2013年2月12日火曜日

小学校の思い出4


I先生が辞めた後、私は他の先生方にすごく目をかけてもらえるようになった。
それは母とAちゃんのお母さんのおかげだと思う。

I先生の女子児童拉致事件(教室だけど)が発覚して以降、小学校では毎晩のように「臨時保護者会」という名目のI先生糾弾会が開かれた。
参加者はAちゃんのお母さんを中心とする保護者連合。学校側はI先生、校長、教頭がレギュラーメンバー。あとは数人の教員と養護の先生が入れ替わり立ち替わり。

日常的に体罰を繰り返し、特定の女子児童に普通とは言えないコミュニケーションを取るなど、I先生の行いが常軌を逸したものであったことは確かだ。でも保護者連合のやり方も、とても良識ある社会人がするものではなかった。
まずAちゃんのお母さんは会議の度にレジュメを作り、それを全員に配布した。私はレジュメを見たことはないのだけれども、I先生が何月何日何時何分誰それを殴っただ泣かしただ、そういうことがびっしり書かれたものだったという。
母はそのことにドン引きしていたが、子どもの私はその詳細なレポートを作ったであろうAちゃんの執念にビビった。
で臨時保護者会はそのレジュメを元に、いついつ先生が殴っただ、そんなことはしていないだ、恫喝しただ、叱っただけだ、概ね言った言わないの水掛け論に終始した。Aちゃんのお母さんの尻馬に乗って、バカガキを持つバカ親がうちの子もあんなことされたこんなことされたと騒いだ。

こういうあまりに非建設的非合理的な集会だったものだから、心あるまともな親達はどんどん離れていった。回を重ねるたびに保護者の参加数は減り、残ったのはAちゃんのお母さんとその取り巻きだけだった。

が、私の母は参加し続けた。母自身がどう思って参加していたのかは直接聞いてみないとわからないけれども、私が母に「参加して欲しい」と頼んだからだと私は思っている。うちは共働きで、母はすごく忙しかったろうに、それでも毎夜開かれる何の生産性もない知的レベルの低い話し合いに参加し続けてくれた。母ありがとう。

私が母に参加して欲しかったのはやはり先生に辞めて欲しくなかったからだ。というか、辞めさせるにしても、こんなバカげたやり方はおかしいと思ったからだ。あと辞めさせるならその後のことを考えてくれと。I先生がいなくなったら、貴様んとこのバカ猿が暴れそうなんだよ。ちゃんと躾けてくれるんだろうな?え?
それから正直、この非日常にワクワクしてたってのもある。先生を辞めさせるための保護者会が毎夜開かれるなんて、こんなファンタジーなことがあるか。母には是非参加してもらって、その様をウォッチングしてもらいたい。母ゴメン。

そうこうしているうちに、ある出来事が起こった。
その日は保護者連合は気合いを入れて、区教委をお招きしていた。そして区教委の前でいつものような水掛け論を展開し、「とにかく、I先生に担任を降りていただきたいのはクラス全員の総意なんです!」とAちゃんのお母さんが締めくくった。
すると私の母は何を思ったか、「確認したんですか?」と茶々を入れたのである。

別にクラスの総意でもなんでもなかった。何が何でもI先生を辞めさせようとしていたのは臨時保護者会に参加しているAちゃんの親と取り巻きだけ。半分以上の保護者は辞めろも辞めるなも意思を表明していない。っていうか関わりあいになりたくなかったんだろう。そんな状態なのに、確認もなしに勝手に総意にされちゃかなわん。

母のツッコミにAちゃんのお母さんがどう対応したのかは知らないが、あまりはっきりした返答はできなかったようだ。実際確認してないしね。おまけに母のツッコミのすぐ後に、区教委の方々は帰ってしまったらしい。

これがAちゃんのお母さんのプライドを相当傷つけたようだ。その日から私の母はAちゃんのお母さんに敵認定された。彼女の脳は「私に歯向かうもの=I先生派」という実にシンプルな構造をしており、私たち母子は「I先生信奉者」として相当ヒステリックに扱われたのである。その後の保護者会でめっちゃ嫌味言われたりとか、時には壮絶な舌戦が繰り広げられたりとか、まあ子どもに聞かせる話でもないので多くは知らないが、いろいろあったらしい。

