2012年10月30日火曜日

劇場版魔法少女まどか☆マギカ総集編 前後編3-1:曲など


☆ネタバレありの感想

今日からネタバレ気にせず本気でダラダラ語る。
これからまどか☆マギカを見ようとしている人はブラウザバック!










・前編のOP, ED

前編のOPでいきなり泣いたよ!まどか誕生からの生い立ちがさー、もう。こんなに家族に愛されて、こんなに真っ直ぐに育った子が、それ故あんなことになるなんて。
またほむらとまどかが二人でイチャイチャしてるところがさ。ほむほむ笑ってるよ!メガほむでもリボほむでもない普通ほむの笑顔は、皮肉なことにこのOPでしか見られない(泣)

前編EDもヤバかった。
この劇場版総集編では前編がテレビの第一話〜第八話、後編は第九話〜第十二話にあたる。
つまり前編は
「魔法少女と呼ぶべきだよね(笑)」
で終わるんだ。テレビとほぼ同じ感じで。
そしてEDテーマ ”Magia” がテレビより凶暴になった編曲で入る。
そのスタッフロールの背景がさ、過去の魔法少女たちのシルエットなんだよね。
まどか達はいったい誰と戦ってきたのか、それが明らかになった途端にこの映像ですよ。
これは泣くだろ。泣くしかないだろ。

しかも第八話で切るって相当えげつないよね(笑)。あんなところで切られたら後編見るしかないだろ。しかも第八話までって主人公はどう考えてもまどかじゃなくてさやかじゃんww

・後編の挿入歌「コネクト」

第十話該当部分が終わったところで「コネクト」が、しかもほむら ver. の映像で流れた。このファンサービスに感涙。でも劇場版初見の人には意味不明だと思う。

さらに最終話のエンディングが入るタイミングでもう一回「コネクト」。その後エピローグが流れた後に劇場版エンディング「ヒカリフル」。
ファンサービスなのは嬉しいけれど、ここはさすがにやりすぎだと思う。
私としては最終話のエンディングは「コネクト」じゃなくて「ヒカリフル」で、そこでスタッフロールも全部やってしまって、最後にエピローグの方が締まったんじゃないかと思う。

ファンサービスは程々に、映画としての完成度を優先して欲しかったな。

2012年10月29日月曜日

劇場版魔法少女まどか☆マギカ総集編 前後編2


☆テレビ版と劇場版の違い

基本的に劇場版はテレビ版とほとんど同じ。ストーリーはもちろんセリフもだいたい一緒。
ただテレビ放映の反響を参考にしてか、ミスリードを防ぐために説明的なセリフが増えていたり、いくつかのシーンをバッサリ切ることでより焦点を絞った作りになったりしていた。
またセリフがほとんど同じながら収録は新たにしたらしく、声優の演技が随分変わっていた。
同じセリフが読み方でこうも印象変わるなんて、お芝居ってすごいね!
テレビ収録時は最新の台本しか手元になく、動画も未完成の状態で録るけれども、劇場版の場合は声優の方々も結末を知っている状態で録るから、演技が変わるのも当然かもしれない。
概ねテレビの演技は淡々としていて、映画は感情的な印象。テレビの方が良い、映画の方が良い、と思う部分はそれぞれあるけれど、全体的には甲乙つけ難い。

で、それを踏まえてテレビ第十話に該当する部分が録り直しではなくテレビ放映時そのままというのが心にくい。第十話は私も大好きで、そこだけ何度も見返してしまうほどなんだが、製作者自身も「あれ以上の芝居はできない」という判断から録り直さなかったんだろうな。「あれ以上の芝居はできない」と思える芝居ができるって奇跡的だと思う。

以下印象に残ったものをダラダラ挙げていく。テレビを見た人にはネタバレで、見てない人には意味不明。

・冒頭のワルプルカット
冒頭のワルプルが丸々カットで、鹿目家の平和な朝から始まっていた。
確かにテレビと違って映画では、来週も見てもらうために奇をてらった演出をする必要は無いんだが、あれは後半の重要な伏線にもなっているのでちょっと残念だった。
が、第十話に当たる部分まで来たときにやっとわかった。
テレビでは第十話のあのシーンで「なるほど、第一話の冒頭はそういう意味があったのか」と伏線回収の印象の方が強かったんだよね。
それが冒頭をカットすることによって、あのシーンのほむらの想いをより強調するという効果が生まれていた。ここまで頑張ったのに最後の最後で出し抜かれたという彼女の無念がダイレクトに響いてきて涙腺決壊。
あとまどかの「昨夜夢の中で会ったような?」の意味も変わるね。単に冒頭の夢をさすのではなく、もっと混み入った伏線になっている。

