2011年6月16日木曜日

入院の思い出3

コピペ続き


・「『いで』って言って」って言う看護師さん

 私は注射で泣くことはなかったが、ある時に「いでっ(痛てっ)」と漏らし、それが妙に看護師さんのツボにハマったらしい。以来その看護師さんには会うたびに「『いで』って言って」とリクエストされるようになった。正直めんどくさかったが、私のことを気に入ってくれているのは純粋に嬉しかったし、そういう人の要望にはなるべく応えてあげたいので、毎回「いで」って言ってあげた。

 入院中は何人かの看護師さんにお世話になったのだが、その中でもこの看護師さんは2番目くらい頻繁に私の前に現れたので、看病に来た母にその看護師さんのことを話すことも多かった。しかし私は彼女の名前を知らないので「「『いで』って言って」って言う看護婦さんがね・・・」という具合に表現していた。なんともまどろっこしく、語呂も最悪だとは常々思っていたのだが、彼女のアイデンティティを表現するにはこれしかなかった。


・成長痛

 幼児期、私はしばしば足の痛みに悩まされた。両足がぎゅーっと引っ張られて、骨が悲鳴を上げている感じ。第二次性徴期でもたまにあったので、おそらく成長痛だと思う。結構辛くて歩けない、立てない。注射には泣かなくても足の痛みには泣く。

 肺炎の苦しさは全く憶えていないが、入院中にも何度か成長痛が起こったのは記憶している。病院だから治してくれるかと思っていつもより気持ち激しく痛みを訴えたが、看護師さんとしてもどうしたらいいのかわからないらしく、いろいろな姿勢を試させられた。薬飲んだり注射したりで治してくれるわけでは無さそうだったので、ちょっとがっかりした。そのうち看護師さんがベッドの足側を起こしてくれた。病院のベッドは食事のときなどハンドルを回して上半身を起こせるようになっているが、下半身側も同じことが出来るらしい。ベッドの新機能を知ったのが面白かったし、実際足を高くして寝るのは結構気持ちがいいので、成長痛にはあんまり関係がなかったけど「こうすると楽です」という旨を看護師さんに伝えた。その後成長痛が来るたびにベッドの足側を起こしてもらった。

・お絵描き

 入院中の退屈な時間を、ベッドの上という限られた場所でどのように潰していたのかはあまり憶えていないのだが、絵はよく描いていた気がする。それでお世話をしに来た看護師さんに披露していた。

 大人というのは大概、幼児に絵を見せられると「これは何?これは誰?」と尋ねる。私もそうする。でも幼児だって抽象的な絵を描くこともある。誰でもない人物画を描くことも大いにある。

 で、私は「女の子」を描くのが好きだったんだが、看護師さんが必ず「これは誰?」と訊いてくるので、そのときの気分で適当に答えてた。「看護婦さん」とか「ママ」とか「おともだち」とか。いかんせん日本に来てからまだ3年、その貧困な語彙で誰でもない「女の子」の絵を喜んでもらえるようにプレゼンするのは非常に困難だったので。

 私は絵を描くのが好きだったが、描いてもらうのも好きだった。なので母にはよく絵を描いてもらった。それで「ママが描いたんだよ」と看護師さんに見せたこともあった。そのとき母は不在だったのだが、あとで看病に来てくれたとき、「ママは絵がとっても上手だって看護婦さんが言ってた。」と報告したら、「看護婦さんに見せたの?いやだなぁ、恥ずかしいなぁ。」と言われた。

 「私は恥ずかしくないけどなぁ」といまいち腑に落ちないながらも(そりゃおめーは恥ずかしくないだろうがよ)、それ以来母の絵を看護師さんに見せることはやめた。そういえば看護師さんにも絵を描いてもらった気がする。忙しかったろうに、申し訳ない。

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