が、そのおかげで他の先生方からはすごく好意的な印象を持たれたようだ。
無論「I先生信奉者」だったからではない。もし本当に信者だったら、それはそれで先生方にとってもうざいだろう。
集団ヒステリーに近い保護者連合の中で、私の母は唯一の良心と言うか、理性と呼べる存在だった。まともに話ができる人間はうちの母だけだった。
いや、まともな親は大勢いたと思う。ただそういうまともな人はそもそもあんな愚かな会で時間を無駄にしたりはしない。
比較的まともなのに、何故か毎回やってくる酔狂な保護者、それが私の母だった。

I先生が辞めた後、何故か再び臨時保護者会が召集された。もう保護者会の目的は達せられ、その役割は無くなったというのに。
そしてAちゃんのお母さんはまた例の如く、参加者にレジュメを配布した。そこにはやはり例の如く、誰かの一挙手一投足が分刻みで詳細に記載されていた。
でもそれはI先生の行動記録ではない。だって彼はもう学校に来ていないから。
それは先生ではなくて、一人の児童の記録だった。
唯一のI先生信者である女子児童の失意の日々を、細大漏らさず捉えた大作ルポタージュだった。

要するに私の観察日記だった。

その記録は
「このように、唯一のI先生信奉者だった□□ちゃんは(わざとらしく伏せ字だった)クラスから孤立してしまい、可哀想な日々を過ごしています。彼女もまたI先生の犠牲者と言えるかもしれません。」
と締めくくっていた。
いや、その日はたまたま塾でテストだから一人で帰っただけだって。なに勝手にぼっちみたいな扱いしてくれてんの。
確かにいじめっ子は不穏な動きを見せていたけれども、クラスに仲良しの友達はたくさんいたし、彼らとの仲はI先生が辞めても全然変わりなかった。毎日普通に、楽しく過ごしていた。
そういう私の日常が、書きようによってはこんなにみじめったらしく、哀れに描写されるのかと、後日母に頼み込んで見せてもらったときは驚いた。

そんなものを配ってAちゃんのお母さんが何をしたかったのかわからない。
でも母はキレた。
私が気に入らないなら私に嫌味でも嫌がらせでもすればいい。でも子どもに手を出すのはあかんやろ。越えちゃいけない線を越えてる。
怒りをあらわにする私の母を、Aちゃんのお母さんは鼻で笑った。

がここで意外なことが起こった。
今までAちゃんのお母さんの取り巻きだった保護者たちが、「これは酷い」と反旗を翻したのだ。
Aちゃんのお母さんは、自分の味方であり手下だと思っていた保護者達による猛烈なバッシングを受け、逃げるようにそそくさと姿を消した。

Aちゃんのお母さんは勘違いをしていたんだと思う。彼女の取り巻きは単にI先生に辞めて欲しかっただけ。Aちゃんのお母さんが頑張ってレジュメ作ったり区教委に掛け合ったりしていたから、I先生を辞めさせるために応援してただけ。
I先生が辞めた今、保護者達はAちゃんのお母さんには何の興味もなかった。ましてやAちゃんのお母さんのカリスマ性に魅せられた手下なんかじゃなかった。
「私の敵=I先生派」と同様、彼女の脳では「I先生反対派=私の味方」となっていたんだろうけど、どうも当てが外れたようだ。

彼女の取り巻きがI先生を辞めさせたかったのだって、全ては我が子のためなんだよね。そして子を持つ親として、Aちゃんのお母さんが私たち母子にしたことは、到底看過できるものではなかった。

ところで私の母は「私でなく娘に手を出すなんて許せない」と怒っていたけれど、子どもの立場からすると私に手を出したのはAちゃんのお母さんじゃなくてAちゃん自身だった。

私の分刻みの行動、そんなものを記録できるのはAちゃんのお母さんじゃなくてAちゃんだから。I先生の記録もそうだけど、Aちゃんのお母さんが教室で見張っていたわけではないので、レジュメ用のデータをとっていたのはAちゃん自身だった。
今だったら子どもにそんなことをさせる親の神経を疑うけど。
子どもだった私は、Aちゃん本人が私に向ける悪意を初めて認識して、とても悲しくなった。
なんでそんなに憎まれたのかわからない。
自分の母とAちゃんのお母さんがアレな感じになっているのは知っていたけれど、私とAちゃんの関係は別だし、「Aちゃんのお母さんってスゲエ人だなwwww」とは思ってたけど、Aちゃんのことは大好きだった。I先生が辞めてからちょっとギクシャクしてしまったけれど、私は変わらずAちゃんは友達だと思っていたし、Aちゃんもそうだと思ってた。

