2012年5月23日水曜日

輪るピングドラム


以前から観たいと思っていたんだけど、この間ニコニコ動画で一挙放送をやっていたので視聴。ネタバレバレで感想書く。

一言で言えば、わけわからんけど面白かった。
あちこちに散りばめられた伏線が終盤でうまいこと回収されているらしい、というのはわかるが、如何せん比喩表現的なものが多すぎて、何が散りばめられてどう回収されたのか皆目見当がつかない。
でも全然わからないのに何故か面白い、引き込まれる、そういう作品だった。

『少女革命ウテナ』の監督の久々の作品とあって注目されていたアニメだけど、ウテナが苦手な私でも抵抗なしに見られた。確かにウテナっぽい点はあるんだけど(ロココ調とか、意図不明で華美な演出とか)、そういうのも含めて楽しめた。

わからないなりにまとめると、「愛」がテーマの作品なのかな。まあ愛がテーマの作品はありふれているのでもうちょっと限定すると
「愛と命、愛の分かち合い、愛の循環」
そこらへんにウェイトが置かれてる気がした。
もっと具体的に表現すると
「親に酷い目に遭わされた子どもたちが、愛し愛されることを知る話」
とまとめられるか。
本当にこの作品はまともな親が一人もいない。前半部ではリンゴちゃんの親ひでぇ……と思うんだが、後半部はリンゴ両親がまだまともに見えるくらい他の親がひどい。池辺の伯父さん夫婦が唯一の良心か。

物語が比喩的なもの、象徴的なもので語られていて、精神世界と現実が意図的にごっちゃになっていて、様々なカットに伏線や何らかのメタファー的なものが織り込まれているので、すごく難解。時系列も敢えて前後になっていたりして、「結局いつ何が起こってどうなったのか」を組み立て直すのが大変。でもそういう謎解きというか、作者の意図をパズルのように読み解いていくのがとても楽しい。

けど視聴者に謎解きさせたいなら、その作品は完璧でなければならないと思うんだよね。
「このカットのこの部分には、こういう意味が隠されているんだよ。」
って言われてもさ。
「じゃあ、あのカットでこれが描かれていないのは何か重要な意味が?!」
「ん?ああそれ、ただの作画ミス。」
とか言われたら謎解きする気が失せるじゃん。そういう類の詰めの甘さがこの作品には結構あったと思う。
まあ難しいこと考えなくても、絵を眺めているだけでぐいぐい引き込まれる、魅力的な作品だけどね。
作品に込めた隠喩が視聴者に伝わらない場合、それは視聴者が愚かなせいなのか、作者が独りよがりの中二病なのか、判断が難しいところだ。

この作品で特にわからなかったことを2点挙げる。以下濃厚にネタバレ。視聴予定の方はBack

1. マリオとはなんだったのか。
(1)マサコの目的としてのマリオ
マサコはマリオの命を救うためにリンゴの日記を狙っていたんだよね?
初めはマリオもヒマリよろしく「生存戦略!」つってマサコにピングドラムを探させたのかと思ったけど、マサコを動かしていたのはマサトシで、マサトシの狙いは「日記」の処分だった。
でも彼女がマリオのために頑張ったのはフグ食ったこととユリと戦ったことのみで、彼女の他の行動はすべてカンバのためなんだよね。
その上彼女がなぜカンバに固執するのかは作品中で丁寧に描かれているんだけど、マリオに関してはほとんど描写されない。
別にマリオいらなくね?マサコの愛をカンバに絞った方がすっきりしてわかりやすいと思う。マサコに日記を狙わせたいなら、他に動機なんていくらでもつくれるし。日記の授受をかなり重要なモチーフとして扱っている割に、マサコからカンバへ日記が渡る描写が(たぶん)無かったのも手抜きに見えた。

(2)モモカの帽子を持つものとしてのマリオ
モモカの帽子を被ったマリオが「生存戦略!」って言ってるシーンが一回だけあったけど、あれなくてもいいよね?マサコを動かしていたのはマサトシであって、モモカの帽子はマサコに何もしてないよね?まあ帽子のおかげでマリオは延命したのかもしれないけど、マサトシはマリオの延命をダシにマサコを操っているんだし、帽子とマサトシは敵対に近い関係だし、なんで帽子がそこにあるのかわからん。帽子は無しにして、マリオはマサトシの魔法によってのみ生かされている方がわかりやすいと思う。仮にヒマリと同様、マリオも初めは帽子によって蘇生して、その効力が切れたところをマサトシに付け入られたんだとしても、物語中にその設定が活かされていないなら意味無い。

2. カンバはなぜ消えたのか。
ショウマが消えたのはわかるんだ。リンゴちゃんが運命改変を行ったことによる罰を肩代わりしたんだよね。でもカンバが消えた理由がわからない。
考察サイトではショウマに返してもらった半分の林檎と自分のもっているもう半分の林檎を合わせてヒマリにあげたから、って書いてあったりするんだけど、腑に落ちん。
林檎が有限で、持っていないと死ぬものなら、ショウマの死因も林檎が無いからってことになる。でもそれじゃショウマはリンゴの罰を肩代わりできないじゃん。ショウマの死因は林檎じゃなくて焼死でなければならん。
林檎を愛の比喩だとすると林檎は有限ではないか、少なくとも自分の持ってる林檎がなくなっちゃうってことにはならないと思うんだよね。林檎をあげるというのは全部あげるんじゃなくて分け与えるってことじゃないのかな。だって他人を愛した分だけ自分の愛が目減りするって変じゃない?
で、カンバは自分の命と引き換えにヒマリを救ったんだとしてもさ。運命改変にはヒマリの生存も含まれているんだよね?ショウマが焼かれたから運命改変は成立するし、ヒマリの生存にカンバの犠牲は不要だと思うんだよな。
だからカンバが消えたのは全然別の原理だと思うんだけど、それがわからん。
いや、兄弟が消えて世界が救われたっていうオチは良いよ。カンバが死んだのが気に食わないわけじゃない。あるはずの理由が見えないのが気持ち悪いだけ。

とまあ作者の回収不足か私の読解力不足か、納得できない点は多々あれど、面白かったことは確か。
地下鉄サリン事件をなぞらえたストーリー、オウムを彷彿とさせるカルト宗教団体、ネグレクトされた子どもを処分する「子どもブロイラー」、白骨化した両親の遺体、などのグロテスクな表現にゾクゾクし。
「死んだ姉と同化することに固執していたが、ショウマと出会って自分を取り戻したリンゴ」、「自分を犠牲にして弟妹をまともな世界に返したカンバ(まあ夏芽家も大概だが)」、「親に見捨てられても愛を見つけることができたユリとタブキ」に涙し。

まあでもよくわかんないのでもう一回見よう。時間できたら。
特に各組織のマークが混乱したから見直したい。ペンギンのロゴマークが3種類出てきて、それぞれ別の組織を表しているんだけど、全部ペンギンだから初見だと違いがわからんくてチンプンカンプンだったよ。

ちなみに、番付も更新済みなので、参考までに。
http://aqualerius.blogspot.jp/2012/01/blog-post_24.html

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