最近読んだ漫画。すごく面白かったので何人か友達に宣伝したら、既にみんな読み終わってた(笑)。
内容は「中学生にしてプロの将棋棋士デビューした男子高校生が、思春期の葛藤に苛まれながら、様々な人々とふれあうことで乗り越え、成長していく物語」ってとこかな。まだ連載中なんだけどすごく面白い。先が気になる。完結してから読み始めれば良かった。
この作品のレビューはまたの機会にするとして。最新刊で中学生のいじめの描写があり、それに触発されて自分のいじめのことを書きたくなったので、今回はそれを書くよ。以下「3月のライオン」のネタバレ含む。
中学3年生のひなたちゃんはクラスでいじめられている友達を庇っていたが、その友達が不登校を経てとうとう転校してしまったことをきっかけに、いじめの対象がひなたちゃん自身に移ってしまったというもの。詳しく書くと、
・ 加害者達はクラスの女子の一部。
・ 他の女子は遠巻きに眺めつつ関わり合いを避ける。友達を庇うひなたに「そんなことしてると次にあなたがいじめられるよ」と忠告。
・ 男子がどういう立場を取っているかはわからない。
・ いじめの内容は靴を隠すなど所持品への危害が主。暴行、暴言については覚えてない(コミック返しちゃったんで読み返せない)。
・ ひなたと友達は小学校からかなり親しかった。
・ 友達と加害者達との関係は忘れた(もとは仲良しグループだったのか、疎遠なクラスメートだったのか)
今のところわかってるのはこれくらい。今後もっと掘り下げられるかもしれないけど。
で、ひなたは泣きながら
「ひとりぼっちになるのはこわい。ほんとはずっと恐かった。でもっ・・・後悔なんてしないっっ。しちゃダメだっ。だって私のした事は絶対まちがってなんかない!!」
と叫ぶわけだ。そして10年間もがき苦しみ続けた主人公の零君が、その言葉に救われるんだ。感動のシーン。
感動はするんだけどさ。いまいち共感できないんだよね。もし私がひなただとしたら、傷つきはするだろうが、そんなふうには傷つかない。
だって、友達を庇ったら次は自分がいじめられることくらい初めからわかってたじゃん。それでも傍観なんて出来なかった、自分がいじめられてでも彼女を庇いたかった、で案の定自分がいじめられることになった。それってそんなに悲しいかな。いや、「ひなたのいじめ被害は自己責任、同情に値しない」って言ってるんじゃないよ、もちろん。ただ自分がひなたの立場だったとき、それは毎日泣くほどかなぁ?
学校のいじめで辛いのは、
A.味方がいないこと、
B.学校生活で色々困ること(班活動など)
C.他人の理不尽な悪意に日常的に曝されることに対しての筆舌に尽くし難いストレス
に集約されると思うんだ。まあいじめにも色々あるけど、少なくともひなたのケースはそうだし、私のケースもそうだった。
B は他の2つほど辛いわけではないが、侮ってはいけない。ダメージは精神よりも通知表に来る。課題のプリントが配布されないのも提出したノートがえんがちょされて返ってこないのも本当に困る。次の授業の教室が変更になったことを教えてくれないのも困る。理科実験や調理実習も困る。「じゃあ適当に4, 5人で班作ってー」とか死刑宣告並みの威力を持つ。
でもまあ本質的なところはやっぱA, Cだね。AとCはそれぞれ違う苦しみだと思うけど、合わさると相乗効果でもんのすごい破壊力を持つ。
A, C の合わせ技の代表例は仲間にいじめられること。そもそもいじめてくる時点で仲間でもなんでもないんだが、思春期はその辺があやふやだし、小規模のグループで固まりそれ以外の人間関係が皆無ということはありがちなので、自分の属するグループでいじめられるのは地獄に等しいと思う。その点で言えば、ほとんど話したことない男子達に攻撃されていた私も、親友を転校まで追い込んだ敵に攻撃されたひなたも幾分マシじゃないかな。
あとひなたの場合、同じクラスには傍観を決め込みつつ「あの子を庇ったらあなたがいじめられるよ」って言ってくれた女子はいるんだよね。マンガの中でひなたにどれだけ友達がいるかはあまり描かれていなかったけど、少なくとも傍観者である「大多数の女子」はひなたがなぜいじめられているのかを知っている。間違っているのは加害者グループであり、友人を守ったひなたが強くて正しかったことをみんな知っている。一番良いのは誰かが正義の味方よろしく加害者グループを糾弾していじめを止めてくれることだろうけど、たとえ傍観者でも「ひなたは正しい」と思ってくれていること、それをひなた自身が知っていることで、C の辛さは相当軽減されると思う。
