2013年2月12日火曜日

小学校の思い出5


授業中挙手しなかったら立たせる、宿題忘れたら竹定規で叩くなど、I先生の授業は前時代的なものだった。だから体育に関してもお察しというものである。

一番キツかったのはうさぎ跳びで体育館二往復かな。
平成だぜ?うさぎ跳びによる身体への悪影響は周知の事実だったろうに。
体力のある子はなんとかクリアしてたけど、私はできなかったね。あとたった 1 m なのに、跳ぶっていうか、動けなかったよ。膝ガクガクで立つこともできなかった。筋肉痛がその場で始まった。

あと意味が分からなかったのはごろごろ転がって体育館二往復。
前転じゃなくて、寝返り打つ方向でひたすらごろごろ、体育館二往復。
三半規管弱い方は、文章だけで吐き気がこみ上げてくると思う。
お食事中だったら申し訳ない。
私も車酔いしやすい方だし、子どもの頃は何かに乗るたびに体調悪くしていたけれど、あんなに辛かったのは後にも先にもないよ。
ガチで死ぬかと思った。
自分が転がっているのか、床が自分の周りをぐるぐる回っているのかわからんかった。

体育の授業じゃないけど、遠足の後にマラソンなんてのもあったな。
何キロあったか知らないけれど、自転車で行くんでもちょっとしたエクササイズ、徒歩だとそれなりに手応えのあるウォーキングになる距離だったと思う。だから子どもにとっては結構キツい。

朝から歩いてお昼に着いて、みんなでお弁当を食べて、目一杯遊んで、また歩いて学校に戻って、クタクタになりながら先生の「家に帰るまでが遠足です」を聞き流す。で、やっと家に帰れると思ったら、
「……の前に校庭十周。」
あれは絶望したわ。でも走ったよ。走ったっていうか、何だろう、歩くとI先生にケツ蹴っ飛ばされるので歩いてはいないんだけど、うん。普通のジョギングの0.01倍の出力で微妙に移動していた感じ。
でも十周は走らなかったな。5周くらいサバ読んだ気がする。それでもバレないくらい私は周回遅れになっていたのだよ、うん。運動の得意な先頭集団はもうだいぶ前に走り終えて帰ってしまったし。

今思えばうさぎ跳びもゴロゴロも遠足マラソンも、それによって何かが向上しそうな指導ではないね。身体にダメージを与える以外の目的がないように思う。
それを私は「昔ながらの厳しい先生なんだ」と解釈していたけれど、当時30代ならそうベテランでもなかったんだね。
むしろ「そういうことやってみたかった若造」っていうか。まあ若造ってほど若くもないけど。

遠足で思い出したけど、小学校での遠足や社会科見学など、行列で歩かされる企画にはいつもイライラしていた。
I先生を含め、多くの小学校教員は自分の近くにいる児童しか見えていない。
すると長い列の真ん中ら辺の子たちがおしゃべりをする。
おしゃべりしながら前を見ないでちんたら歩く。
気づけば先頭集団はだいぶ先に進んでいる。
だからダッシュで追いかける。
お喋りしていた子以降の子ども達は全員ダッシュするハメになる。
おまけにおしゃべりで律速になる子どもは1組や2組ではない。
その全てのしわ寄せを引き受けるのは最後尾の子どもだ。
たいていこういう行列は背の順で、子どもの頃から身長の高かった私は常に最後尾集団にいた。

子どものときはおしゃべりしている連中にイラっとしたものだけど、そこらへん気を配ってちゃんとペースを作るのは担任の仕事だと思うんだよね。おしゃべりする子を注意するなり、スピードを落とすなりさ。
なに数人の小柄な子だけ引き連れてズカズカ歩いてんの?
ダッシュしてはちんたら、ダッシュしてはちんたらを何キロも続けてたら、そりゃヘトヘトになるわ。

一番腹が立ったのは、とうとう隣のクラスに追いつかれたとき、そこの担任が「何だ君達、遅いぞ。おしゃべりしてるからこうなるんだ。」と我々最後尾集団を叱ったこと。

行列で歩かせる以上、最後尾集団が遅いこととその子達自身の歩くスピードとは全く関係がないのに、彼らを叱ってハッパをかけても行列のスピードは全く変化しないのに、何年やってもそれに気づかない、頭の悪い教員が少なくない。

うん、I先生に限らず、小学校のときは何かと理不尽だったわ。教員もそうだし、なんかいろいろシステムがおかしかったわ。ガキもバカだし。
中学に行ったら大変だぞ、とか社会人になったら大変だぞ、とか言われてきたけど、一番理不尽で辛かったのは小学校の頃だった。進学するにつれ、環境が変わるにつれ、バカが減って似たような価値観の人たちで集まるようになり、どんどん快適に、楽になった。

2 件のコメント:

石井 さんのコメント...

バカ減ったなぁ。

aqualerius さんのコメント...

優等生あるあるだね。

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