2013年2月27日水曜日

ディズニー談

先週のテレビ導入に伴い、週末はTSUTAYAデビューしてきた! 
借りたのはディズニーアニメ2本。 
私はわりとディズニーアニメが好きだ。往年の名作も良いし、新作も出るたびに母に映画館へ連れて行ってもらった。 
とはいえいくつか取りこぼしもあって、今回借りたDVDはそれ。 

以下ネタバレ自重しない。 



1. ヘラクレス 

映画館では見られなかったのだが、完全な初見でもない。 
10数年前?に地元の縁日の映画会で観た事がある。 
が、ガキがうるせーのなんの。スクリーンに自分の影が映るので立ったり座ったり大はしゃぎ。その年の縁日では何故かう○こ型のバルーンがはやっていて、ガキどもがそれを掲げて劇場内……というか公民館の一室なんだけど……を走り回るんで、スクリーンの下半分は右に左に動き回るう○こで埋め尽くされていたよ。 
というわけで、面白そうなのに全然楽しめなかったからいつかちゃんと観たいと思っていたんだ。 

で、結構面白かった。 
想像よりノリが軽くて、シリアスというよりコメディって感じだった。 
いやサブキャラがふざけてるのはいつものことなんだけど、「ヘラクレス」の場合ラスボスがボケまくってたのが印象的。 
ギリシャ神話よく知らないけど、ハデスってあんな悪い奴だっけ?なんかもっとこう生真面目で、若干ヤンデレ属性があるものの紳士的なイメージだったんだけどな。 
いやディズニーアニメに対してこの種の解釈にケチを付けるのは野暮なんだけどさ。死の神=悪って単純さがいかにもアメリカ的だなぁと思って。 

ただ「ヘラクレス」のすごいところはヒロインが姫じゃないところだね。 
清く美しく聡明で強かなのが昨今のディズニーヒロインの流行りだと思うんだけど、メグはそうじゃない。他のヒロインが常に冷静に正しく物事を見据えていたのに対して、メグは誘惑するわ嘘つくわ弱みに付け込まれるわ、汚くて愚かな女なんだ。「ディズニープリンセス」のシリーズにヘラクレスのヒロインがいないのも当然だ。だがそこがいい。 
彼女の人間としてのリアルさにすごく惹かれるし、そんな汚れきった彼女がヘラクレスと出会う事によって前進して行く過程が感動的だった。あと映画のヒットにおいてヒロインの人気は重要な要素なのに、敢えて愚かで普通の女をヒロインに据えた制作スタッフに感心した。 

それから「契約」とか「言葉」に重きを置いていて、言葉で交わされた契約はいかな神の力を持ってしても覆ることはないという前提が私の中二心をくすぐった。 

物語のクライマックスであるところの、オリンポス襲撃と反撃はまあ想像通りというか、いかにもディズニーアニメらしい予定調和的な感じだった。 

けど私が一番ハラハラして一番感動したのはヘラクレスの最後の闘い、死の川に流れるメグの魂の確保。 
青年ヘラクレスが死の川に入った瞬間、どんどん老いさらばえていく。この画が「夢と魔法」のディズニーアニメと思えないくらいグロくて残酷。ムキムキだった腕が細くしわしわになり、残された神の力である「怪力」も奪われ、ただの爺がヘロヘロになりながら愛する女性の魂を追って泳ぎ続けるんだよ。これは泣いたわ。 
神は不老。怪力は神だったことの証。これを踏まえると余計ヨボヨボになっていくヘラクレスの描写がえぐい。オリンポス争奪戦より余程激しい戦いだわ。 

で、結局メグの蘇生に成功し、一皮むけたヘラクレスは神にクラスチェンジし、ハデスは滅び、八方丸く収まるんだけどさ。 
ヘラクレスは神の世界を捨てて人としてメグと一緒にいることを選ぶんだよね。ありがちとはいえ、ここでも泣いた。 
人間界に自分の居場所はなくて、神の世界こそ自分の帰るべき場所だと信じて、だから呪いを解くために今までずっと頑張ってきてさ。 
でも最後の最後に自分の居場所はここだからと言ってメグやメグのいる人間界を選ぶんだよ。不老よりも、怪力よりも、実の両親のいる世界よりも、愛する人のいる場所が彼にとっての居場所なんだよ。 

「この社会に自分の居場所はない」と腐ってた少年が、大人になって、人を知り愛を知り、地に足をつけるまでを描いた、すごくスタンダードな成長物語だと思う。 



2. アトランティス 

ネットではあまり評判が良くないし、「ナディア」のパクリなんて言われたりしている。 
が、「古代に滅びた超科学文明」「海底の知られざる都市国家」が私の中二心をくすぐるので、すごく興味があった。 

