2015年10月23日金曜日

保険の噺

先日夫と一緒に、生命保険会社の人(A氏)の話を聞いてきた。 
A氏は夫の上司の保険担当者で、夫上司に「顧客になってくれそうな人を紹介してくれないか」と持ちかけ、そこで「新婚・子梨・保険とか老後資金とか考えてなさそう」な我々を紹介されたらしい。 

私は金にはめっぽう疎いので、保険の基本的な仕組みを教えてくれ、考えるきっかけをくれたA氏には感謝してる。 

けどうさんくさい。 

A氏「生命保険は掛け捨て型、定期型、終身型に大別され……(解説)……で、奥様、どの保険が好きですか?」 
私「は?」 
A氏「あるいは、どの保険が嫌いですか?」 
私「?」 
A氏「女性は掛け捨て型が嫌いという方、多いんですよ。かけたお金がムダになるから。そして終身型が好きな方が多いんです。今回私がおすすめしたいのもこの終身保険で……」 

なんかイラっとした。 
好き嫌いって何だよ。 
女子はコラーゲンとヒアルロン酸が大好き☆ 
ってノリで保険を語るなよ。 

A氏「こちらの終身型の生命保険ですと死亡時に○○万受け取れ……利率が云々……65歳には○○万円受け取れます。またウズベキスタンに行けちゃいますよ!」 

老後資金の積み立てを兼ねた終身保険なのに、なんで海外旅行で散財しなきゃならんのだ。 
ちなみに私はウズベキスタンに行ったなんて一言も言ってない。事前に夫がA氏に話したんだろうし、別に構わないのだが、それで「俺知ってるんだぜ」ってドヤ顔されてもな。 
「海外旅行」と言えば目の色を変えるタイプの旅行好きではないのだよ、私は。 
っていうか、なんでまたウズベキスタンに行かなきゃならんのだ。世界にはまだまだ行ったことのない国、行きたい国があるのに。 

その日は商品の説明だけだったので、後日ほけんの窓口に行って他社との比較をしてもらった上で、ひと月後に再びA氏と面会したんだけど。 
ほけんの窓口に行ったと話した後のA氏は感じ悪かったなー。 
余分な知識のない若夫婦を丸め込んで契約させる当てが外れて憤慨したのかもしれんが、ほけんの窓口に行ったからって「余分な知識」がないことには変わりないんだから、丸め込んで契約させる余地は充分にあるはずなんだが。ああいう態度はいかんよな。逃がさなくていい客を逃がしてしまう。 

で、終身型生命保険を契約させるのは諦めたのか、急に終身型の個人年金を提案してきた。その売り文句もまたうさんくさい。 
A氏「老後に備え○○万円貯めたとし、退職後月々○○万円使っていくとしたら10年後には2/3に、20年後には1/3に、残高がどんどん目減りしていく。例えば残高が1/3になった貯金を、あなたは今まで通りに使えますか?不安じゃないですか?」 
私「確かに。」 
A氏「減らない貯金があったら良いと思いませんか?」 
私「?」(眉にツバを塗り塗り) 
A氏「そんなあなたにお勧めなのが終身型の個人年金。これはね、言わば『減らない貯金』なんです。」 

「死ぬのが先か貯金が尽きるのが先かのチキンレース」と、「死ぬのが先か元取るのが先かのチキンレース」の違いだろ。一応確立したシステムだろうに、不必要にうさんくさい紹介の仕方すんなよ。円天かよ。 

夫よりも私に向けて
「掛け捨ては金のムダ、終身型生命保険で賢く貯金!」
「65歳で○○万円受け取れちゃう!優雅な老後ライフ!海外旅行三昧も夢じゃない?!」
「いや、やっぱり年金型!減らない貯金で死ぬまで安心!」
みたいな煽り方をするのは、けっこう妻側がバラ色の老後を夢見て保険契約に乗り気になるからなのかね。受取人が妻だとしても、夫が加入し夫が支払う夫の保険なんだけどな。 

あと女性は妊娠する前に女性向け医療保険に入った方がいいもの? 
A氏やほけんの窓口、はては結婚式場選びのときに行ったゼクシィ・ナビにまで勧められたんだけど。 
そりゃ保険屋は勧めるだろうし、ゼクシィ・ナビだって保険屋からマージンもらってるから、勧めるのは当たり前で。 
でもあんまり友達との会話で気軽に出せる話題でもないから、どのくらい必要なのかわかんないんだよね。 

もともと医療保険に入るつもりなら、妊娠前の方がいいのはわかる。通常の医療保険の保証内容に加え、妊娠出産時のいろいろにも対応してくれるからね。妊娠してからだと、妊娠出産時の対応は受けられないんだか、保険料が跳ね上がるんだか、保険に加入できないんだか忘れたけど、とにかくどうせ入るなら妊娠前が良い。 
でも「子ども作るなら医療保険に入るべき」ってのはどうなのかな。 
妊娠出産には健康保険はきかないものの、出産一時金で42万(だっけ?)はもらえるし、流産や帝王切開等の手術費用には当然健康保険がきく。 
もちろん自己負担額は少額とは言えないが、医療保険の保険料を考慮に入れるとどっちが安く済むのかわからんのだよな。 
入ってる人、入ってない人、意見求む。

