2011年7月29日金曜日
親譲りの無鉄砲で。
2011年7月26日火曜日
9月1日 シャフリザーブス観光
8時起床、朝食。9時半に乗り合いタクシーでシャフリザーブスへ(5000 cym)。11時半に到着。
シャフリザーブスは7世紀、三蔵法師がインドへの旅路の途中に立ち寄った、との記録があるほど古いオアシス都市。そしてかのティムールが1336年に生を受けたのもこの地。
その上今日は独立記念日。ガイドブックによると「1991年のソ連解体と同時に独立を余儀なくされた。」「不本意な独立」などと書かれていて興味深い。不本意とはいえ祝日であることに変わりはない。人出は多いし、みんなおめかししている。
ティムールが遺した最大の建築といわれるアク・サライ宮殿。現在残っているのは入り口のアーチの残骸だという。このアーチは中に入って上れるらしいのだが、祝日ということでウズベキスタン人の長蛇の列。ということで、外国人の我々は泣く泣く諦める。
そこから南下しつつ、マリク・アシュタール・モスク、アブドゥシュル・アガリク・モスク、ハンマム跡と見ていく。
チョルスーバザールをうろうろしてさらに南下、ドルッティロヴァット建築群(1500 cym)やドルッサオダッド建築群を見学。ドルッサオダッド建築群にはティムールの廟と言われる墓室と石棺がある。結局サマルカンドに葬られたティムールだが、彼が生前自分のためにと用意した廟だそうだ。本当は生まれ故郷に還りたかったのかね。
その後チャイハナで昼食。ショルパとビールを注文(2500 cym)。いや、注文するときはビールとはわからなかった。ただ周りの客が黄色くて透明な炭酸飲料をおいしそうに飲んでいたので、「あれを下さい」と頼んだらビールだった。でも癖があって、日本のビールとはかなり違う。
バス停がわからず、いろんな人に尋ねてみてはそれぞれてんで違う場所を指示され、かなり放浪するもやっとのことで発見。ミニバスにていったんキターブへ行き(500 cym)、そこからタクシーでサマルカンドに戻る(6000 cym)。標高2000 mのタフタカラチャ峠を越えるときの景色が素晴らしい。
17時半ホテルに到着。19時夕食。
20時頃、再び夜のグリ・アミール廟へ散歩。
スマホを持っている日本人旅行者が「福田総理が辞めた!」と言っていた。
えー。
2011年7月25日月曜日
『コクリコ坂』観る?
2011年7月24日日曜日
8月31日 旅の休憩
8時起床、朝食をとる。
日本を発ってこのかたサバイバルゲームのような毎日だったので、今日は一日お休みにする。午前中はホテルでダラダラしたり、PCを借りてネットサーフィンなど。
14時頃おもむろにホテルを出て、バザールのチャイハナで昼食。マンティを食べる(1250 cym)。その後バザールをブラブラ散歩して、サマルカンド大学で日本語を勉強中だという売り子のおねえさんと立ち話をする。
16時頃ホテルに戻って洗濯したり、休んだり。
19時頃ホテルで夕食。今日のメニューはカルクリット。
このホテルは本当に日本人バックパッカーが多く、夕食の時間にはみんなで一つの長テーブルを囲んで旅の情報交換や世間話などをする。我々の他に10人ほどいるのだが、彼らはみんな顔見知り同士らしく、なにやらこちらはアウェイな雰囲気。といっても10人もの団体客、というわけではなくて、みんな風の向くまま気の向くまま、孤独にさすらって貧乏旅行を楽しむ、本物のバックパッカーらしい。いつまでに日本に帰るという予定も特に無いんだか、あるいはものすごい長期の旅なのかわからないが、一筆書きのルートを辿らない人が多い。「こないだまでキルギスに行ってたけどまたサマルカンドに戻ってきた」の、「タシケントでトルクメニスタンのビザを申請したので、発行されるまでの間またブハラやヒヴァをうろうろするつもりだ」の、たかだか(?)3週間程度の旅程の我々には信じられないような会話が繰り広げられるのだ。で、それぞれの街でバックパッカーの集う宿に泊まり、出会いと別れを繰り返すうちに、今現在中央アジアをうろうろしている日本人はみんな顔見知りになってしまうらしい。もともとアウトサイダーな旅人気質の者同士意気投合して、あだ名で呼び合う仲になっている。