観た結果。 
要するに「アバター」だった。 
別にナディアに似ているところもなかった。 
ディズニーの別作品、「ターザン」だの「ポカホンタス」だので既にさんざんやり尽くされているような、 
「原住民を侵略する文明人を、文明人側にいる主人公らが原住民と手を組んで追い出す」 
という話だった。 
どうしてこう、アメリカ人は異文明交感系のファンタジーを略奪と反撃の物語にしかできないんだろうか。 
テンポの悪さとか物語の運びのチープさがまさにアバター。 
舞台が古代文明である必要は全く無い。「古代に滅びた超科学文明」「海底の知られざる都市国家」ってあたり「ラピュタ」を彷彿とさせるけど(あっちは空中都市だけど)、どうしてああいうロマン溢れる世界観を作れないのか。いくらでも料理しようのある設定なのに、もったいない。 

アメリカ人が自分たちの侵略の歴史を反省できるようになったのは結構だが、「奪うのはアメリカ人、守るのもアメリカ人」て辺りまだ奴らの奢りを感じる。原住民はアメリカ人の意のままに奪われたり守られたりするだけ。 

超巨大潜水艦とかアトランティスの全景とか、それはそれは美しく、中二心を掻き立てられたけれども、それだけ。そういうところもアバターにそっくり。

2013年2月12日火曜日

小学校の思い出5


授業中挙手しなかったら立たせる、宿題忘れたら竹定規で叩くなど、I先生の授業は前時代的なものだった。だから体育に関してもお察しというものである。

一番キツかったのはうさぎ跳びで体育館二往復かな。
平成だぜ?うさぎ跳びによる身体への悪影響は周知の事実だったろうに。
体力のある子はなんとかクリアしてたけど、私はできなかったね。あとたった 1 m なのに、跳ぶっていうか、動けなかったよ。膝ガクガクで立つこともできなかった。筋肉痛がその場で始まった。

あと意味が分からなかったのはごろごろ転がって体育館二往復。
前転じゃなくて、寝返り打つ方向でひたすらごろごろ、体育館二往復。
三半規管弱い方は、文章だけで吐き気がこみ上げてくると思う。
お食事中だったら申し訳ない。
私も車酔いしやすい方だし、子どもの頃は何かに乗るたびに体調悪くしていたけれど、あんなに辛かったのは後にも先にもないよ。
ガチで死ぬかと思った。
自分が転がっているのか、床が自分の周りをぐるぐる回っているのかわからんかった。

体育の授業じゃないけど、遠足の後にマラソンなんてのもあったな。
何キロあったか知らないけれど、自転車で行くんでもちょっとしたエクササイズ、徒歩だとそれなりに手応えのあるウォーキングになる距離だったと思う。だから子どもにとっては結構キツい。

朝から歩いてお昼に着いて、みんなでお弁当を食べて、目一杯遊んで、また歩いて学校に戻って、クタクタになりながら先生の「家に帰るまでが遠足です」を聞き流す。で、やっと家に帰れると思ったら、
「……の前に校庭十周。」
あれは絶望したわ。でも走ったよ。走ったっていうか、何だろう、歩くとI先生にケツ蹴っ飛ばされるので歩いてはいないんだけど、うん。普通のジョギングの0.01倍の出力で微妙に移動していた感じ。
でも十周は走らなかったな。5周くらいサバ読んだ気がする。それでもバレないくらい私は周回遅れになっていたのだよ、うん。運動の得意な先頭集団はもうだいぶ前に走り終えて帰ってしまったし。

今思えばうさぎ跳びもゴロゴロも遠足マラソンも、それによって何かが向上しそうな指導ではないね。身体にダメージを与える以外の目的がないように思う。
それを私は「昔ながらの厳しい先生なんだ」と解釈していたけれど、当時30代ならそうベテランでもなかったんだね。
むしろ「そういうことやってみたかった若造」っていうか。まあ若造ってほど若くもないけど。

遠足で思い出したけど、小学校での遠足や社会科見学など、行列で歩かされる企画にはいつもイライラしていた。
I先生を含め、多くの小学校教員は自分の近くにいる児童しか見えていない。
すると長い列の真ん中ら辺の子たちがおしゃべりをする。
おしゃべりしながら前を見ないでちんたら歩く。
気づけば先頭集団はだいぶ先に進んでいる。
だからダッシュで追いかける。
お喋りしていた子以降の子ども達は全員ダッシュするハメになる。
おまけにおしゃべりで律速になる子どもは1組や2組ではない。
その全てのしわ寄せを引き受けるのは最後尾の子どもだ。
たいていこういう行列は背の順で、子どもの頃から身長の高かった私は常に最後尾集団にいた。

