2009年8月13日木曜日

8月22日 古城巡り、カラカルパクスタン共和国へ

8月22日 古城巡り、カラカルパクスタン共和国へ

6時半起床。屋上に行って、朝日に照らされるヒヴァの街を眺める(写真①)。そこでホテルのオーナー一家の長男に遭遇。彼の自室が屋上にあるらしい。
8時にホテルをチェックアウト(25ドル)。ホテルが呼んでくれたタクシーに乗り込む。今日はこのタクシーで古代ホレズム王国の城跡を回るのだ。

アムダリヤ川(写真②)を越えて2時間ほど走る。最初の古城は『アヤズ・カラ』(写真③)。カラは城市の意。アヤズ・カラは6,7世紀のもので、ふたつの城跡の山が並んでいる。そのうち登れる山のほうを登って探検。またその城跡からもう一つの城跡を見下ろす。茫漠たる大地の中に忽然とそびえる古代の遺跡。ロマンだねえ。そこでドイツ人旅行者に出会い、しばし英会話。彼に写真を撮ってもらうと、
「日本人は写真を撮るのが好きと聞いていたけど、それは本当だね!」
と言われた。

小一時間ほど散策したのち、チャータータクシーに乗って次なる古城、トプラク・カラへ(写真④)。こちらはかなり広いお城で、いろいろな部屋があり、おもしろかった。
タクシーまで戻ると、運ちゃんが別のおっさんとしゃべっている。我々の他に西洋人の旅行客のグループがおり、おっさんはそのタクシードライバーらしい。
運ちゃんが我々に気づき、おっさんと別れてこちらに来た。タクシーに乗り込むかと思いきや、カタコトの英語で何か話しかけてきた。概ね以下の内容だと推測される。

ホテルの話だと、お前たち今日はヌクスまで行くそうだな。ホテルからは「カラ巡りをしつつベルニーのバス停までつれていってやってくれ、彼らはそこからバスでヌクスに発つのがいいだろう」、と言われた。しかし、それなら俺が直接ヌクスまで連れて行ってやろうと思う。カラ巡りも含めて一人30ドルはどうだ?

ははーん、さては西洋人旅行客の運ちゃんに焚きつけられたな。このカラ巡り+ベルニー行きのタクシーは現地住民のホテルの人が交渉してくれたおかげで、一人あたり17ドルという格安で乗れることになった。それにこの運ちゃん、ほとんど英語が話せず、旅行客慣れもしていないようで、日本人からはもっとふんだくれるということをご存じなかったらしい。

で、互いの客が遊びに行ってる間、タクシー運ちゃん同士「どこまで乗せるんだ?」「いくら取るんだ?」という会話になったのだろう。で、西洋人相手のおっさんの方が「なに?!そんだけしかとらねえのか?もったいねー。あれジャパニーズだろ?その倍は搾り取るね、俺なら。」「え、そうなの?でももう交渉成立しちゃったしなぁ…。」「待て待て、あの日本人はベルニーに用事があるんじゃなくて、そこからバスに乗り換える算段だろ?」「うん、ヌクスに行くらしい。」「じゃあお前が直接ヌクスまで連れてってやりゃーいいじゃんか。」「!」

とまあだいたいこんなとこだろう。我々が「いや、最初の約束どおりベルニーまででいい」と固辞すると、今度はその西洋人らの運ちゃんも「いや、バスは一人10ドルするし、結局タクシーと変わんないぜ?」だの「バスはきっついぞー、数ドルの違いだし、絶対彼に載せてもらった方がいいって。」などと加勢に出る。こっちの運ちゃんはかなり英語が堪能だ。きっとあの西洋人からもたんまりもらっているのだろう。

とはいえこちらもそうやすやすとぼったくられるわけにいかない。結局運ちゃんが根負けして、当初の予定通りベルニーまで送ってもらうこととなった。
それにしても、素朴でいまいち客から金を引き出せない実直な運ちゃんと、そんな純情な同業者のために一肌脱ぐ旅行客擦れした運ちゃん、どちらも微笑ましい。

そして最後の古城、クワット・カラ(写真⑤)。インディー・ジョーンズに出てきそうな、神秘的で不気味なような佇まい。古の物語に想いを馳せてしまう。しかしかなり暑い。朝からあちこち回ってきて、このときはすでに正午をまわっている。遮るものが何もないステップでの直射日光は、既に充分歩き回ってへとへとな体にはこたえる。

