2013年2月1日金曜日

橋下市長のツイートから思うところ3

小学校の頃のことを色々思い出したので書く。 

今思えばI先生は本当に酷かった。指名して答えられない児童を竹刀ならぬ竹定規(1 m)でビシィッと叩くのは日常茶飯事。中にはどう見ても「暴行」としか言えないような体罰を与えられた男子児童もいた。 
その子は立てなくなるまで蹴られたあげく、「お前のようなヤツはゴキブリのように這いつくばったまま一生を終われ」なんて暴言を浴びせられてた。 
それでもめげずにやんちゃを繰り返し、その度に折檻されてた彼だけど、ある日急に転校してしまった。やはり体罰に耐えかねてのことだったらしい。 

暴力だけでなくセクハラまがいの行為もあった。被害者はクラスで一番かわいい女子児童。 
席替えが数回あったにも関わらず彼女の席は常に最前列の真ん中ら辺。 
授業の度に指名し、答えられなければ泣くまで説教。休み時間も説教。放課後も説教。 
かと思えば彼女を膝の上に乗せてイチャイチャニヤニヤ。 
祝日にPTA主催のバザーが学校で開催されたときも、友達と来ていた彼女を一人だけ教室に来させ、なぜか説教。そして行方不明かと血相変えて校内を探しまわった母親に発見された。 

他にどんなに良いところがあっても、どんなに温かい年賀状が書けても、男子児童に暴行して転校に追い込み、特定の女子児童と不自然なコミュニケーションを図ろうとする、この2点だけでもう教職を降りるに足る不祥事だ。 
橋下市長が暴力教師ではなく、事なかれ主義の学校や教委、暴力の伝統を死守しようとする生徒保護者に手を焼いている様を見ると、毎晩のように学校で保護者会を開き、教育委員会まで動かしてI先生を担任から降ろした当時の保護者たちはある意味よくやったなぁ、と思う。 

それでも私はI先生に辞めて欲しくなかった。 

別に先生に心酔してたわけじゃない。信奉してたわけじゃない。I先生の理不尽さは当時小学生の私にもある程度理解できていたし、正直軽蔑することもあった。でも全体としては好感を持っていたし、信用できる部分とできない部分を分けて考えていた。 

普通だよね?先生であれ友達であれ、人に好意を持つことは、何もかも信じて悪いことから目を逸らし崇め奉ることじゃ無いじゃん。ぶっちゃけ愚かだなと思う部分もあるし、この人のこういうところついていけんわとか思いつつ、それでも尊敬する部分や信頼する部分があって、全体的に好きになるわけじゃん。共感できない部分も含めてその人に好感を持つわけじゃん。

私はI先生をそういう風に好きだったんだよ。普通に。 
それでも、友達があるいは暴行され、あるいはセクハラされるのを目の前で見ていながら「先生に辞めて欲しくない、先生を辞めさせるのは間違っている」と思っていた当時の自分はやはり異常……というかまあ単に幼かったんだな。 



っていうかなんで私はそのクズ教師が好きだったんだろう。 
いろいろ思い返してみると、やっぱりよく褒めてくれたからかな、単純に。 
いや、私は優等生だったんでね、教師に褒められることくらい珍しくも何ともないですよ。できて当たり前。褒められて当たり前。 

が、I先生の学級ではそれが当たり前じゃなかったんだな。 
例えば「社会の課題」。 
レベル1は東京都23区の場所と正確な漢字を覚えること。それを覚えたら次はレベル2:都道府県。レベル3:県庁所在地。レベル4:代表的な湖沼とその所在地。その後は代表的な河川、山と続き、レベル7で世界184カ国の正式名称及び首都。それをクリアしてもまだまだ先がある。 
超頑張った。「通学は義務、勉強は中学受験用の塾でするもの」と思っていた私が初めて学校の勉強を頑張った。 
これは今でもI先生に感謝している。私の「国の名称とその首都」の知識は1995年以降更新されていない(←おい)。 
知識だけではなく、「ひたすら暗記する」という経験そのものが私ののちの人生を結構楽にしてくれたと思う。 

社会だけでなく、I先生は様々な課題を出した。まあ私は真の優等生ではなく、わりといい加減な子どもだったので(今でもそうだけど)、そのすべてを頑張ったわけでもないしクリアできたわけでもない。でも小学校で初めて自分の実力以上の課題を出され、その一部しかクリアできなかったという経験は、落ちこぼれならぬ吹きこぼれとして伸び悩んでいた私の力を大いに成長させてくれたと思う。 
そして頑張ったからこその達成感、頑張りを褒められたことの感動は、ぬるま湯のようだった小学校4年生までの比ではない。 