子どものときはおしゃべりしている連中にイラっとしたものだけど、そこらへん気を配ってちゃんとペースを作るのは担任の仕事だと思うんだよね。おしゃべりする子を注意するなり、スピードを落とすなりさ。
なに数人の小柄な子だけ引き連れてズカズカ歩いてんの?
ダッシュしてはちんたら、ダッシュしてはちんたらを何キロも続けてたら、そりゃヘトヘトになるわ。

一番腹が立ったのは、とうとう隣のクラスに追いつかれたとき、そこの担任が「何だ君達、遅いぞ。おしゃべりしてるからこうなるんだ。」と我々最後尾集団を叱ったこと。

行列で歩かせる以上、最後尾集団が遅いこととその子達自身の歩くスピードとは全く関係がないのに、彼らを叱ってハッパをかけても行列のスピードは全く変化しないのに、何年やってもそれに気づかない、頭の悪い教員が少なくない。

うん、I先生に限らず、小学校のときは何かと理不尽だったわ。教員もそうだし、なんかいろいろシステムがおかしかったわ。ガキもバカだし。
中学に行ったら大変だぞ、とか社会人になったら大変だぞ、とか言われてきたけど、一番理不尽で辛かったのは小学校の頃だった。進学するにつれ、環境が変わるにつれ、バカが減って似たような価値観の人たちで集まるようになり、どんどん快適に、楽になった。

小学校の思い出4


I先生が辞めた後、私は他の先生方にすごく目をかけてもらえるようになった。
それは母とAちゃんのお母さんのおかげだと思う。

I先生の女子児童拉致事件(教室だけど)が発覚して以降、小学校では毎晩のように「臨時保護者会」という名目のI先生糾弾会が開かれた。
参加者はAちゃんのお母さんを中心とする保護者連合。学校側はI先生、校長、教頭がレギュラーメンバー。あとは数人の教員と養護の先生が入れ替わり立ち替わり。

日常的に体罰を繰り返し、特定の女子児童に普通とは言えないコミュニケーションを取るなど、I先生の行いが常軌を逸したものであったことは確かだ。でも保護者連合のやり方も、とても良識ある社会人がするものではなかった。
まずAちゃんのお母さんは会議の度にレジュメを作り、それを全員に配布した。私はレジュメを見たことはないのだけれども、I先生が何月何日何時何分誰それを殴っただ泣かしただ、そういうことがびっしり書かれたものだったという。
母はそのことにドン引きしていたが、子どもの私はその詳細なレポートを作ったであろうAちゃんの執念にビビった。
で臨時保護者会はそのレジュメを元に、いついつ先生が殴っただ、そんなことはしていないだ、恫喝しただ、叱っただけだ、概ね言った言わないの水掛け論に終始した。Aちゃんのお母さんの尻馬に乗って、バカガキを持つバカ親がうちの子もあんなことされたこんなことされたと騒いだ。

こういうあまりに非建設的非合理的な集会だったものだから、心あるまともな親達はどんどん離れていった。回を重ねるたびに保護者の参加数は減り、残ったのはAちゃんのお母さんとその取り巻きだけだった。

が、私の母は参加し続けた。母自身がどう思って参加していたのかは直接聞いてみないとわからないけれども、私が母に「参加して欲しい」と頼んだからだと私は思っている。うちは共働きで、母はすごく忙しかったろうに、それでも毎夜開かれる何の生産性もない知的レベルの低い話し合いに参加し続けてくれた。母ありがとう。

私が母に参加して欲しかったのはやはり先生に辞めて欲しくなかったからだ。というか、辞めさせるにしても、こんなバカげたやり方はおかしいと思ったからだ。あと辞めさせるならその後のことを考えてくれと。I先生がいなくなったら、貴様んとこのバカ猿が暴れそうなんだよ。ちゃんと躾けてくれるんだろうな?え?
それから正直、この非日常にワクワクしてたってのもある。先生を辞めさせるための保護者会が毎夜開かれるなんて、こんなファンタジーなことがあるか。母には是非参加してもらって、その様をウォッチングしてもらいたい。母ゴメン。

そうこうしているうちに、ある出来事が起こった。
その日は保護者連合は気合いを入れて、区教委をお招きしていた。そして区教委の前でいつものような水掛け論を展開し、「とにかく、I先生に担任を降りていただきたいのはクラス全員の総意なんです!」とAちゃんのお母さんが締めくくった。
すると私の母は何を思ったか、「確認したんですか?」と茶々を入れたのである。

