2012年11月3日土曜日

劇場版魔法少女まどか☆マギカ総集編 前後編3-4:ほむら


☆ネタバレありの感想

続き。












・ほむら

冷静沈着な謎の美少女を気取っているけど、ほむらが一番頭悪いと思う。何度も何度もやり直している割に、物語中のほむらの行動には穴が多い。

ほむらの目的は二つ。
1. まどかの命を守る(そのためにはまどかを魔法少女にしてはならない)
2. ワルプルギスの夜を倒す(まどかの守ろうとした見滝原を守る)

ワルプルギスの夜をほむら一人では倒せないことがわかっているなら、マミ・杏子・ほむらの誰一人として欠けてはならないと思うんだよね。この三人で倒せなかったら、打倒ワルプルギスは諦めてまどかを見滝原から逃がすしかない。
あと目的達成のためにはさやかを魔法少女にしてはならない。さやかが魔法少女になったらそれだけ「さやかを救う!」とまどかが魔法少女になるリスクが高まる。おまけにさやかは大概ワルプル前に魔女化して、余計なGSを消耗させたり誰かを道連れにしたりする。
つまりマミがマミられさやかが魔法少女になった第四話の時点で、ほむら的にはほぼ詰みだったと思うんだ。ほむらの経験して来た中でも最悪な時間軸の一つじゃないかな。となればこの時間軸は早々に諦めて、次の時間軸のまどかを助けに行った方が良かったんじゃなかろうか。

あとほむらの言葉はわかりにくい。改めて見直すと、淡々と話すほむらの言葉の中にどれだけの思いが込められているのかを初めて知って泣けてくるのだが、あんな抽象的な話し方ではまどかにも視聴者にも何も伝わらない。
「家族や友達が大切ならば、今とは違った自分になろうなんて思わないことね。あなたは鹿目まどかのままでいればいい。今まで通り、これからも。」
じゃなくて
「なんか白い生き物があの手この手で『魔法少女になってよ☆』とか言ってくるけど、奴は人間を食うエイリアンで、奴の目的はまどかを絶望させることなのだから関わるな。」
とかさ。はっきり言えばいいのに。事実まどかには全然通じず「私の願いは魔法少女になること☆」とか寝言をほざくじゃないか。

ほむらは何度も何度もやり直してきたけれど、その失敗から学ぶんじゃなくて、逆にどんどん意固地になってどツボにハマってしまうんだよね。そこが彼女の少女らしさだと思う。
もう誰にも頼らない。私一人でまどかを救う。まどかに嫌われたっていい。私はどうなったって構わない。他の魔法少女はどうでもいい。私はまどかだけを守り、ワルプルギスの夜を倒す。
その犠牲的精神はとてもピュアでせつないんだけども、そういう考え方でいる限りほむらは目的を達成できないと思う。ほむらが一人になる過程も作品中では描かれるんだけれども、それにしたって周りの人間を見限るには早計だと思う。もっとやりようがあったんじゃないかな。

私はテレビ版でも劇場版でも、まどか☆マギカが本当におもしろいのは2周目だと思う。テレビ版を2回でもいいし、テレビ版と劇場版1回ずつでもいいけど、とにかく2回は観て欲しい。「シックスセンス」ばりの様々な仕掛けが作品冒頭から散りばめられている。冷酷無比なほむらが時折見せるやりきれない表情とか、感情を抑えたセリフの中に見える溢れんばかりの思いとか、まどかの何気ない一言をどんなにせつない気持ちで受け止めていたかとか、それは2周目でやっとわかるし、それを受け止めずしてまどか☆マギカを観たとは言えないんではなかろうか。

第十話から最後まで涙涙なのは当然として、例えば第四話とか2回目に見るとやばいよね。
「一人が救われただけで、私は嬉しい。」これ本当に嬉しいんだよね、ほむらは。
「そう言ってくれる人がいるだけ、巴マミは幸せね。……羨ましいほどだわ。」そうだよね。羨ましいよね。
まどかの「私は覚えてる!」にふと顔を上げるほむらがもう可哀想で可哀想で。


ほむらはまどかに因果を重ねることを嫌って諦めたけれども、構わず何度でもやり直してまどかを育成すれば、QBの母星?を脅かすほどのポテンシャルを秘めることになって、結果QBはまどかに接触するのをやめるんじゃないだろうか。

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