・マミさんがパワーアップ
魔法少女の変身シーンは全員テレビと違っていたんだが、中でもマミさんの演出がすごかった。
ちょいちょい顔や体のデッサンが狂っていたところも修正されており、さらに表情がテレビ以上に生き生きして愛らしくなってた。
マミ「今日という今日は速攻で片付けるわよ」まどか「そんな……」
のシーンでは、テレビでは「そんな……(困惑)」だったのが「そんな……(笑)」になってて、マミさんのおどけた雰囲気がわかりやすかった。

映画ではマミさんが契約理由を語るシーンをカットしていた。なくてもまあいいんだけど、あんなに仲間を欲しがっているマミさんがそれでもなぜ後輩達に熟考させようとするのかの説明がなくなってしまったのは残念。映画では魔法少女5人の中でマミさんだけ契約理由がわからなくなってる。
あとその続きのさやかに釘を刺すところもなくなっていた。
「あなたはその人の夢を叶えたいの?それともその人の恩人になりたいの?同じようでも全然違うことよ、これ。」
というセリフが印象深かったのでちょっと残念。やみくもに勧誘しているわけじゃない、マミさんの人柄が立体的になるいいシーンだし、のちのさやかの伏線にもなってるんだけどな。

・マミさんのSGのサイズが普通。

・みんながよく寄るおしゃれカフェが映画ではフードコートになっていて、年相応というか財布相応になってたww

・頭部のSGが砕けるシーンが追加されてわかりやすくなってた。

・シャルロッテの爆弾が盛りすぎでワロタwwほむら容赦ねぇww

・エリーに引き裂かれる時のまどかの悲鳴がカットされていたような?あれ好きだったんだけどな。

・シャルロッテ戦でのほむらをさやかが誤解しているシーンがカットされていたので、ほむらへの敵意や他の魔法少女をGS目当てだと断じるのが少し唐突な感じがした。

・さやかはあんまり素質がなくて、まどかはべらぼうな素質を秘めているというシーンがカットされていたので、第八話の雨宿り中のさやかとまどかの会話が少し唐突な感じがした。

・第九話冒頭のさやかの悲鳴がカットされていた。これだけはなんでカットしたのかわからない。時短にもなっていないし。あの叫び声が悲痛で残酷で、物語には必要不可欠だと思うんだけどな。

・テレビでも背景などにさやかと杏子の伏線がちょいちょい挟まっていたんだが、映画の第九話の部分には感動した。
杏子とまどかの会話シーンなんだけど、引きのカットで店の看板らしき人魚とユニコーンのレリーフ(?魔女の宅急便みたいな、鉄製の丸いアレ)が見切れていて、それがオクタヴィア戦の伏線であることに気付いた時は鳥肌が立った。
テレビでもあったっけ?あったとしても、映画ではそれがよりわかりやすく強調されていたと思う。

・杏子の演技はテレビと映画で随分違っていた。物語の中で印象が大きく変化するキャラだけれども、映画の方が統一感があった気がする。変化するけどブレてない感じ。
あと第九話は追加シーンも多く、杏子の想いの変遷や行動の意図がよりわかりやすくなっていたと思う。
「足手まといを連れたまま戦わない主義だろ」
も、セリフは同じなのに全然違っていた。映画の方がほむらのためらいも表現できていて好きだな。

・第十話のオクタヴィア戦開幕がIt's Show Time!って感じで派手になった。

・映画の方がイヤミったらしくなってたwwセリフはテレビと同じなのに
「なるほどね。原因は『君に』あったんだ。正しくは君の魔法の『副作用』と言うべきかな。」
と『君に』『副作用』にアクセントが置かれていて、憎たらしさ倍増。

・まどかの選択は理解するのが難しいんだけれども、彼女の意図は後のさやかとの会話である程度説明されてる。そこがテレビではかなり抽象的な物言いだったのを、映画では言葉を足してより具体的に説明していた。それでもわかりにくいけどねー。