別にクラスの総意でもなんでもなかった。何が何でもI先生を辞めさせようとしていたのは臨時保護者会に参加しているAちゃんの親と取り巻きだけ。半分以上の保護者は辞めろも辞めるなも意思を表明していない。っていうか関わりあいになりたくなかったんだろう。そんな状態なのに、確認もなしに勝手に総意にされちゃかなわん。

母のツッコミにAちゃんのお母さんがどう対応したのかは知らないが、あまりはっきりした返答はできなかったようだ。実際確認してないしね。おまけに母のツッコミのすぐ後に、区教委の方々は帰ってしまったらしい。

これがAちゃんのお母さんのプライドを相当傷つけたようだ。その日から私の母はAちゃんのお母さんに敵認定された。彼女の脳は「私に歯向かうもの=I先生派」という実にシンプルな構造をしており、私たち母子は「I先生信奉者」として相当ヒステリックに扱われたのである。その後の保護者会でめっちゃ嫌味言われたりとか、時には壮絶な舌戦が繰り広げられたりとか、まあ子どもに聞かせる話でもないので多くは知らないが、いろいろあったらしい。

が、そのおかげで他の先生方からはすごく好意的な印象を持たれたようだ。
無論「I先生信奉者」だったからではない。もし本当に信者だったら、それはそれで先生方にとってもうざいだろう。
集団ヒステリーに近い保護者連合の中で、私の母は唯一の良心と言うか、理性と呼べる存在だった。まともに話ができる人間はうちの母だけだった。
いや、まともな親は大勢いたと思う。ただそういうまともな人はそもそもあんな愚かな会で時間を無駄にしたりはしない。
比較的まともなのに、何故か毎回やってくる酔狂な保護者、それが私の母だった。

I先生が辞めた後、何故か再び臨時保護者会が召集された。もう保護者会の目的は達せられ、その役割は無くなったというのに。
そしてAちゃんのお母さんはまた例の如く、参加者にレジュメを配布した。そこにはやはり例の如く、誰かの一挙手一投足が分刻みで詳細に記載されていた。
でもそれはI先生の行動記録ではない。だって彼はもう学校に来ていないから。
それは先生ではなくて、一人の児童の記録だった。
唯一のI先生信者である女子児童の失意の日々を、細大漏らさず捉えた大作ルポタージュだった。

要するに私の観察日記だった。

その記録は
「このように、唯一のI先生信奉者だった□□ちゃんは(わざとらしく伏せ字だった)クラスから孤立してしまい、可哀想な日々を過ごしています。彼女もまたI先生の犠牲者と言えるかもしれません。」
と締めくくっていた。
いや、その日はたまたま塾でテストだから一人で帰っただけだって。なに勝手にぼっちみたいな扱いしてくれてんの。
確かにいじめっ子は不穏な動きを見せていたけれども、クラスに仲良しの友達はたくさんいたし、彼らとの仲はI先生が辞めても全然変わりなかった。毎日普通に、楽しく過ごしていた。
そういう私の日常が、書きようによってはこんなにみじめったらしく、哀れに描写されるのかと、後日母に頼み込んで見せてもらったときは驚いた。

そんなものを配ってAちゃんのお母さんが何をしたかったのかわからない。
でも母はキレた。
私が気に入らないなら私に嫌味でも嫌がらせでもすればいい。でも子どもに手を出すのはあかんやろ。越えちゃいけない線を越えてる。
怒りをあらわにする私の母を、Aちゃんのお母さんは鼻で笑った。

がここで意外なことが起こった。
今までAちゃんのお母さんの取り巻きだった保護者たちが、「これは酷い」と反旗を翻したのだ。
Aちゃんのお母さんは、自分の味方であり手下だと思っていた保護者達による猛烈なバッシングを受け、逃げるようにそそくさと姿を消した。

Aちゃんのお母さんは勘違いをしていたんだと思う。彼女の取り巻きは単にI先生に辞めて欲しかっただけ。Aちゃんのお母さんが頑張ってレジュメ作ったり区教委に掛け合ったりしていたから、I先生を辞めさせるために応援してただけ。
I先生が辞めた今、保護者達はAちゃんのお母さんには何の興味もなかった。ましてやAちゃんのお母さんのカリスマ性に魅せられた手下なんかじゃなかった。
「私の敵=I先生派」と同様、彼女の脳では「I先生反対派=私の味方」となっていたんだろうけど、どうも当てが外れたようだ。

彼女の取り巻きがI先生を辞めさせたかったのだって、全ては我が子のためなんだよね。そして子を持つ親として、Aちゃんのお母さんが私たち母子にしたことは、到底看過できるものではなかった。

