂気ともとれるな。
中庭の露店でアクセサリーを物色。おみやげにちょうどよさそうなビーズの腕輪があったので、売り子の少年に声をかける。バトル開始。
「いくらだ?」と訊くと「2ドルだ。」と言う。
「500 cym (言い値の約5分の一)なら買う。」と言うと「冗談じゃない、売れるわけない。」と言う。そこから複数個買うからまけろだの、cymとドル細かく変換してちょっとずつ値を下げさせるだのして頑張ってると、裏から顔の濃いおっさんが現れる。どうやらこの露店のオーナーであり、少年の父親であるらしい。おっさんはこう言った。
「おおマダム、この腕輪はね、さっきのアメリカ人観光客には1個5ドルで売ったんだ。でもジャパニーズはMy friend だから、1個2ドルで売ってあげるんだよ。」
よく言うわ~~~!!!
で、結局1個1ドルで3個買った。善戦したと思う。
まあ1ドルだろうが2ドルだろうがどっちだっていいんだけどさ。たとえ一円未満のところでも争う、というのが楽しいよね。言葉と心の駆け引きと言うかね。それに「日本人はぼれる」という奴らの先入観を少しでも払拭しておくのが後の日本人観光客のためにも重要だと思うしね。まぁ1ドルでもぼられてるかもしれんけどね。
お次はビビハニム・モスクの向かいにあるビビハニム廟。不幸な最期を遂げたビビハニム妃を祀ってある。豪華絢爛なビビハニム・モスクと異なり、こちらは質素で素朴な雰囲気。でも室内の壁の幾何学模様はやはり見事。ビビハニムのものと思われる柩が安置されている。周辺の喧騒とは一線を画していて、とても静か。
11時に近くのシャブ・バザールへ行く。ここは大きなバザールで、生鮮食品や香辛料、洋服、靴、アクセサリー、おもちゃなどなんでも売っている。しばし個人行動。
立ち並ぶ服屋ゾーンのうちの一軒で、素敵な碧い長衣を発見。
ウズベキスタンはイスラム教が主流で、女性はくるぶしまであるスリムなワンピース様の長衣か、同じようなラインの上衣に同じ布のパンツを穿いている。といっても戒律はかなりゆるいのか、半袖で腕をむき出しにしているし、頭部にも何もつけていない。稀におばちゃんなどがスカーフを頭に巻いている程度。この長衣がなかなかエキゾチックで素敵なので、欲しいと思ってたんだよね。
というわけでさっそく値段交渉。店のおばちゃんの言い値は25ドル。こちらの初期値は10ドル。バトル開始。「このスカーフと一緒に12ドル出すから」と口説いてみたり、帰るそぶりをしてみたりで20ドルを割るところまでいったが、それ以上はなかなか難しい。素敵な長衣だけど、20ドルはちょっと高いので諦めて店を出る。
その後旅仲間集合。合流後も服屋をちらちら見つつバザールをぶらぶらするが、やっぱりさっきの碧い長衣を上回る品物は無い。きっとあれは運命の出会いだったんだ。あれを手に入れなければ絶対後悔する。
ということで、みんなにつきあってもらってさっきの服屋へ。店のおばちゃん、さっきのジャパニーズのねーちゃんが、今度は男を伴ってやってきたということで、「この客買う気だ!」と俄然やる気を出し始める。第2ラウンド開始。
いったん本当に店を出てしまったのが効いたのか、値段がさらに下がる。最後にcymをドルに換算する際ちゃっかり端数を切り捨てて、14ドルでお買い上げ。やったね!
お昼ごはんにトマト、リンゴ、桃を買い(二つずつ、全部で1000 cym)、ミネラルウォーターで洗ってその場で食べる。
腹ごしらえもすんで、13時シャーヒズィンダ廟群へ。ここはティムール縁の人々が祀られた霊廟が立ち並ぶサマルカンド有数の聖地。一つ一つの廟が個性的で、美しくて、とても興味深かった。
16時頃にグリ・アミール廟へ(入場料 3800 cym)。ティムールとその息子たちが眠る廟らしい。廟内で公開してある柩はレプリカだそうだが、地下にはレプリカと同じ並びで本当の柩が安置されているらしい。
帰りにコーラと水を購入(1600 cym)。17時半に帰宅。
19時にホテルの夕食。今日のメニューはラグマン。他の日本人バックパッカーと歓談した。
今日の支出:32ドル
2011年6月25日土曜日
8月28日 ブハラからサマルカンドへ
8時起床。まだのどが痛むが、熱は下がったようだ。9時にチェックアウト(30ドル)。オリムにはすごく良くしてもらったので、別れるのが名残惜しい。
ラビハウズでショルパを食べる(5000 cym)。タクシーでバスターミナルへ(3000 cym)。乗り合いタクシーでサマルカンドに出発。
15時回る前にサマルカンド到着。
古代からシルクロードの中心都市として栄えたサマルカンド。13世紀チンギスハーンの侵略により灰燼に帰したが、14世紀ティムールが西トルキスタンを制覇し、サマルカンドを壮麗な「青の都」へと復興させた。ティムール帝国は15世紀の最後の年に滅びるが、サマルカンドはソ連時代の1930年までウズベキスタンの首都だった。
有名なティムール像のところでタクシーを下ろしてもらう(44000 cym)。近くの店でシャシリクを食べる(10000 cym)。
17時ホテルバハディールにチェックイン。ここでは他の日本人のバックパックグループもいた。日本人御用達らしい。
18時、レギスタン広場を散策。ここは三つのメドレセが向かい合うようにして建てられている。「ばかの一つ覚えみたいにメドレセばっかり建てやがって」なんてふざけて話していたが、ひとつひとつ個性的な建造物で興味深い。それでいて見事に調和している様に圧倒される。まさに青の都。
ウルグベク・メドレセ
シェルドル・メドレセ
入り口のアーチに人面や動物が描かれているのが特徴。この人面はCym紙幣のデザインにもなっている。偶像崇拝がご法度のイスラム国家においてあえて人面を描いたのは、戒律をも破る権力を時の支配者が示したかったため、と言われている。しかしその命を受けた建築家が責任を取って自殺した、と言う伝説もある。
ティラカリ・メドレセ
ドームの内側から見る、金貼りの天井の精緻な幾何学模様がすごい。
ウズベク・メドレセの警備員に袖の下(6000 cym)を渡してミナレットに登る。夕闇に沈んでいくサマルカンドが美しい。
19時にホテルに戻り、夕食。ここは朝だけでなく夜も食べられるので良い。おいしいウズベキスタンの家庭料理。
今日の支出:56ドル