2012年10月28日日曜日

劇場版魔法少女まどか☆マギカ総集編 前後編1


上映中なのでネタバレなし、ありに分けてダラダラ感想書く。

☆全体的な感想(ネタバレなし)

一言で言えば素晴らしかった。
ここ最近観た映画の中ではダントツの作品だと思う。
深夜放送のオタク御用達アニメ、というイメージが強いけれども、誰でも楽しめる質の高いエンターテイメント。
アニメ映画はディズニーとジブリくらいしか観ない、という人にこそお勧めしたい。
絵柄やタイトルで敬遠するのはもったいない。

ただ、思春期未満の小さなおともだちには難しいかもしれない。
でもそれはテレビで取り沙汰されているように、残酷なシーンがあるからではない。
残酷といっても観客の劣情を煽るような見せ方をしているわけではないし、必要最低限の描写にとどめているので、むしろ品があると思う。
「カリオストロ」で悪い奴が時計に挟まれるとか、「もののけ姫」で侍の腕の切断面があらわに描かれているとか、その程度。

私が子どもに受けないと思う理由は、まず色彩が渋いから。
私の時代ではセーラームーン、今ではプリキュアなどに当たるだろうか、いわゆる魔法少女モノはキャラのイメージカラーが原色に近いんだよね。たぶんそういうはっきりした色合いが子どもの視覚に訴えて、楽しい気持ちにさせるんじゃないかと思うんだ。
でも「まどか☆マギカ」は、例えば赤系のキャラはワインレッド、黄系のキャラはベージュや茶色、というように配色がオトナな感じなんだ。そこが私にとっては好ましいんだが、子どもは飽きちゃうかもしれない。

それから「まどか☆マギカ」は魔法少女モノの典型を逆手に取った構造なので、「魔法少女モノの典型」を踏まえていない子どもにはまだ早いと思う。「まどか☆マギカ」を先に見ちゃうと、他の魔法少女モノを素直に見られなくなると言うか、どんなしっぺ返しがあるんだろうとハラハラしながら見ていたが最後まで何もなかったみたいな、そういう見方になっちゃうと思うんだよね。それはもったいない。子どもは子ども向けの作品を充分楽しんでから大人向けの作品に触れるべき。
同様に「正義は善」「嘘をつくことは悪」「逃げることは無様」をすり込む前に、正義を口実にしたエゴとか、嘘も方便だとか、時には逃げることが一番賢い選択だとか、そういう話を見てもピンと来ないんじゃないかな。まあ子どもだってわからないなりに受け取れる部分を受けとって楽しめるだろうけどさ。

5時間強のテレビアニメを前後編あわせて5時間弱の映画にしたということで、内容はテレビ版とほとんど同じ。
でもグラフィックや音響が全然違うので、空間の広がりや立体感がすごかった。
単に「テレビ番組を映画館で観た」ではなく、映画館で観る価値がある。

でも「まどか☆マギカ」で一番感動するのは声優の演技だね。ストーリーは知っているし、シーンによってはセリフもほぼ覚えているのに、それでも泣かされる。感動系映画ではもれなく泣く私だが、嗚咽が漏れそうになるくらい本気で泣いたのは「ET」以来だ。

もちろんストーリーの良さは言うに及ばず。構造的というか、計画的というか、約5時間という上映時間を過不足無く使い切った感じ。すごく構成が練られていて気持ちがいい。

そういうわけで、「まどか☆マギカ」オススメです。

2012年10月11日木曜日

とくダネ(10/9)の感想 3


最後。

・髪の毛から卵子?

菊川怜がスタジオの解説に呼ばれていた八代先生に「たとえば知らないうちに誰かが髪の毛とかから私の卵子を作るってことも可能なんですか?」と質問してた。それに対して八代先生は「不可能ではない」と答えた。

これはちょっと八代先生の答え方が悪いと思う。でも場慣れしていない研究者が生放送のアドリブで思いもよらない質問されたら、その全てに適切に答えるのは難しいよね。

ほぼ不可能なんだけど正確に表現しようとすると不可能とは言いきれない、そう言う意味での「不可能ではない」だと思うんだよね。科学者に言わせたら大概のことは「不可能ではない」だよ、うん。
でもそれを聞いた視聴者は「不可能ではない=可能である、近い将来可能になる」と受け取ってしまうと思うんだ。