彼らの間に挟まりつつ、会話を楽しんだり有用な情報を得たりする。興味深かった話題は、意外とウズベキスタンの料理がみんなの体に合わないということ。今までにもなかなか迫力ある国を回ってきたと思われるバックパッカーでも、結構食事がダメらしい。ホテルにある日本語の資料(たぶん日本人がよく来るホテルなので、日本大使館が置いてった)によると、ウズベキスタンの料理には綿花からとったコットン油というものがよく使われており、日本人の体質ではそれをうまく消化できないらしい。あとはあまり日本で見ない香草がよく使われており、それが苦手な人もいるよう。羊の肉がダメな人もいるし。私はというと、全然平気。現地の食事は何もかもおいしくてしょうがない。快食快便。むしろ日本にいたときより体調いいかも。
今日の支出:1ドル
2011年7月19日火曜日
ハッピーシンセサイザ
キラキラ、ピコピコしてて大好きな曲。
8月30日 タジキスタンへ?
タジキスタンはビザが無いと入国できないが、半日程度の観光であれば入れてくれるらしい、とネットに書いてあった。また同じ宿に泊まっている日本人の中にもタジキスタンをビザ無しで観光した人もいた。というわけでウズベキスタンを出国、歩いて国境を越える。そしてついにタジキスタン入国!
できなかった。入管の屈強な軍人のおっさんは「ビザが無い」という時点で門前払い。いくらネットの情報にあったの、昨日もビザ無しで入った人がいたの、袖の下渡すの言っても聞く耳持たず。どうやら入管の人に依るのね。適当な担当者だったら通してくれるし、融通利かないというかきちっとした人だとダメ。まあ中央アジアだしね。運が悪かった。しかたなく退散。ウズベキスタンに再入国。
いったん宿に戻り、12時にバザールに行く。昼食にラグマン(2500 cym)。
13時半頃バスに乗り(500 cym)、ウルグベク天文台跡へ(3800 cym)。
ウルグベクはティムールの孫で、グリ・アミール廟にも彼の墓がある。若干15歳にしてティムール帝国の君主となったウルグベクだが、統治者としてよりも学者としての功績が大きいそうだ。天文学者であるとともに音楽、神学、歴史学にも通じていて、サマルカンドには彼の建設した多くのメドレセやモスクが存在する。そこで貧しい家の子どもたちに数学や天文学を教えたり、ペルシャから高名な学者たちを招いたりするなどして、彼の時代にティムール帝国の高度な文明が花開いたのだという。
しかしながらその科学への熱意が仇となり、ウルグベクは保守的なイスラム教指導者によって謀殺された。ウルグベク天文台も彼らによって破壊されてしまったそうだ。
今では天文台の基礎と六分儀の一部しか残っていないが、この六分儀がすごかったらしい。地下深くから地上高くそびえる六分儀は弧長63 m、高さ40 m。それを高さ30 m以上の建物が取り囲んだ、現代の天文台もびっくりの巨大な観測施設だったらしい。ここでの観測で彼は1年を365日6時間10分8秒と算出したという。今日の精密機械で測ると365日6時間9分9.6秒なのだそうで、その差は1分に満たない。すごい。
バスでバザールに戻り(400 cym)、そこからタクシー(1500 cym)でグム百貨店へ。グム百貨店は日本を発って以来初めて見る、普通のデパート。普通と言っても、なんだかソ連っぽくて陰鬱。まず、店内の照明が暗い。エスカレーターが止まっていて、上の階が封鎖されている。壁や天井に装飾は一切なく、まるでコンクリートの箱のよう。こんなに広いのに、息苦しい。そういう感じ。ここでは服や生活雑貨の他に、インテリアや貴金属など高価なものも売っていた。水着もあった。