ところで私の母は「私でなく娘に手を出すなんて許せない」と怒っていたけれど、子どもの立場からすると私に手を出したのはAちゃんのお母さんじゃなくてAちゃん自身だった。

私の分刻みの行動、そんなものを記録できるのはAちゃんのお母さんじゃなくてAちゃんだから。I先生の記録もそうだけど、Aちゃんのお母さんが教室で見張っていたわけではないので、レジュメ用のデータをとっていたのはAちゃん自身だった。
今だったら子どもにそんなことをさせる親の神経を疑うけど。
子どもだった私は、Aちゃん本人が私に向ける悪意を初めて認識して、とても悲しくなった。
なんでそんなに憎まれたのかわからない。
自分の母とAちゃんのお母さんがアレな感じになっているのは知っていたけれど、私とAちゃんの関係は別だし、「Aちゃんのお母さんってスゲエ人だなwwww」とは思ってたけど、Aちゃんのことは大好きだった。I先生が辞めてからちょっとギクシャクしてしまったけれど、私は変わらずAちゃんは友達だと思っていたし、Aちゃんもそうだと思ってた。

やっぱり、親の影響かね。Aちゃんのお母さんが家で私たち母子の恨みつらみをぶつけるから、Aちゃんは私を嫌いになるべきだと思ってしまったのかも。
あるいはアレかな。例の体罰体験を書かされたときに、「お前何そんな恥ずかしいこと一生懸命書いちゃってんのm9(^Д^)プギャーwwww」したからかな。
アレは悪いことをした。恨まれてもしょうがない。

しかし、Aちゃんのお母さんが自爆してくれたおかげで、先生方が私の「心のケア」に全力で取り組んでくれるようになったと思う。私へのいじめに対してもすごく警戒してもらった(それでもいじめられたけど)。もともと私たち母子は先生方に信頼されてたから、かなり好意的に手厚く保護してもらえた。

ある日家庭科の調理実習でクレープ作りがあったのだが、私はうっかりエプロンと三角巾を忘れてしまった。
しかし私は真面目系クズ。正直に「忘れた」と告白するんでは優等生の沽券に関わる。クレープはすごくすごく惜しいが、それよりもまず自分のイメージダウンを避けねばならない。

というわけで私は新担任であるところの教頭先生に頭痛を訴え、保健室でサボることにした。
くそー、クレープ食べたかったなー、くそー、と痛くもない頭を抱えてベッドに潜り込んでいると、教頭先生が保健室にやって来た。
そして養護の先生とひそひそ話をし、私に声をかけることなく去って行った。

校庭でサッカーをする児童の歓声やホイッスルの音。
音楽室のへたくそなリコーダーの合奏。

そんな音を聞くともなしに聞いていたら、養護の先生が枕元にやって来た。そして椅子をひいて、そこに座った。

「ばっちちゃん、頭痛大丈夫?もし気分が悪くなかったら先生とお話ししない?」
気分は頗る良かったので、半身を起こした。
「ばっちちゃん、何か悩んでることある?もし何かあったら話してみない?先生誰にも言わないから。」

あ、あかん。今私「心のケア」されてる。
すんません。単にエプロン忘れたから仮病でサボってるだけなんです。本当にすんません。

まあそれでも悩んでることの2つや3つはあったさ。そりゃ人並みには悩んでるさ。だから養護の先生に聞いてもらおうと思った。思ったんだけど、なんか何言っていいんだか、どういう順番で何を説明したらいいんだか、全然わからなかった。だから何も言えなかった。

「悩んでること、ないです。大丈夫です。」

というようなことを答えたと思う。心の中では「せっかくの機会なのにもったいない!」という思いと「嘘ついて心配かけてごめんなさい」という思いとごっちゃになってた。
が、養護の先生の目には辛くても大人に相談せず、一人で抱え込む私がとてもいじらしく映ったに違いない。あるいは、悩んでいないはずがないのに心を開くことを頑強に拒む姿から、問題の根深さを感じ取ったかもしれない。で、そのストレスに耐えかねて保健室にやって来た、と。

授業が終わる30分ほど前に教頭先生がやって来て、「クレープできたよ、みんなで食べよう!」と言ってくれた。養護の先生も「いってらっしゃい」と言ってくれたので、私は教頭先生と家庭科室に向かった。