2015年10月13日火曜日

思い出のマーニー

妹夫婦の新居に遊びに行って、先日見逃した「思い出のマーニー」の録画を観せてもらったので、感想をば。

まずは以前書いた我的ジブリランキングを更新。

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神作: ラピュタ 豚 トトロ 魔女宅
良作: 風立ちぬ ナウシカ 耳すま 千尋 もののけ
凡作: 狸 火垂る ポニョ かぐや姫 ハウル
駄作: マーニー←new! アリエッティ ゲド

同じカテゴリー内では左の方がより好きな作品。
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というわけで、マーニーは「アリエッティやゲドよりはマシだけど、うーん。」って感じ。
マーニー・アリエッティ・ゲドが好きな人ごめんなさい。

良かった点は釧路湿原の風景。この描写はさすがジブリと言わざるを得ない。釧路行ったことないけど、すごく行ってみたくなった。

次に気に入らない点。

1. 長くて浅い導入部。

まず、主人公アンナが好きになれなかった。
「いじけた主人公がマーニーや田舎の人々との交流で成長する」という話なので、序盤の主人公が幼いのは仕方ないんだけど、
・先生に「スケッチを見せろ」と言われて被害者意識を持つ
・せっかく見せてやろうと思ったら先生が他の子を構いに行ってしまい、被害者意識を持つ
って、いくらなんでもいじけすぎだろ。
スケッチを見せるんだか見せないんだかグズグズしてる子なんかほっといて、怪我人が出たかもしれない方に先生が駆けつけるのは当たり前じゃん。

で、そのストレスで喘息の発作起こして早退したアンナのところにクラスメイトの女子たちがアンナの鞄を届けに来るんだけど、この女子たちがまた凶悪だった。
普通、クラスメイトのお母さんに「うちの子と仲良くしてくれてる?」って訊かれたら、それがたとえ「特に仲が良いわけでもなく、家が近いから担任に言われてイヤイヤ来た」んであっても、「ハイ」って言うだろ。
大して親しくもない同級生の親に向かって、わざわざ積極的に悪意ある発言をする女子中学生って、全くリアリティがない。
女子中学生らしからぬ悪意と浅慮を合わせ持つ特殊なキャラクターをあえて描き出したというならいいんだけど、明らかにそうじゃないよね?製作陣はあのモブ女子らを普通の、イマドキの女子中学生として描いてるよね?
中学生舐め過ぎ。

その点、魔女宅は素晴らしかった。キキが、トンボとつるんでるリア充集団を見て、孤独感を募らせるシーン。リア充集団はキキに悪意ある人格攻撃なんかしてない。多少思いやりには欠けていても、充分常識的な範囲で、仲間同士楽しく青春を謳歌してるだけ。普通の若者。それでもキキはつらい気持ちになる。それが、すごいリアリティをもって観客に伝わる。主人公が孤独になるために、非現実的な悪役は必要ないんだよな。

養母も頭悪い。娘の在宅中に、いくら別室とは言え、往診の医者に娘の相談をするっておかしいだろ。「娘が何考えてるかわからない」「娘が何も話してくれない」って娘に聞かれても良いの?むしろ聞かせてるの?

で、その医師のすすめに従い、アンナは一人札幌を離れ、釧路にある養母の姉妹宅へ、静養のために向かうわけだ。
ここからメインの釧路へ、舞台が移る。
だからここまでは「都会の子が田舎に行く羽目になった前説」に過ぎない。
でも私はこの導入部ですっかり気持ちがアンナから、アンナの周りの人物から、離れてしまった。全く感情移入できない。

釧路への疎開もさ、昔の室蘭辺りならまだわかるけど、現代の札幌って喘息の子が住めないほど空気悪いの?
疎開が大気汚染ではなく、ストレス源から離すためなら余計理解できない。人間関係の構築が苦手な子が、知り合いの一人もいない田舎で、養母すら不在で、ほとんど会ったことのない血のつながりもない他人の家で、どうやったらストレスフリーな生活を送れるんだ。

むしろ、「都会の子が田舎に行く羽目になった前説」って要らなかったんじゃないかな。
トトロや千尋みたいに移動シーンから始めても良かったのでは。
千尋は引っ越しに至る理由にはほとんど尺を割いてなかったけれど、それでも当初千尋がかなりぶすくれてたのはわかるし、彼女が物語を通して成長したことに感動できた。

「いじけ」「コミュ障」「なんか複雑な家庭環境」は釧路への移動シーンとか、居候先のおばちゃんとのやり取りでそれとなく匂わせるだけで良かったんだよ。なまじ具体的で、その内容があまりに浅くて非現実的だから、もう導入部でげんなりしてしまった。

あと「喘息」って設定も要らなかったと思う。
普通に、「いじけたみなしごが夏休みに養母に言われて渋々田舎に行った」でいいと思う。


2. 雑なタネあかし

「マーニーの正体」という物語のキモを、久子の長ゼリフで終わらせたのはいくらなんでも……もうちょっとどうにかならなかったのか。

伏線を立てて立てて、風呂敷を広げて広げて、途中で回収するそぶりは全く見せず、終わりかけになって大急ぎで畳む手法、私は好きじゃない。
もうちょっとこう、徐々に収束させていって欲しかったなぁ。久子一人が駆け足で語るだけってのはなぁ。