で、菊川怜の質問の意図は「この技術を悪用すると、知らないうちに自分の卵子がつくられちゃうかもしれないんですか?」ってことだと思うんだよね。
それに対して八代先生は「それも有り得ますね。」って答えたも同然だと思うわけ。もちろん彼にそのつもりはないし、彼は間違っていないわけだが。

本人に気付かれないように採取できる生細胞は限られているし、そういう細胞からはまだiPS細胞を作れない。いわんや抜けてから時間が経った毛髪をや。
ちょっとDNA鑑定とかと勘違いしているかもね。DNAが取れるからって生きている細胞が取れるわけじゃないよ。少なくとも菊川怜が生きているうちは彼女の知らないうちに彼女の卵子を作ることはできない。

・髪の毛からクローン?

これも菊川怜の質問。「髪の毛から卵子が作れちゃうんですか?クローンも?」って感じで訊いてた。それに対して八代先生は「不可能ではない」と答えてた。

ここでクローンの話が出るのはちょっと「???」だね。クローン作製とiPS細胞作製は全く違う。なんか菊川怜の中ではそこがごっちゃになってる気がする。

そもそも「クローン」の意味を誤解している人が多いと思う。
クローンとは簡単に言えば同じゲノムを持っているってこと。まあ正確に言おうとするとまたややこしいけど、とりあえずそういうもんだと思ってくれ。
そんで「クローン」は自然界にありふれている。ムカゴとか一つの株から殖えた植物はお互いにクローン。挿し木で殖える場合もクローン。
1つの細胞から殖えた酵母や乳酸菌はみんなクローン。ヒトの一卵性双生児もお互いクローン。

どうも「クローン」には新しいスターウォーズに出てたような、顔も背格好も同じ人間が何千何万と大量生産されるような、そういうおぞましいイメージがあるみたいだけど、それは全然違う。

菊川怜の毛髪から生細胞を分離したら、それは菊川怜のクローン。だから「髪の毛からクローンが作れちゃうんですか?」って訊かれたら「作れる」って答えるよ。
(※ちなみに私は抜け毛から生細胞が取れるかどうかは知らん。抜け毛の根元に生細胞ってついてたっけ?ないよね?それなら抜け毛からクローンを作るのは無理。)

菊川怜の訊きたいことはそうじゃないよね。髪の毛とかそういうありふれた自分の断片から、自分と同じ人間が作られてしまうんじゃないか。iPS細胞とはそういう恐ろしい面もあるんじゃないのか。ってことだよね。

まず上述の通り、本人に気付かれないように生細胞を手に入れるのは非常に困難。それから既にクローン人間作製は禁止されているし、そもそも今の科学技術では実現不可能。
ただ倫理的制約と技術的制約をクリアすれば、いつかヒトクローンを作れるようになるかもしれない。
そういう未来のために今から議論を交わし、一人一人の生命倫理観を育てていくことは非常に重要だと思う。

ただ、クローン人間とiPS細胞とは全然違う話。

番組ではそこがうやむやのまま流れてしまったので、ひとこと言いたくなってしまったのだよ。ひとことどころじゃないけど。

とくダネ(10/9)の感想 2

つづき 

・不妊治療(1) 
先日の「iPS細胞から生殖細胞への誘導に成功!」という斎藤先生の成果と絡めて不妊治療への応用に言及していたのだが、笠井アナの 
「不妊の女性の細胞からiPS細胞を誘導して(以下略)」という解説が気に食わない。 
モニターの模式図に女性しか描かれていなかったのも気に食わない。 
こういうところで「不妊症=女の病気」「子どもができない=この石女が」という偏見が視聴者の潜在意識に丹念に丹念に刷り込まれていくんだよ。 
番組制作者自身がそういう偏見を持っているからこうなっちゃうんだろうけど。 

・不妊治療(2) 
続けて笠井アナ、「女性の体細胞から卵子・精子をつくって自家受精も可能か」なんて言い出した。
きもい。きもすぎる。あまりにグロい発想なので、寝起きでボケてて聞き違えたのかと思った。聞き違いだったら笠井アナごめんなさい(←おい)。 

人間の「自家受精」って親子相姦より遥かに危険な近親婚ってことだよ?
「科学が発展すれば将来的には……」なんて次元の話じゃない。
子どもが健康に生まれ健康に死ぬなんてほぼ有り得ない。
その意味ではクローン人間の方がだいぶマシ。