家庭科の班にはいじめっ子はいなくて、私と仲が良い子だけで構成されていた。
教頭先生は養護の先生だけじゃなくて彼らにも何か言ったらしく、私は異様に温かく迎えられた。
あれだよ、マラソンで一番遅い子が最後の最後にゴールしたときに、他のみんなが既に整列した上で拍手で迎えてくれるやつ。あんな感じ。
そして彼らは、私の分のクレープも焼いてくれていた。エプロン忘れてサボった私のクレープを。
これはさすがにちょっと泣いた。みんなの温かさに感動したのももちろんあるけど、これだけ大事にしてくれて心配してくれる友達や先生を、彼らの信頼を、いとも容易く踏みにじった痛みで泣いた。


クレープ美味しかったです。

2013年2月9日土曜日

小学校の思い出3

I先生は授業中で発問をするとき、解答がわかった者は全員挙手するよう指示した。そして、挙手していない子から指名した。当然回答できないので、I先生はその子を教室の後ろに立たせた。 
挙手していない児童を概ね立たせたあとは、挙手している児童の中でも成績不良の者を指名した。挙手さえしていれば不正解でも立たされない場合もあるのだが、要するに正解できなさそうな子から指名していき、最後に着席常連組の誰かが満を持して正答するというのがいつもの授業だった。 

つまり立たされたくなければわからなくても挙手すればいいのである。 
自信満々であればあるほど、先生は指名を後回しにする。 
まして私は着席常連組。私が指されるのは最後の最後。その前に誰かが正答する確率が高い。

このシステムには正直だいぶ救われた。最後までわからないまま手を挙げて、誰かが正答してくれたおかげで助かったこともあったし、そこまでいかなくても手を挙げながら考えをまとめることはしょっちゅうだった。他の人の回答を参考に自分の案をブラッシュアップすることもできたし、誰かが不正解したことで間違いに気づき、自分が指されるまでに正答を捻り出すこともできた。で、結果的に私の優等生イメージが保たれるわけだ。 

やっぱりそういうところではI先生の指導力に疑問を持たざるを得ない。ゆっくり考えれば自ずと解答に辿り着ける子もいるのに、そういう子に考える時間を与えず片っ端から教室の後ろに立たせるというのはどうなんだろう。一人でも多くの子どもに授業内容を理解させる、ではなく、一人でも多くの子どもを立たせるのが目的だったとしか思えない。 

以前の日記で「I先生は贔屓をしなかった」と書いたが、そういう意味ではこれが贔屓かもしれない。成績不良の者より成績優良の者の方が考える時間を与えられるわけだから。 

でも私だってこのシステムにはフラストレーションを溜めていたよ。 
全員がそうとは言わないけど、小学生の頃って先生の問題がわかって、自分を指名してくれるように一生懸命手を挙げて、指名を勝ち取ったらみんなの前で答えを発表して、それで褒められて嬉しい気持ちになったり誇らしく思ったりするわけじゃん。私はそうやってみんなの前で先生に褒められるのが大好きだったし、だから小学校1年生から積極的に挙手して発言したわけよ。小学校の間に築かれた私の優等生イメージはその副産物と言えるかもしれない。 
しかしI先生が担任になった途端、当てられねえのなんのって。一生懸命挙手してるのに。それで他の人が正解してみんなに賞賛されると「私だってわかってたのに、私の方が先にわかったのに」と嫉妬を覚えた。 
I先生が私を指さないのはどうせ正答されると思っていたからで、それだけ優等生イメージが揺るぎないものだったということなのだが、私にとってはどうでもいいことだった。みんなの前で発表して褒められたいという幼い欲求が全く満たされなくなったのは、当初は結構負担だった。 

まあ数ヶ月もすればその不条理にも馴れて、授業は腕の筋トレだと思うようになったけどね。腕を耳につけてピンと手を挙げるのって、長時間やると結構キツいんだわ。成績優良者ほど長時間挙手されられるんだわ。 

Aちゃんが授業中に立たされた時、私は彼女の正直さに胸を打たれた。彼女ほどの優等生だったら挙手さえすればI先生は絶対指名しないのに、私だったら絶対挙手するのに、彼女はしなかった。 
その時私は当然挙手していたけれど、答えがわかっていたのかどうかも指されたかどうかも覚えていない。

2013年2月7日木曜日

小学校の思い出2

ある日I先生は帰りのHRのあと、帰りのあいさつをさせずにクラス全員を着席させた。 
そして縦5 cm 横 30 cm くらいの紙の束を取り出した。 

その紙には1枚1枚、2ケタの足し算または引き算の数式が書かれていた。 
48 + 86 = 
とか 
92 – 57 = 
とか。 
I先生は紙の束から1枚取り出し、1秒ほど子どもたちに数式を見せてすぐ裏返し、「今の計算の答えがわかった人!」と挙手を促した。 

