2012年7月13日金曜日

不登校ノススメ

大津市の中学生いじめ自殺の件とはあんまり関係ないけど。 

なんか学校の先生って、不登校の問題に対する解決目標は「学校に来させること」だと思っている人が多い気がする。 
学校の先生との付き合いはここ6年ほど無いので実際のところはわからないけど。 

自分が生徒だった時も感じたけど、大学の教職の授業でさらに感じた。 
不登校の子がいたらどうしますか?みたいなありがちなお題のディスカッションで、「いかに学校に来させるか」に固執している人が結構多くてびっくりした。理学部在籍の「とりあえず教免」って連中より、生粋の教育学部で本当に教師になりたい人にそういう意見が多かったと思う。 

子どもに義務教育を受けさせるのは大人の義務だ。それにクラス内に不登校児がいるということは、担任の学級運営に問題があることを明示している。だから否が応でも登校してもらわねば困る。という考えの人間は論外だけどさ。そうじゃなくて、「学校に行くこと」が本当にその子のためになると純粋に思っている人は、教師に限らずとも多いと思う。 

いや、不登校の子が何らかの問題を抱えているケースは多いだろうし、いじめにしろ家庭内の問題にしろ、その問題の解決に取り組むのは教師の仕事だよ、うん。でも問題解決のゴールは「学校に来ること」じゃないと思うんだよね。 

別に学校行かなくても死なないしね。義務教育の学習範囲は押さえといた方がいいとは思うけど、あの程度の勉強なら学校じゃなくてもできるし。学校には通いたいけどあのクラスは嫌だ、って言うなら転校したっていいし。その子にとって最善の選択が「学校に行かない」ということはごく自然にあり得る話だと思うんだ。義務教育は親の義務であって子どもの義務ではないし。 

私が中学でいじめられた時は死ぬ気で通ったよ、うん。なんであんなに頑張っちゃったんだろうね。そこまでして行くほど大した場所でもないのにね。 

もちろんそのときはそのときの理由があったよ。何よりもまず「これ以上バカになったらヤバい」って思った(笑)。学校を休んでもいいけど、家にいても勉強しないだろうし。中学行けなくなったら高校にも通えなくなって、勉強しないから大学受験もできなくなって、そのままズルズル人生の落伍者になってしまう気がした。加害者のせいで私が落ちこぼれるのは割に合わないと思った。 

あとはやっぱり負けたくなかったんだね。「学校行けない=負け」っていう価値観だった。私は間違ってないのに、なんで負ける必要があるんだ。間違っているのは加害者。正義が勝つなら、負けるのは加害者。故に私が学校に行けない敗者になってはならない。私は堂々と登校していればいいし、そうしなければならない。という厨二理論。 

それから現実的な問題として、不登校を決め込むなら親にいじめのことを相談せざるを得ない、ということがあった。今となっては実際そうすべきだったと思う。でもそれはなんとしても避けたかった。その心理を言葉で説明するのは難しい。 
親に言うとすごく心配される。その心配顔を見たくない。親の手を借りないと自分自身の問題すら解決できないのは恥ずかしい。頑張って受験して入った学校が糞であることを認めたくない。高い授業料払ってる学校がクズであることを知らせたくない。学校が辛い分、家では「充実した学校生活を送っている自分」でいたい。だから親に話すなんて有り得ない。 

当時の自分に「学校なんかそこまでして行く価値ないよ」って言ってあげたい。 
そこに気づくことができたら、だいぶ楽になったと思う。不登校になるかどうかはさておき。

昔好きだったラジオの深夜放送で中高生の悩み相談みたいな番組があったんだけど、そのパーソナリティーがいじめに苦しんで自殺を考えている子に「とにかく逃げろ。不登校でも転校でもいい。不登校児が集うコミュニティに参加する手もある。何でも良いから逃げろ。逃げることは恥じゃないから。」と言っていたんだよね。当時の私は「いや、逃げるって恥でしょ。負けでしょ。なんで被害者の方が変わらなきゃならんの。間違ってないのに。」と思った。でもそうじゃないんだよね。 

「逃げる」という言葉が気に食わないなら「選択」と言ってもいい。学校に行かないことを選択する。というか「学校に行く」こと自体、多くの選択肢の中のひとつでしかない。辛いことしかない学校に行く意味無いじゃん。他にいくらだって有効な時間の使い方があるでしょ。 

とはいえ、私はあの時学校に通い切ったことを後悔していない。 
アレに耐えられたのだから、これから先の大概の理不尽には耐えられる気がする。 
もし私が不登校を選んでいたらだいぶ人生変わっただろうけど、今とどっちが幸せかなんて比べようがない。 
でも今の自分はすごく幸せだし、あの時いじめられたことが「風が吹けば桶屋が儲かる」式に今の自分に繋がっているのだから、やっぱり通ってよかったと思う。 
いや、加害者らに「いじめてくれてありがとう!今の私があるのはあなたたちのおかげよ!」なんて言わんよ。そこまでマゾじゃないw 
いじめの経験をプラスににしたのは加害者じゃなくて、心が前向きで純粋で頑丈にできている私のおかげだ。どうだ参ったか。 
むしろ私が加害者を告発した遺書を遺して自殺しなかったことを感謝したまえ。加害者が今何してんのか知らんけど、どうせ結婚でもしてもしかしたら子どももいて、かつて私にしたことも忘れて今回の大津の事件の加害者に義憤を募らせているんだろう。貴様が今そうしていられるのも、私があの時貴様に屈しなかったおかげなんだよ。くだらん。 

だけど大津の子は学校に行かなければよかったのに、と思う。 
いや、私の貧困な想像を遥かに超える事情があったのかもしれないけどさ。 
それでももし、命捨てる前に学校捨ててれば済む問題だったのだとしたら、悔やみきれない。 

今大津の子がこういう形で亡くなり、教委のクズ対応もあってたまたまセンセーショナルに取り上げられているけど、こうやっていじめに苦しめられて今日明日中に死のうと思っている子は日本中にいると思う。 
大津の加害者らがバッシングを受けているのをみて、「私もあいつらをこういう目に合わせたい!自殺してあいつらを不幸にしてやる!」って思う子も少なくないかもしれない。 

そういう子にはまず学校を捨ててほしい。 
ズル休みは許さん!って親も多いし、みんなそれぞれのっぴきならない事情を抱えているんだろうから、ことはそう簡単じゃないけどさ。 
でももし私みたいに「学校はとりあえず行くもの」という概念に縛られていて、そうやって自分で自分の選択肢を狭めているんだったら、学校はそれほど大事じゃないってことに気づいてほしい。 



まあここで何を言ったところで、本当に自殺したいくらい追いつめられている子には届かないけどね。

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