あと「マーニーの事情」と「アンナの事情」の謎が両方とも最後までわからなかったので、二人の気持ちに全く共感できなかった。

マーニーがアンナにとって何者だったのか、というタネあかしを印象づけるには、アンナの謎の方は早々に明かした方が良かったのでは。

映画を見終わって、私が理解しているアンナの事情は

1. アンナの両親死亡
2. 祖母に預けられるが短期間で祖母も死亡
3. アンナ養育(と遺産相続?)について、親戚間で揉める
4. 結局アンナは施設へ
5. 血縁のない養母に引き取られる
6. 養母宛の「アンナに対する公的手当」の書類を見て、アンナがいじける

なんだけれども、「マーニーの事情」がわかった段階で開示されているアンナの情報は1, 3, 6だけだったのよね。
だから「マーニーの事情」がわかっても「そうか!そういうことだったのか!」という感動は全くなく、「ふーん。で、アンナは何?」って感じだった。
その後ようやく「アンナの事情」「アンナとマーニーの関係」がやっとわかったけど、単に好奇心が満たされただけで、そこに何の感慨も無かった。

アンナと養母に血縁が無いことは初めからはっきりさせといたほうが、アンナのいじけ癖にも孤独感にも共感できたと思うんだよな。
なまじ「親戚が揉めてるっぽい葬式シーン」が繰り返されるから、養母はなし崩し的に押し付けられた親戚かと思ったよ。
それに養母が親戚なら釧路の居候先も親戚。養母が他人なら釧路の居候先はアンナへの義務も責任もない本当の他人。釧路で暮らすアンナの気持ちは両者で全然違う。
どっちかわからないから、共感のしようがない。

両親死亡と養母引き取りの間に祖母との生活があったことも、もっと前に匂わせておいた方が良かったと思う。アンナ自身が忘れていたとしても。
一応一度だけ「アンナが誰かに寝かしつけられるシーン」が挟まってたけど、あれで伏線を張ったつもりなんだろうか。

あと繰り返し出てきた、いかにもな「マーニーっぽい人形」には特に何のいわくもなく、ぽっと出の「ヘアピン」の方がキーアイテムっていうのが、えー???って感じだった。
それならそれで、「養母に引き取られる前から大事にしてきた宝物」とか、「マーニーとおそろい」とか、そういう伏線は必要だったんじゃないかなぁ。

もう一つ、アンナと養母が親戚じゃないなら、「養母の姉妹が住む釧路の家の近所にアンナゆかりの洋館がある」って、なんぼなんでも唐突過ぎないか?
遠い親戚とかならまぁ、似たような地域に住んでるのもあり得るかとは思うが、そうすると「しめっち屋敷」の正体を釧路の夫婦が知らないのは変だし。
アンナのルーツが釧路にあることくらい、どうにか伏線を張れなかったものか。


3. 好き好きうるさい

「友達になりたい」「大好き」「愛してる」って言い過ぎ。

多くのジブリ作品は初対面の少年少女が体験を共有したり、共に困難を乗り越えたりすることで、信頼と友情を育む。そこで初めて「好き」という感情が描写される(セリフの有無は関係なく)。現実もそうだと思う。初対面で好感を持ったとしても、「好き」という気持ちを持つには、まして言葉に出すには、かなり時間がかかる。

でもアンナとマーニーは何かを共有する前から「好き好き」言いまくってるし、逢瀬を重ねるようになったとはいえせいぜい身の上話を語り合ってるだけなのに「会いたい」の「永久に秘密」の大盛り上がりだし、「信じてたのに裏切った!!!」と怒り狂ってるけど、そこまで怒れるくらいマーニーを信じることが出来たってのが不思議。アンナはマーニーの何を信じたんだろう。常に出たり消えたりしてるんだから、サイロからだって消えるだろうよ。マーニーからパーティーに誘ったくせに、アンナを放置して男とイチャついてたし。

そんで

アンナ「許さん!」
マーニー「許して!」
アンナ「じゃあ許す!」


とか、ついて行けない。ムダに情緒的なんだけど、そこに至る過程が雑すぎて、「この子たちは何を騒いでるんだろう」と呆然と眺めるしかなかった。

たぶん製作陣は「好き好き」言わせときゃ「好き」が描けると思ってるんだろな。でも表現ってそう簡単なもんじゃないと思うよ。
「好き」ってセリフは好きじゃなくても言えるからね。
「好き」ってセリフだけでは「好き」という気持ちは表現できないし、ましてや「好き」と言った回数で「好き」レベルが上がるってもんじゃないのよ。
「好き」という気持ちは二人の体験の共有や表情・行動の変化を描かなきゃ表現できないし、そこを描写した上で初めて「好き」と言わせるから観客の心に響くんだと思う。
それを省略して、言葉だけで「好き好き」言わせても白けちゃうんだよな。
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