要するにI先生がチラッと見せた数式を暗算し、最初に正解した人のみ帰宅を許される。その子が帰ったらまた別の数式をチラッと見せる。早く正解した人から家に帰れるというゲーム。数式をメモするのは禁止。 

しつこいようだが私は優等生だった。算数なんか100点満点当たり前。少なくとも90点未満はとったことがない。まあ中学受験では算数は苦手科目だったが、小学校のテストなんか数字を書く練習みたいなもんだった。 

が、計算だけはものすごく苦手だった。そして暗算が致命的にダメだった。そのうえ、なぜか数字を覚えられないという弱点もあった。これは今でもそう。規則性のない4個の数字を1秒以内に覚えるのは至難の業。 
そう、私はI先生がチラッと見せた数式を記憶するだけでいっぱいいっぱいだったんだよ。暗算とかそれ以前の問題だった。 

そういうわけで、例の着席常連組が全員帰っても私は帰れなかった。いつもバカにしていた隣の席の男子はこういうのが得意らしくて、わりとさっさと帰ってしまったのも屈辱的だった。 
計算早い人からどんどん帰るので、後の方になればなるほど最初の正解者になりやすくなるはずなのだが、それでも私は帰れなかった。 

4時半を過ぎてクラスの半分ほどが帰ってしまい、残ったのは「回答が遅い」というより「回答できない」という部類になっていた。
こうなってくると埒があかないのでI先生は新しい問題を出すのをやめ、教室に飾っていた赤い花の鉢植えを教卓の上に持ってきた。で、 

「この花を見てくれ。こいつをどう思う?」 

すごく……きれいです……では不合格。先生の気に入るような、「感想」の正解を当てねばならない。自分がどう思うかじゃなくて、先生がどう答えて欲しいかを当てるクイズだ。 
で、「正しい感想」を述べたら帰れるというルール。 

こうなると私のターン。出題から5秒で挙手し、 
「小さな鉢でけなげに美しく咲くこの赤い花を見て、私も生きる希望が沸いてきました」的なことを、金八先生が涎を垂らして喜びそうな言い回しで、適当に熱く語って速攻で帰った。 



翌日登校すると、普段あまり話さない男子達が私の席にわっと集まってきた。そして 
「ばっち、夕焼け見てどう思う???」 

昨日暗算ができず、赤い花の「正しい感想」も思い浮かばなかった子たちは「夕焼けについて思ったことを原稿用紙1枚にまとめなさい」という宿題を出されて、やっと帰宅を許されたらしい。で、夕焼けについての「正しい感想」もわからない彼らは、私に正解を聞きに来たわけだ。 

知らねーよww 

小学校の思い出1

当時の私は先生に殴られる方が悪いと思っていた。 
先生が殴るのは騒いだりふざけたり、物を盗ったりいじめたり、「悪いこと」をするからだ。体罰がいやなら「悪いこと」をしなければ良いだけのこと。体罰の是非はさておき、少なくとも殴られるようなことをした貴様は悪い。 
教員の立場から「殴られる貴様が悪い」なんて言ったら大問題だが、当の体罰が行われていた教室にいた児童の私はそう思ったんだよ。 
それでI先生を辞めさせる流れになったとき、自分のした「悪いこと」を棚に上げて、まるでI先生の暴力による被害者のように振る舞う彼らが馬鹿に見えてしょうがなかった。児童も保護者も馬鹿みたいだった。 

でも意外なことに、I先生を辞めさせる保護者会のリーダーは、クラスで一番の優等生Aちゃんのお母さんだった。 
Aちゃんは当然、I先生に体罰をされたことなんかほとんどない。 
I先生は授業中に指名して答えられなかった子を教室の後ろに立たせるのだが、問題が難しくて、授業が終わる頃には大半の席が空いていた。 
着席常連組は私とAちゃん含めて8人くらい。 
だから体罰を受けたり、成績が悪い子ではなく、何故Aちゃんとその親が保護者会を立ち上げるほどにI先生を辞めさせたがったのか理解できなかった。I先生も驚いただろう。 

その子は本当に優等生だった。社会の課題の進行もクラスのトップだったし、そのほかの様々な課題……計算ドリル、漢字ドリル、日記など、とにかく何でも一生懸命やっていた。日記というのは、毎日日記をつけて先生に提出するという課題。小学生にしてはわりと長文を書かせるんだ。 

私は優等生の皮をかぶった、いわゆる真面目系クズなのでそこまでは頑張れなかった。 
社会の課題と漢字ドリルは頑張ったよ。好きだから。でも計算ドリルはめんどくさいんで溜めに溜めてたのを母に見つかり、こっぴどく叱られて、泣く泣く進めた。 
日記はI先生が「これは自由参加。でも途中で辞めることは絶対に許さない。」と言っていたので迷わず不参加。 
社会の課題も頑張ったとはいえ、進行具合はクラスの10番目くらい。トップを走るAちゃんとは追いつこうという気も起きないほど離されていた。 