中学1,2年の私にはクラス内にそういう味方がいなかった。加害者グループに快活で人気者の男子が何人かいたことと私が学級委員や生徒会立候補などで悪目立ちしたことで、「あの子はいじめられても仕方がない」という空気が出来てしまった。少なくとも私は傍観者達にそう思われていると感じていた。だから味方がいなかったし、学級や学年の中では逃げ場がなかった。そういう意味ではひなたより辛い状況だと思う。
ただ私には何の救いもなかったかと言えばそうではない。部活の先輩方には本当に良くしてもらったし、世界史の先生にはとてもお世話になった。彼らがいたから、私は自分に何のメリットもない登校を続けることが出来たんだと思う。
あとひなたにも私にも温かい家族がいた。これがあるかないかで、いじめの悲惨さは全く違う。学校の寮住まいだと逃げ場が無くてシャレにならない。ひなたも私もいじめ被害者としてはまだマシだと思う。
ちなみに私は中学3年のとき、クラス内に女の子の友達が出来た。というか、女子数人のグループに入れてもらった。そうすると潮が引くようにいじめが無くなった。初めのうち男子らはその女子グループごと攻撃しようとしてたみたいだけど、うまく行かなかったみたいだ。ざまあ。
しかしながら私の「いじめてもいい人」認定は高校卒業まで続いた(中高一貫で、高校から編入する生徒が割と多い学校)。高校生になると学校一の部員数を誇る吹奏楽部に所属したことで味方が大幅に増え、学校では大概友人と一緒に行動してたのでいじめられることはほとんど無くなった。一旦友達ができると、あとは友達の友達という感じでねずみ講のように増えていくしね!友達と呼べるまでの仲になれるかはともかく、悪い人ではないと思ってもらえるのは良い。仮にいじめが起こったとしたら、味方寄りの傍観者になってくれるだけありがたい。それに友人が多いとBの悩みが一気に解消されるのね。学校生活が捗る捗る。実験も実習も友人と一緒だと楽しい。教科書忘れても他のクラスの子から借りれば良いから問題なし(←おい)。中学2年時の臨海学校は拷問のようだったけれど、高校2年時の修学旅行ときたらまさに青春そのものだったよ。
とそんな健全な高校時代だったんだけど、センター試験の帰りに友達と別れて一人別方向の電車に乗ろうとしたら、そのホームで中学時代の加害者グループにバッタリ出くわしたんだな。彼らは私を視認するや否や(一人だってことを確認してから?)火がついたように爆笑しだした。私を指差して。すごく嫌な嘲笑。わかる?「ノートルダムの鐘」でカジモドが群衆に嘲笑されるシーン。ああいう感じ。
え、何?私まだいじめられてるの?つーか約3年間一切手出せなかったくせに、「いじめてもいい人」認定は続いてたんだ。愛され過ぎだろ自分。意味わかんね。貴様ら全員落ちろ。大学にじゃなくて地獄に落ちろ。と思った。
で話を戻すと、「C. 他人の理不尽な悪意に日常的に曝される」のは本当に苦しいし、悔しいと思う。でもひなたには素敵な家族や零君がいるじゃん。それに少なくともクラスの傍観者達はひなたが悪くないってこと知ってるじゃん。高橋君がいじめと関わっているのか書かれていないけど、彼もきっとひなたが良い子だってわかってるよ。だからあんなにも泣きじゃくるひなたに共感できないんだよなー。まして彼女は誇りを持って友人を庇ったわけでさ。その結果のいじめなのに、そんなに泣くほど辛いかな。
あんたはともかくひなたにとっては泣くほどのことなんだヨ、と突っ込まれたらそれまでだけど。作者羽海野氏は姪っ子が実際に受けたいじめをモデルにしているそうなんだが、本当にわかってるのかな?いじめで一番辛いのはCだと勘違いされてたら嫌だなぁ。本当に苦しいのは「A.味方がいないこと」との合わせ技なんだよ。そしてひなたには味方がいるのに、Cだけでピーピー泣いているようにしか見えないわけよ。
あ、もしかして、それこそ高橋君がらみでなんかあったのかな。これはあり得る。あとは川本家のことでなんか言われたとか?うーむ、次巻以降に期待だな。