お土産を物色したが、特にめぼしいものはなかった。カフェのようなところでファンタオレンジを飲んで(300 cym)、百貨店をあとにする。
ホテルに戻ったのは17時。今日も暑くて疲れたので夕寝。19時にホテルの夕食。今日のメニューはカオプ。
20時ホテルを出て散歩。レギスタン広場に多くの椅子が並べてあり、そこに日本人ツアー客と思しきおじさんおばさんが座っている。何か広場で催し物があるらしい。我々も椅子に腰掛けようとするとお代を要求されたので、後ろの方で立ち見することにする。
レギスタン広場に向かい合う3つのメドレセのライトアップが落ちる。期待は高まる。
ウルグベクメドレセのみがライトアップされ、イベント開始。なにやら日本語でのナレーション。レギスタン広場に集う3つのメドレセ、そしてティムール帝国の壮大な歴史物語が語られるらしい。
照明が切り替わって今度はティラカリメドレセのライトアップ。ナレーション。次はシェルドルメドレセ。次はまたウルグベクメドレセ。……。
いっこうにおもしろくならない。3つのメドレセがかわるがわる、あるいは同時にライトアップされ、ナレーションが続くだけ。ナレーションの雰囲気はディズニーシーのミスティックリズムのオープニングのような、何かが始まりそうな、厳かな雰囲気を醸し出しているのだが、何も始まらない。そういうのはあんまり長いとだれる。しかもその日本語ナレーション、一応ネイティブジャパニーズを使っているようなのだが、セリフが素人っぽい。結構聞くに堪えない。
いつかおもしろくなるはず、と頑張って居座ってたのだが、「これはそういう催しなのだ」ということがわかった時点で席を離れた。
きっとこういう適当なイベントで観光客からがっぽり儲けてるんだろうな。おそらくその日本人の団体旅行ではすでにツアーに組み込まれていて、参加せざるをえないんだろう。
しかしながら、イベント自体は大規模だ。なんせサマルカンドの目玉であるレギスタン広場の3つのメドレセのライトアップを動かしたり、日本語ナレーションを放送したり。サマルカンドの夜に響き渡る日本語はなんとも異様だ。たぶんあれ、日替わりで英語版とか韓国語版とかあるんだろうな。明らかに一介の興行師の企画ではなく、サマルカンド観光支部が噛んでる糞イベント。
レギスタン広場を後にして、街をぶらぶら。途中のガーデン・レストランのようなところで結婚式をやっていたり。そうこうしているうちにグリ・アミール廟に到着。ここもライトアップされていて、なかなかの雰囲気。
ここでちょっと人探し。N氏は3年前にもやはり日が暮れてからここに散歩に来て、そこで出会ったお土産物屋の青年がなんと、グリ・アミール廟の地下にある本当のティムールの墓に案内してくれたらしい。なんだかその青年と意気投合して、彼の通うサマルカンド大学の講義に潜り込ませてもらったりもしたそうだ。
というわけで当時の土産物屋の青年、オリフを探す。お土産物屋のおっさんにオリフはまだここにいるかと尋ねると、「オリフはいないが、弟のオディールならいる」とのこと。ダメもとで訊いたのでびっくり。早速オディール君を呼んでもらい、兄の居場所を尋ねると、
「今は友達の結婚式に出てるよ。」
さっきレストランでやってた結婚式にオリフも出席しているんだそうな。なんということでしょう。
オリフに会うのはあきらめて、彼が今何をしているのかを尋ねる。3年前に大学生だったのだから、今はもう何者かになっていてもおかしくない。オディール君によると、オリフはサマルカンド大学を卒業後、学校の先生になったらしい。そして今年10月に結婚するらしい。おめでとうと伝えてくれ、と言ってオディール君と別れる。
グリ・アミール廟をぐるっと回って宿に帰る。本当のお墓に入りたかったが、鍵がかかっている上に厳重に鎖がまいてあったので諦めた。残念。
今日の支出:11ドル