2012年12月18日火曜日

ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q



 













ネタバレ自重しない。 
前作序、破の感想はこちら。
http://aqualerius.blogspot.jp/2009/08/blog-post.html

「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q」観てきた。 
良かった点は 
・映像:迫力満点。映画館で観る価値あり 
・音声:迫力満点。映画館で観る価値あり。 
・演出:カメラワークが最高。オープニングからぐいぐい引き込まれた。さすがエヴァ。 
・全体:物語とか設定の整合性とかそんなものはどうでもよくて、とにかくワクワクした。ミサトさんかっけー!アスカかっけー!何かよくわからん戦艦かっけー!リリスだかアダムだかの死体グロキモかっけー!!!そんな感じ。 

うん、とにかく頭空っぽにして楽しむアクション映画という気持ちで臨めば充分以上に満足できると思う。 

以下気に入らない点。 
新劇場版の序・破と観て、その続編たるQや如何に?と期待して行ったら散々だった。 
全然続編じゃないね。そしてもちろん新作の第一話というわけでもない。 
なんか知らない映画の途中から始まり、途中で終わった感じ。しかもその続きを次の完結編(笑)で見せようとする気が全く無い。 
思わせぶりに始まり、思わせぶりに終わらせて、なんの問題解決もなく、思わせぶりな単語を投げっぱなしにして、また世のオタクどもを考察や議論で沸かせようという下心が見え見え。
でもね、物語作りで一番難しいのは初めと終わりなんだよ。大風呂敷を広げるなら誰にでもできるんであって、それをいかに畳み、うまくオチをつけるかということが作家の腕。そしてその物語を最後まで見据えて初めて「初め」が書ける。「初め」を書いているときに「終わり」が決まっていない物語は駄作だ。少なくとも私はそういう作品は嫌いだ。 
Qは「敢えて初めと終わりを書かない画期的な作品!」ではなく、製作陣に初めと終わりを書く能力がなかっただけに見える。そのくせ「お前らこういう難解で高尚な作品好きだろ?」ってドヤ顔してるところに腹が立つ。汚い落書きを突き出して、「ピカソだって初めは理解されなかったんだ。この絵だっていつか評価される。時代が追いついてないだけだ。」って言ってるみたい。 

ん?Qは破の続きの世界だって?破のラストでプチサードインパクト(笑)が起こって、その後の世界だって? 

そういう意味での「続き」じゃないんだよね。何というか……「破」を作っているときに「Q」のこと全然考えてないよね? 
「Q観たいけど、その前に序と破も観なきゃ……」と思っている人は大丈夫。序と破は観なくてもQはわかる。わからなかったら、それは序と破を観てもわからないところなので、安心して欲しい。 
4話完結の新シリーズ!と言うからには、「序」製作段階から完結編まで話ができていないとダメだと思うわけ。いやダメかどうかは知らないけど、私はそういう行き当たりばったりなのが大嫌いなわけ。製作陣のテクニックを微塵も感じない。その辺の同人作家みたいな真似を、仮にもプロが金を取ってまでやるな。 

そう、新劇場版は公式による同人作品だね。かつてウケた作品の人気キャラを使って二次創作してるだけ。新劇場版の各作品は連作ではなく、それぞれが一話完結のサザエさんのようなもの。しかもサザエさんと違って一話で完結できてない。それは表現上のテクニックではなく、製作陣に能力がないから。 
きっと次の完結編(笑)も完結させる気なんてサラサラないんじゃない?Qの続きではないのは当然として。だってテレビ版も旧劇もオチはひどいもんだったしね。この製作陣、締めを書く能力に圧倒的に欠けるんだよ。オイシイところだけオイシく書いてるだけ。それこそ設定だけはノート何冊分も作り、一番熱いバトルシーンだけ断片的に書く、中学二年生の黒歴史ノートと同レベル。 
それでも観に行っちゃう私のようなファンがいるから余計にひどいんだよな。エヴァは売れるから、完結させるのはもったいない。完結させることに何の商業的メリットもない。 
エヴァは作品ではなく、コマーシャルコンテンツに過ぎないってことだ。 

ここまでQの中途半端っぷりと製作陣の自己陶酔に関する文句。 
ここから内容に関する文句。 

登場人物の誰一人に対しても共感できない。 
ミサトの頭悪すぎ。なんでシンジに何の説明もしないの?そりゃ感情的には話したくもないでしょうよ。でもそこは冷静になって、シンジが目の届く範囲から出ないように、シンジが二度と暴発をしないように管理すべきじゃないの? 
しかもなんでちゃんと監禁しないの?なんでわざわざシンジをコックピットに入れるの?単に罵倒しただけだよね?シンジを混乱させただけだよね?それでシンジがヴィレを離れるリスクを激増させただけだよね?そんな中途半端な場所に置くから、うかうかレイに持って行かれるんじゃないか。 
そしてさっさとシンジ殺せよwwまあレイに持って行かれたところでは無理だったにしても、最後あのタイミングで殺すくらいだったら槍抜く前に殺せよ。もちろんその時死ぬのはシンジではないし、ミサトはそれを知る由もないわけだが、ミサトの知っている範囲でミサトの立場に立つならエヴァ2・8投下したときにスイッチ押さないとダメじゃん。 
いや、ミサトはシンジを殺せなかったんだよね?人類をほぼ滅亡させ、あまつさえとどめを刺そうとしてるシンジだけど、それでも彼女はシンジを殺せなかったんだよね?ミサトはそういう情に厚い女だ。 
っていう言い訳もできないよね。だって結局スイッチ押してるじゃん。タイミングを大幅に間違えただけで。ミサトは無能と言わざるを得ない。 
まあミサトはテレビ版のときから庵野の理想の女性像を全部盛り込んだような、軸ブレブレのご都合キャラだったけどさ。 