あ、ところどころで勘違いしている人を見かけるので一応書いておくと、Aさんの自家受精によってAさんのクローン人間を誕生させるのはほぼ不可能。
まあこれは中学か、少なくとも高校の生物をやっていればわかることなので、この文章がバカにしているように見えたらごめんなさい。

とくダネ(10/9)の感想 1

10/8 のノーベル医学生理学賞受賞に関して、翌 10/9 とくダネで早速特集が組まれていたんだけれども、その内容に思うところがいろいろあったので書く。 
なんかすごく長くなったので小分けにして掲載する。 

・iPS細胞命名の由来 

「iPodにちなんでつけられた」との説明だったけど、それだけだと「PS細胞」で足りるのに「i」をつけたって誤解を招いてしまうんじゃないかな。 
iPS cell は induced pluripotent stem cell (人工多能性幹細胞)の略。 
「IPS」ではなくあえて「iPS」と表現した点で「iPod」にちなんでいるわけだね。 
“pluripotent stem cell (多能性幹細胞)” は自然界に普通に存在する細胞で、それを「人工的に誘導(induce)した」のがノーベル賞を授与されるに至った彼らの功績なので、「i」があえて小文字なのはシャレの意味でも彼らの成果をアピールする意味でもシンプル且つハイセンスなネーミングだと思う。 

・基礎研究 

番組では山中先生が基礎研究の大切さを説いておられたことを取り上げてたけれども、その舌の根も乾かないうちに「臓器移植が」「オーダーメイド医療が」「不妊治療が」と言い出していたのには笑った。誰も基礎研究に興味ねーwwww 
いや、当然だけどね。「たった一つの受精卵から、どうやって多種多様の細胞が生まれ個体を形成するのか」を知ったところで腹が膨れるわけでなし。そんなことより「自分が臓器移植の必要な病気になる前にiPS細胞の医療への応用はなされるのか」「病気の家族はiPS細胞で助かるのか」の方がずっと重要だ。 
おまけに科学研究には多くの税金が投入されている。我々が汗水垂らして稼ぎ、苦しい生活の中でやっと納めた税金なのだから、早く我々に還元してくれ。これもまた当然だ。 

お金がいくらあっても足りない日本、民主党に政権交替し、おまけに大震災と原発事故があって、科学研究に割かれる国費は目減りする一方。 
私は他のすべてを犠牲にしてでも基礎研究を推し進めるべきだとは考えない。役に立つかどうか、そもそも結果が出るかどうかもわからない博打に潤沢な国費を充てられるのは余裕のある国だけだ。 
基礎研究なんかより「原発に替わるエネルギー開発を進めるべき」「超少子高齢化社会に向けてのシステム作りが目下の急務」「尖閣・竹島等領土問題が噴出する昨今、国防を強化すべきでは」などなど至極ごもっとも。待ったなしの課題は枚挙に暇がない。 

そして何を優先し、どこにどれだけお金を配分するかを決めるのが国の仕事。
天下り先を確保して老人どもの既得権益を守ることが基礎研究よりも大事なら、思う通りにしたらいい。
国が優先事項の最下位近くに基礎研究を置くなら、それはしょうがない。 
しかしその結果、日本の優秀な研究者が海外に流れていくのもしょうがないことだ。 

今回の山中先生の受賞で重要なのは日本人であることはもちろんだけれども、日本の研究施設で出した成果だってことだと思う。山中先生の「国の支援がなければ受賞できなかった。日本という国が受賞した。」という発言はその意味で本当に重みがある。 
「これからもノーベル賞をいくつも取りたい!」「世界一の科学先進国でありたい!」と国が思うんだったら、地道な基礎研究を地道に助成するのが一番の近道だと思う。

話はそれるけど、限りある国家予算のうち何を捨てて何を優先するのかをはっきり示している政党や政治家は今存在しないと思う。私が不勉強なだけ? 
「Aを優先してBを捨てます」という政党αと「Bを優先してAを捨てます」という政党βがあって、有権者が「どちらが政権を取ったら自分が暮らしやすくなるか」を選んで多数決で決めるのが民主主義じゃん?で、αが当選したらβの支持者は割を食う、と。 
でも今はみんな「AもBもやります!」って言うだけで、何の方針もないじゃん。「みんな幸せ」「国民の生活が第一」これじゃ選びようがない。 
「日本をこうしたい」という方針がない。彼らの方針は次の選挙に勝つことだけ。 
誰でもいいから仕事しろ。 