やっと城壁のふもとにつくが、入り口が見当たらない。他の観光客もおらず、タクシーまで戻るのもかなりしんどいので誰かに尋ねることができない。正面は写真のような形状なので内部への通路はなさそうだと認識し、向かって右側の面に回る。お、こちらにはあった。が、入り口というよりは抜け穴。人一人腹ばいになって通れるかどうかの穴が、数m上方の城壁にあり、そこまでは60度ほどの急斜面。また、その斜面に入るまでに、なんかすごくとげとげの植物が繁茂している。頑張れば行けなくもないが、現代人向けの入り口ではない(写真⑥)。
そのまま背面にまわる。どうやらこの城は正方形に近い、比較的単純な形状らしい。ここにも、やはり数m上方に入り口らしきものがあった。今度はただの穴ではなく、なんとなく入り口の体をなしてる感じだ。が。そこに到るまで幅10 cm弱、奥行き5 cm 程度、段差 50 cm 強のふざけた階段が続いている。爪先立ちで頑張ってもムリそう。っていうか危ない。
最後の望み、左面。しかし、こちらには入り口そのものがなかった。

となれば抜け穴か、階段か。背面に戻って階段に足をかけるも、これを爪先で維持しつつもう片方の足を次の段にかけるのは至難の業。これ、登り始めちゃったら、途中で降りることもできないし、想像以上に危ないので断念。そこで右面に戻って抜け穴へ(写真⑥)。長ズボンであることに感謝しながらとげとげの植物を掻き分け、手足を使って急斜面を登り腹ばいになって穴を通る。まさにインディー・ジョーンズ。あるいはミステリーハンター。

そして城跡に入ることができた。中はでこぼこした地面が広がっているだけだが、城壁から見える景色は格別。正面中央に見える、何かのシンボルのような縦長の穴は高さ2mぐらいで、ちょうど人一人が収まるサイズ。城壁に沿って内部をぐるっと回り、穴のところに佇んでみたりしていると。

ん?坂がある。幅3mくらいの、広い下り坂(写真⑦)。斜度も緩やか。その坂の終着地は、城の外、正面出っ張った部分の左側。ちょうど、写真の陰になっているところ。

まともな入り口だ……。

というわけで、今度はそこから地上に降り、城を後にする。

さて、タクシーに乗り、ベルニーという街に着いたのが13時半頃。ここで運ちゃんとはお別れ。運賃はホテルでは一人17.5ドルという話だったが、いろいろよくしてもらったし、一人20ドル渡す。と、運ちゃん大喜び!
タクシー降りたとたんに他のタクシードライバーが我々に群がり、「どこまで行くんだ」「俺のタクシーに乗れ」攻撃が始まったのだが、運ちゃんは彼らから我々をガードし、「控え控えい!このお客様をお通ししろ!」とばかりにずんずん突き進んで、ヌクス行きのバスまで案内してくれた。数ドルの心づけが相当嬉しかったらしい。しかし助かった。

バス、といっても大きめのワゴン車のようなものなんだけどね。出発するまでの間、乗客や運転手とウズベク語対日本語の会話。彼らは我々のバイブル「地球の歩き方」に興味を示し、貸してあげたら大興奮で回し読みし始めた(写真⑧)。確かに、外人が持ってる母国のガイドブックって興味深いよね。

そうこうしているうちにバスは出発し、カラカル・パクスタンの国境を越え、2時間ほどしてヌクスに到着。タクシーに乗り(3000 cym)、ホテルジペック・ジョリに着いたのは17時。今日は移動も多かったし、炎天下を歩き回ったのでくたくた。シャワーを浴び、少し休む。

18時半頃夕飯を求めて放浪。カラカル・パクスタンの首都というだけあって、ヒヴァに比べてかなり現代的。まあタシケントには遠く及ばないけど。そしてなんとなくソ連っぽい(写真⑨)。栄えてるんだけど陰鬱な感じが。学校や体育施設みたいなものもあった。

地球の歩き方にあるヌクスの地図はあんまり詳しくなく、しかもところどころ間違ってる(それでも掲載してあることのほうがすごいが)ので、待ち行く人に尋ねつつ、空腹を抱えてうろうろ。それに、「カフェ」と書いてあるので入ってみると、いかにも夜のお店だったり。ウズベキスタンではそういう商売は禁じられているが、カラカル・パクスタンは法律が違うらしい。カラカル・パクスタンの政治的区分がどうなっているのかよくわからないなぁ。国境越えのとき検問はあったもののパスポートは検められなかったから、ウズベキスタンの領内ではあるんだろうが。

で、やっと「地球の歩き方」に載っている食堂、「バヴァリア」に辿りついた。ペリメニ、スープ、ナンを食べた(9000 cym)(写真⑩)。うーん、生き返る。隣の席でビジネスマン風の日本人がビジネスの会話を日本語でしていて、びっくりした。観光でなく、仕事で来てる人もいるのね。

22時半頃就寝。

今日の支出:51ドル

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