シンジもなぁ。破ではテレビ版とは打って変わって逞しい男に成長したのに、すっかり女々しくなってカオル君に籠絡されちゃってさ。がっかりだ。 
あとわからないのが、なぜ全幅の信頼を置くカオルが止めたのに槍抜きを強行したのかってこと。 
なぜ「槍を抜けば世界が救われるよっ☆」のカオルは信用するのに「あかん、この槍ちゃうわ、抜いたらあかん」のカオルは信用しなかったのか。 
うん、抜かないと物語が進まないからだよね、わかるよ。でも物語を動かしたい方向に動かすためにキャラの整合性を犠牲にするのは素人のやること。シンジに槍を抜かせたいなら、誰が観てもシンジに共感する形で、シンジが抜かなきゃしょうがない状況まで追い込まないとダメ。 

それからシンジの「ピアノ素人設定」はいらない。一本指打法のシンジが一日でカオルと連弾できるようになるなんてファンタジーにもほどがある。あれは一日のように見えて、シンジのピアノが上達するまでの長い年月を暗示しているのだ、という好意的解釈もできるけどさ。それってどれくらいの年月?5年じゃ無理だよ?ピアノ以降の物語は破終了時点から20年以上経ってるってことになるけど? 

でさ、序破ではどうだったか忘れたけど、テレビでは確かシンジはチェロの名手だったんだよね。その設定でよかったじゃん。チェロがあれだけ弾けるなら、ピアノがそこそこ弾けても不自然ではない。なんで無理矢理ピアノ素人設定を付け足しちゃったかなー。チェロの名手だったことを忘れちゃったのかな(笑)。


あと14年後設定は余計だと思う。14年後じゃなくても話通じるし、逆に14年後にしちゃったせいで設定に無理が生じたというか、言い訳がましいような、取ってつけたような設定が増えた。 
14年後というからには背景の変化、状況の変化だけでなく、人物の変化を描かないとダメだと思う。29歳(だっけ?)のミサトが43歳だよ?14歳のアスカが28歳だよ?でも何の変化もない。 
プチサードインパクト(笑)が起こって14年。映画の語るところによると戦いの14年。その過程でミサトはネルフを見限り、クルーの多くを引き抜いて新たな組織を作った。 
この間どう考えたってみんな世界に翻弄され、擦り減り、何かをいくつか乗り越えてるじゃん。14年間引きこもってるNEETじゃないんだから、変化してないとおかしいんだよ。 
でもそれが全く無い。シンジと同様、登場人物丸ごと14年後の世界にタイムスリップしたみたい。 
いや、難しいと思うよ。語られない部分の14年間。キャラのアイデンティティを壊さずにキャラを成長させる。14年をセリフで説明するんじゃなく、老けた顔で説明するんじゃなく、行間で表現する。でもできないことじゃないと思うよ。グレンラガンとか見事な作品もある。 
要するにエヴァの製作陣のレベルが低い。どうせできないんだから、14年後なんて中二設定をつけなきゃいいのに。 


うん、14年後にしたのも、シンジと同時に視聴者にも「浦島太郎感」を持ってもらいたかったんだよね。そしてシンジを徹底的に孤独に追いつめたかった。気持ちはわかる。でもね、続編を作るにあたって前作と時間を隔絶させるのは相当テクニックが必要なんだよ。グレンラガンはレベルが高かったからああいう荒技ができたんであって、素人が安易に手を出しちゃいけない手法なんだよ。ここも「シンジの孤独」を表現するために物語の整合性を失っていると言える。

しかもエヴァのパイロットだけは外見が成長しないって(失笑)。そうだねそうだね、アスカやマリをアラサーのオバハンにするわけにいかないもんね。その気持ちはよくわかるけど、それは素人のやること。プロならもっと上手に処理しなさいよ。なんだよエヴァの呪縛ってwwご都合にもほどがあるww物語作り舐めてんじゃねーぞww 
ここでも「キャラの外見を老化させたくない」ということのために、設定の整合性を犠牲にしているんだよね。  

あとシンジがトウジのお下がりを着るシーンがイミフ。うん、わかるよ、あれでトウジの死を暗示したんだよね。あれがシンジに真実を渇望させる切欠なんだよね。そして自分が引き起こしたプチサードインパクトによって、第三新東京市が塵も残らない廃墟になったことを目の当たりにする。破でレイを助けるために行ったことが、学校の友人達をはじめとする大量の人間を殺害することになってしまった。 

ん?塵も残らない?塵も残らないのに、どうしてトウジのシャツが完品で残ってるのさ。もちろんトウジの死体が着ていたものではないだろうけど、自宅で保管していたにしても何故あんなに綺麗に残っているんだ。シャツだけが。 
「シャツでトウジの死を暗示」はそれだけで破綻してると思う。考えが浅すぎ。


要するに庵野及び製作陣の中二病と自己陶酔は、テレビ放送から17年間経った今でも健在ってことだ。
他にも文句はいろいろあるけど、この辺で。 

あと、同時上映の短編作品「巨神兵、東京に現る」(だっけ?)はすごく気に入った。 
何のヤマもオチもイミも無いんだけど、作品に圧倒的なパワーを感じた。スピルバーグの「激突」みたいな、不条理にぐいぐい引き込まれるような。短編だからこその完成度だと思う。 

Qはどうあれ、巨神兵を観るためだけに映画館に足を運ぶのもアリ。好き嫌いは分かれそうだけど。

0 件のコメント:

VPS