多分Aちゃんは頑張りすぎちゃったんじゃないかと思う。いや、小学生にあの課題を全部こなすの無理だって。 
優等生の彼女にとって、先生から与えられた課題は「当然クリアするもの」。さらに言えば「当然クリアできるもの」。だからすごく頑張った。すごく頑張っているのに終わらない。誰よりも先に前に進んでいるのにゴールが見えない。これっておかしくない?私がクリアできない課題っておかしくない?I先生おかしくない? 
Aちゃんが、というより彼女の親がそう思ったかもしれんね。全ての課題を当然のようにやらせたはいいものの、娘がオーバーワーク気味になってる。これはおかしい。課題が多すぎる。I先生はおかしい。 

しかも課題ってできたからってあんまり褒められなかった気がする。6年生にもなって都道府県名が書けないとか、そういうレベルの子には多少厳しくハッパをかけていたけれど、ある程度のペースなら特に叱りも褒めもしなかったな。完全に本人の自由意志。そこら辺にもAちゃんのフラストレーションがあるかもしれない。 

それからI先生はある意味、全く贔屓をしない人だった。優等生だからって基準が甘くなるようなことは一切なかった。だから私も叱られるところでは叱られたし、すごく恥をかいたこともあった。殴られるようなことはなかったけど。 

それで印象的だったのが6年生のとき、一度だけAちゃんが授業中立たされた。単に発問に答えられなかっただけだったと思うし、その時点でクラスの大体の人が教室の後ろにいたのだが、着席常連組から外れたことのない彼女は著しくプライドを傷つけられたと思う。 
授業中に立たされた人は休み時間中に先生に許しをこいに行き、許されなければ次の時間も起立したまま授業を受けなければならない。Aちゃんも休み時間に先生に説教されに行き、泣きながら席に戻ってきた。 

それからしばらくしてPTA主催のバザーがあり、そこでI先生がお気に入りの女の子を教室に拉致したことが発覚したのをきっかけに、Aちゃんのお母さんの声かけでI先生を辞めさせる会が発足した。 

Aちゃんが立たされたこととAちゃんのお母さんがI先生を辞めさせようとしたことと因果関係があるのかはわからない。 
でもAちゃんのお母さんが保護者会で主張するに、AちゃんはI先生のことで相当精神的に参っていたらしい。うわ言みたいに「Iが、I……」と繰り返してうなされていたそうだ。 

クラスで成績トップのAちゃんと、二番目の私。 
I先生にとっては似たような子どもだったと思うんだよね。Aちゃんも御手洗も成績優秀で素直で良い子。二人ともよく褒められたし、たまに叱られたりもした。あんまり変わらないはずなのに、一人は悪夢にうなされるほどストレスを抱え、一人は能天気にも先生に好意を持ち続けていた。不思議なもんだ。 

I先生が辞めてしばらくあと、月曜日6時間目のクラブ活動を終えて教室に戻ると、先に教室に戻っていた子達が何か書きものをしていた。教室には校長先生がいて、彼は私にも紙を渡した。 

I先生に体罰されたことがあったら、何でも書きなさい」 

と言われたのだが、私は 

「書くことがないのでいりません」 

と言った。するとAちゃんが 

「なんで?書きなよ。だってばっちも体罰受けたことあったでしょ?」 

と私を咎めた。Aちゃんは普段大人しくて声を荒げることはなかったし、私とAちゃんは仲良しで喧嘩したこともなかったから、そのキツい物言いにちょっとびっくりした。 

っていうか体罰……?あったか?忘れてるだけか?そんな体罰されるような悪いことをした覚えがないんだけど。あれか?社会の課題終わらなくて終業式にこづかれたやつか?それともあれか?自習時間におしゃべりしていたら教科書の腹でパシッとはたかれたやつか?そんなんが体罰か?しかもそれ全部自分が悪いんじゃん?そんな黒歴史を書かされるわけ?えええええええええ? 

1秒くらいものすごく悩んだあげく、 

「そんな恥ずかしいこと書けないよ。」 

と言ってしまった。それでふとAちゃんの机をみたら、そこにはびっしり彼女の「体罰体験」が書かれた紙が置かれていた。 
あ、やべえって思ったけど、塾の時間も迫っているのでそのまま帰った。 

なんか、今まで仲良しだったのに、I先生が辞めてからAちゃんとの関係は微妙になってしまって、それがすごく悲しかった。
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