2012年11月8日木曜日

幸せの閾値


最近「シュタインズゲート」というアニメを見て、面白かったので原作のゲームを購入した。
ゲームの方もアニメ同様ストーリーやSFの設定がよくできていて面白いんだけど、残念なことに日本語がおかしい。特に馬から落ちて落馬系が多い。
例えば
「鮮やかなほどの紅が……」
「俺は心の中の好奇心を抑えきれずに……」
「○○という危険性がある可能性を考えて……」
などなど。
ゲームが面白いだけに、こういうところが何とももったいない。
まあ私の文章も大概だけど、プロの仕事には相応のクオリティを要求したい。

ライトノベルにも酷いのがあるよね。
ある大人気ラノベを試しに開いてみたんだけど、1ページ目で読む気が失せた。筆者の知性の無さがその1ページから溢れんばかりだったよ。あれ以上読み進めるのは生理的に無理。

しかしあのラノベが好きな人は大勢いるんだよな。おそらく彼らはあの稚拙な日本語に違和感を抱くことなくスイスイと読み進め、筆者の描く独創的な世界を堪能できるんだろう。それは良いことのような気がする。「私インテリだから、こんな文章恥ずかしくって読めないわ」なんてお高く止まるよりも、ずっと人生楽しいと思う。

あることに対して造詣が深まると、それと比例して満足を覚える閾値が高くなってしまうんだよね。文章だけでなく音楽とか絵画とかその他諸々。

両親は音楽の専門家なのだが、小学生の頃音楽会の出し物にダメ出しされた記憶がある。小学生の合奏に何のクオリティを求めているんだと、小学生ながら思った。いや親としては子どもたちよりも、それを指導する専科の教員に物申したかったのかもしれんが、「よく頑張ったね。」「みんなとっても上手だったよ。」と褒められることだけを期待して帰宅した小学生に言うセリフじゃないだろう。当時の自分も可哀想だが、意気揚々と帰ってきた子どもにダメ出ししちゃう親もある意味不幸だと思う。それが満足の閾値が上がってしまった結果もたらされたものならば、「違いのわかる耳」を持つことが果たして幸せなのかどうか。
私は舌が肥えていないので何食っても美味いと感じるけど、「美味しんぼ」の山岡みたいな食通は世の中不味い物ばっかりで可哀想だと思う。
そういうのっていろいろあるよね。芸術だけじゃなくて、スポーツとか道具へのこだわりとか、本当にいろいろ。

私は生物を専攻しているが、生物に造詣があるせいで満足しづらいこと、何かあるかなー。「iPS細胞ちゅーので抜け毛から知らないうちにクローン人間が作れるらしい!」というノリについていけないことくらいか(笑)。科学を取り扱う小説などは、余程変でなければフィクションだと割り切るしなー。
あ、でも科学者の扱いに関しては結構敏感かな。「シュタインズゲート」はまさにそう。メインヒロインが天才科学者って設定なんだが、その割に頭が悪い。主人公との議論も稚拙。まあ作者の知性を超える作品は書けないってことだね。
他の作品でも科学者キャラがやたら科学者を自称したり、「論理性」を強調したりしているのはイラッとくる。しかも全然論理的じゃないし。

しかし知識に乏しい方が幸せなのかというと、それもおかしい。

以前研究室の先輩
「小説は、漫画・ゲーム・アニメ等の動画に比べて劣っている。なぜなら漫画・ゲーム・アニメは絵や音声や自分で動かすことを通じて効率的に情報を得られるのに対し、小説は文字情報しか持たないため非効率的だからだ。」
なんてアホなことを言い出したのでびっくりした。そういう考え方があり得るのか。
でもラノベをチラ見して、その先輩の言わんとするところが多少わかった。
全部がそうだとは言わないけど、ラノベの多くは映像が前提なんだよね。
筆者の頭の中でアニメが放映されていて、それをそのまま原稿に記載している感じ。同人作家など素人が陥りやすい。私も中学生の頃文芸部でその手の小説を書いていたので、痛々しさがよくわかる。
これじゃ確かにその作品が小説である価値は無いわな。
しかも小説を書くのに道具は要らない。漫画には多少の道具と画才が必要だし、ましてアニメは素人一人で作れるようなものではない。だからいつか人気が出てアニメ化してもらうのを夢見ながら、自分は小説での表現で妥協してるわけだ。うん。小説はアニメその他に劣っている。

でもさ、文章ってそうじゃないよね。文章はそれ自体が芸術なんだよ。小説を読むのは「文字という乏しい情報から時間的肉体的コストをかけてストーリーを把握する作業」じゃなくて、文章そのものを鑑賞しているわけよ。
小説で表現できないことをアニメその他で表現できるのかもしれないけれど、アニメその他で表現できないものが小説にはある。優劣なんぞつけられない。
小説から芸術を引いたら文字情報しか残らない。音楽から芸術を引いたら音声情報しか残らないのと同じように。
その先輩には文章に対する感受性が無いから、あんな恥ずかしい発言をしちゃうんだな。それってすごく貧しいし、不幸なことだと思う。まあ本人がそれを認識してない以上「幸せ」なのかもしれんが。

造詣が深くなると満足の閾値は上がるのかもしれないが、素晴らしいものが本当に素晴らしいことを理解できるんだね。
アマチュアオケのクソ演奏でもそれなりに感動してしまう私の耳では、本物の本当の良さが理解できないのかもしれない(笑)。理解するためにはそこそこ時間をかけて勉強しなければならない。

シュタインズゲートや某人気ラノベを手放しで楽しめないのは残念だけどねー。

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