課題だけじゃなく、授業もやや高度だった。もちろん基本的にはぬるいんだが、ただ漫然と授業を聞いているだけでは答えられない質問をすることがよくあった。 
例えば「比例」について初めて習ったとき、I先生が 
「正方形の面積は1辺の長さに比例するか?」 
と質問したんだよね。それで「いいえ」に手を挙げたのが私だけだった。あれは気持ち良かったわ。 

あるいは社会で伝統工芸について習ったとき、教科書に描かれた各都道府県の代表的伝統工芸品の図を指差して、「これを明日までに全て覚えてくるように」という無理ゲーを強いられた。 
私は頑張って覚えたよ。塾もあるのに、一晩で単語カードを作って暗記した。社会の課題レベル7の私には「47個なら一晩で何とかなる」という目算もあったしね。 

で、次の日I先生はテストを行った。一人一人「○○県は?」と指名し、答えられなければその場で起立。 
私が驚いたのは誰もほとんど覚えていなかったこと。というか、誰もあの無理ゲーを先生が本気でさせるとは思っていなかったようだ。本気に決まってんじゃん。I先生だもの。 

そして私より前の席の人が全員起立してもはや教壇に立つI先生を視認できないまま、私は先生がランダムに読み上げる都道府県に対して、該当する工芸品の名前を答える。2,3答えた辺りで先生は隣の人を指名し、結局自分以外のクラス全員が起立した後に残りの40個くらいを全て答えさせられた。 
あれは気持ち良かった。超気持ちよかった。 
今思えばクラスメイトだけでなく、I先生自身もマジで暗記してくる子どもがいるとは思わなかったんじゃ……全員立たせてお説教タイムがしたかっただけのような気も……。 

夏休みの読書感想文を褒めてくれて、私の文章だけみんなの前で読んでくれたこともすごく嬉しかった。『星の王子さま』だっけな。 



I先生を辞めさせるための保護者会が結成され、それと同時に子どもたちも先生への反感を隠さなくなった。 
私はそういうクラスメイトやその保護者に対してものすごく苛立ちを覚え、そして軽蔑した。
確かにI先生の暴力やセクハラはそれだけで担任だけでなく教職を辞すべき不祥事だ。 
でも先生に対する批判が「高すぎる要求」……つまり社会の課題とか、授業中に難しい質問をするとか……にまで及んだから、当時の私は腹が立ったんだよ。 

私は課題をこなすために頑張ったし、頑張ったからこそクリアできた。頭が良いからとか、塾で先に習ったからとかじゃない。頑張ったんだよ。 
いくつかクリアできないものもあったけれど、「クリアできない課題を出す方が悪い」なんて思ったこともない。 

それを「課題が難しい。故にI先生が悪い。」ってさ。バカじゃないの?それ自分で言ってて恥ずかしくないの?まず努力しようよ。学生なんだから勉強しようよ。 
猿どもがバカなのはしょうがないにしても、驚くべきはその親だ。子どもに課題を頑張らせるのではなく、クリアできるようなレベルに引き下げろという発想が理解不能だった。 

今思えば「高すぎる要求」も指導力不足と批判されるに足ると思うよ。やるにしてももうちょっとうまい方法を考えるべきだったと思う。ましてや質問に答えられないという理由で給食の時間まで立たせたり、定規で殴ったり、課題のクリアのためにクラスメイトのほとんどを休み時間に外で遊べばせなかったんだから、そりゃダメだよなww 

ちなみにそのI先生、担任を降ろされ、マスコミに騒がれたにも関わらず、普通に他の小学校に行って、普通に担任を持ち、普通に教員を続けてる。多分今でも。数年前に名前をググったときは、教頭とはいかないまでもベテラン教師らしいそれなりの役職についていた気が。当時30代だから今はもう50前後か。彼があの事件に懲りたか、改心したか、それともあの頃と変わらないかわからないけれど、ああいう不祥事を起こした人間が普通に教職を続けられるのはやっぱりおかしいと思う。 

桜宮高校の悲劇を悲劇で終わらせないためにも、日本の教育システムそのものを根幹から変えていく必要があると思う。 
具体的にどうしたら良いのか全然わからないけれど。 

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