やっぱり、親の影響かね。Aちゃんのお母さんが家で私たち母子の恨みつらみをぶつけるから、Aちゃんは私を嫌いになるべきだと思ってしまったのかも。
あるいはアレかな。例の体罰体験を書かされたときに、「お前何そんな恥ずかしいこと一生懸命書いちゃってんのm9(^Д^)プギャーwwww」したからかな。
アレは悪いことをした。恨まれてもしょうがない。

しかし、Aちゃんのお母さんが自爆してくれたおかげで、先生方が私の「心のケア」に全力で取り組んでくれるようになったと思う。私へのいじめに対してもすごく警戒してもらった(それでもいじめられたけど)。もともと私たち母子は先生方に信頼されてたから、かなり好意的に手厚く保護してもらえた。

ある日家庭科の調理実習でクレープ作りがあったのだが、私はうっかりエプロンと三角巾を忘れてしまった。
しかし私は真面目系クズ。正直に「忘れた」と告白するんでは優等生の沽券に関わる。クレープはすごくすごく惜しいが、それよりもまず自分のイメージダウンを避けねばならない。

というわけで私は新担任であるところの教頭先生に頭痛を訴え、保健室でサボることにした。
くそー、クレープ食べたかったなー、くそー、と痛くもない頭を抱えてベッドに潜り込んでいると、教頭先生が保健室にやって来た。
そして養護の先生とひそひそ話をし、私に声をかけることなく去って行った。

校庭でサッカーをする児童の歓声やホイッスルの音。
音楽室のへたくそなリコーダーの合奏。

そんな音を聞くともなしに聞いていたら、養護の先生が枕元にやって来た。そして椅子をひいて、そこに座った。

「ばっちちゃん、頭痛大丈夫?もし気分が悪くなかったら先生とお話ししない?」
気分は頗る良かったので、半身を起こした。
「ばっちちゃん、何か悩んでることある?もし何かあったら話してみない?先生誰にも言わないから。」

あ、あかん。今私「心のケア」されてる。
すんません。単にエプロン忘れたから仮病でサボってるだけなんです。本当にすんません。

まあそれでも悩んでることの2つや3つはあったさ。そりゃ人並みには悩んでるさ。だから養護の先生に聞いてもらおうと思った。思ったんだけど、なんか何言っていいんだか、どういう順番で何を説明したらいいんだか、全然わからなかった。だから何も言えなかった。

「悩んでること、ないです。大丈夫です。」

というようなことを答えたと思う。心の中では「せっかくの機会なのにもったいない!」という思いと「嘘ついて心配かけてごめんなさい」という思いとごっちゃになってた。
が、養護の先生の目には辛くても大人に相談せず、一人で抱え込む私がとてもいじらしく映ったに違いない。あるいは、悩んでいないはずがないのに心を開くことを頑強に拒む姿から、問題の根深さを感じ取ったかもしれない。で、そのストレスに耐えかねて保健室にやって来た、と。

授業が終わる30分ほど前に教頭先生がやって来て、「クレープできたよ、みんなで食べよう!」と言ってくれた。養護の先生も「いってらっしゃい」と言ってくれたので、私は教頭先生と家庭科室に向かった。

家庭科の班にはいじめっ子はいなくて、私と仲が良い子だけで構成されていた。
教頭先生は養護の先生だけじゃなくて彼らにも何か言ったらしく、私は異様に温かく迎えられた。
あれだよ、マラソンで一番遅い子が最後の最後にゴールしたときに、他のみんなが既に整列した上で拍手で迎えてくれるやつ。あんな感じ。
そして彼らは、私の分のクレープも焼いてくれていた。エプロン忘れてサボった私のクレープを。
これはさすがにちょっと泣いた。みんなの温かさに感動したのももちろんあるけど、これだけ大事にしてくれて心配してくれる友達や先生を、彼らの信頼を、いとも容易く踏みにじった痛みで泣いた。


クレープ美味しかったです。

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