2011年6月18日土曜日

入院の思い出4

入院話最終回。

・ピエロのオルゴール

 入院中はお見舞いの品をいろいろもらったのだと思うが、一番嬉しかったのはピエロのオルゴール。父が買ってくれた。ほんの手のひらサイズで、小さなハンドルを回して鳴らすもの。シンプルな箱形で、ピエロの絵が印刷してある。私と妹に一つずつ。私の曲は「星に願いを」。入院中の無聊をだいぶ慰めてくれたと思う。

・妹の点滴が抜けた

 入院中の一大事件。母が売店にアンパンを買いに行っている間、私と妹は空想の世界で遊んでいた。一人ではつらすぎる絶対安静も、妹と二人ならへっちゃら。

 妹と私は家でも消灯後よく空想の世界に旅立っていた。なかなか寝静まらずに騒いでいるので母に「早く寝なさい」と怒られることもしばしば。何の道具も使わずに、言葉だけを操って、たくましい想像力で以て遊んでいた。

 で、そのときのテーマはあろうことか、「入院ごっこ」。夢の世界に行ってまで入院して何が楽しいのかよくわからんが、まあとにかく言葉でロールプレイングをしてたわけだよ。あんまり憶えてないけど。

 と、そうこうしているうちにふと妹の姿を見たら、ベッドが血まみれだった。びっくりして「○○ちゃん、血が出てるよ!」と言ったら、「大丈夫だよ、『ごっこ』だし。」と噛み合わない返答の上にヘラヘラ笑っている。「いや、本当に血が出ているんだよ!」と叫ぶが、「『ごっこ』だから〜」と何やら楽しそうだ。

 注射をあれだけ怖がる妹のことだから、あのとき平然としていたのは今思えば自分の出血に気づいてなかったんだろう。でも私の目に映るのは、自分の血で真っ赤に染まったシーツにくるまれながらニコニコ笑っている妹、という相当ホラーな状況だったんだ。まあその出血も今となってはどれだけ酷いものだったかはわからない。私の記憶ではベッドがまさに血の海、という状態だったのだが、あまりの衝撃に脳が大袈裟に感じてしまっただけで、本当は大したことなかったかもしれない。

 とにかく私は動転してしまった。早くしないと妹が死んでしまう。ママはしばらく帰ってこない。看護婦さんもいない。私がなんとかしなくちゃ。が、自分とて点滴に連結させられベッドから動くことができない。絶体絶命。

 と、ふと思い出したのが「押しちゃいけないボタン」。正確には「ふざけて押したらダメ、でももし何かあったら押しなさい、看護婦さんが来てくれるから。」と言い含められていたボタン。早い話がナースコール。今こそ、今こそこのボタンを押すとき。

 すぐに看護師さんに繋がり、「どうしましたか〜?」と明るく尋ねられた。「妹のベッドが血まみれです。」とでもいえば良かったんだろうが、ただでさえ日本語が不得手な3歳児、おまけにパニックも重なってわけわかめ、泣きながら「○○が、○○が、」と繰り返すだけで精一杯だった。

 すぐに何人もの看護師さんが駆けつけてくれ、妹の処置やシーツ交換などを目にも留まらぬ早さで成し遂げていった。ちなみに母が売店から帰って来たのもそのときで、何人もの看護師さんが出入りしててんやわんやになっているのを目にして相当びっくりしていた。

・政見放送へのうらみ

 妹は私より症状が軽かったので、リハビリ?も私より早くに取りかかった。退院へのステップとして、ベッドから離れて病院内をお散歩することを許された。しかし妹がお散歩に行くということは、その間私は一人病室に取り残されるということなんだな。もちろん母は付き添いで妹についていく。ただでさえ一人は淋しくて退屈なのに、その間母と妹は水入らずでお散歩を楽しみ、かけがえのない経験を共有していくわけだ。その切なさったら筆舌に尽くし難い。

 朝食を食べ、8時半くらいから子ども番組を見、850分くらいから「みんなの歌」が始まって、9時から「おかあさんといっしょ」が始まる。違うかもしれないけど、だいたい朝はこんな感じで過ごしていた。が、ある時期選挙シーズンに入ったのか「みんなの歌」が潰れて政見放送になることがしばしばあった。

 そこで母が「もしみんなの歌があったら、3人で一緒に見よう。もしなかったら○○ちゃんとお散歩しよう。音姫ちゃんはお留守番ね。」と言った。だから私は「今日こそみんなの歌がありますように」と一生懸命お祈りした。でもその想いもむなしくみんなの歌は潰れてしまい、母と妹はお散歩に行ってしまった。おのれNHK・・・

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