京大の山中教授らにノーベル医学生理学賞、iPS細胞を開発 
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=52&from=diary&id=2180720

2012年10月7日日曜日

ねんどはじめました。

秋なので粘土はじめてみた。
記念すべき処女作。
「No.1 FF6 ティナ」


題材のチョイスがいきなりアレだが(笑) 
材料の石粉粘土と塗装に使ったアクリル絵の具はだいたいダイソーで購入。
写真だとよくわからないけど、口と頬にはパステルで色を入れてます。


モデルは戦闘開始時のドット絵。




へたくそだけど初めてだしこんなもんか。 
粘土をはじめたきっかけは「FF6のパーテイー14人をねんどろいどにしてずらっと並べたい」だったんだが、ティナ一体だけで丸一週間かかったので心が折れた。

  
「No.2 ひねり上半身」 

ティナのパーツを乾燥している合間に作った。製作にかかった労力や時間はティナの5分の1かそれ以下。 
No資料Noデッサンで作ったのでいろいろ人体として有り得ないけど、それもまた一興。 
鎖骨フェチ、乳フェチ、あばらフェチ、ヘソフェチ、肩甲骨フェチ、背骨のくぼみフェチの合併症を患っているので、全体のバランスはさておき細部にはこだわった……つもり。 
写真では照明の関係で鎖骨とヘソと肩甲骨が飛んでしまっているかな。 


↑この角度が一番おっぱいがキレイ。腰が薄いけど。


↑この角度が一番ひねりを感じるかな。


ヤスリがけを頑張ってみたんだけど、すべすべになる部分とガサガサのまま残る部分がある。 
ガサガサというか、粘土が毛羽立っちゃってこすっても意味がないというか。なんでだろう。


ティナはあまりに大変で、そのくせうまくつくれないので完成に近づくにつれ飽きてきたが、女体造形は最後まで楽しかった。 
一番楽しいのは……鎖骨も捨てがたいが、やはり乳を盛るところだね。粘土をムニムニ捏ねて素体にネチネチつけて、モミモミしつつ形や左右のバランスを調整する工程がウホウホだった。乳から脇にかけてのラインがこだわり。



2012年10月1日月曜日

るろうに剣心


観に行ったので感想書く。ネタバレはしていないつもり。

全然期待しないで行ったら案外面白かった。るろうに剣心はマンガもアニメも見たことないんだけど、この作品はそれなりに楽しめた。

ストーリーは良とまでは言えないものの、「原作読んでみたいなぁ」と思わせる出来。
映像に雰囲気があって良かったし、チャンバラシーンもなかなか迫力があった。
私は「長髪を後ろで一つに束ねた痩身の美剣士(男女不問)」が好きなので、佐藤健演じる剣心は眼福だった。薫の道着姿もかわいい。
役者では香川照之の怪演が見事だった。

原作はどうだか知らないけど、薫はもっと強くても良かったんじゃないかなー。神谷道場の師範代というくらいだから、人斬り抜刀斎は無理でも道場潰しに来たチンピラの一人二人は撃退して欲しかった。あと剣心に出会って早々乙女になっちゃって、以降道着姿も剣技も見られなくなっちゃったのが不満。師範代設定を活かしてもうちょっと凛々しい方がいいと思う。でなければ師範代じゃなくて単なる道場の娘という設定の方がマシ。あれじゃ己の力量も省みず感情のままに斬りかかるただのバカだ。神谷道場とやらの程度も伺い知れるというもの。

見応えあるアクションですごく楽しかったから良いんだけど、殺陣のリアリティはどうなんだろうね。よく知らないけど。
例えば一人が大勢を斬って捨てるシーン、愛剣一本でザクザク斬ってたけど、本当にあんな風に斬れるのかなあ?血と脂でギットギトになった刀で多人数相手にできるんだろうか。
あと真剣で打ち合った時、刀身を刀身で真っ向から受け止めてたけど、あんなことして折れたり刃がこぼれたりしないんだろうか。日本刀は斬るとか突くとかが得意なんで、ああいう力任せの競り合いは鍔?とかでやるもんだと思ってたんだけど。まあ剣心は逆刃刀だから刃こぼれの心配はないけど。


時間できたら漫喫行って、るろ剣一気読みしよう。
VPS