2011年2月13日日曜日

白夜行









行ってきました。公開中にも関わらず、ネタバレ自重しません。





私は東野圭吾の原作を読んでいたので、ネタバレなしの「初見の楽しみ」はなかったんだけど。
まあ良作なんじゃないかな?かなり複雑なミステリーだが、「原作を読んでいないと内容がわからん」というわけでもなく、ちゃんと一本の映画として完結している。ただ本当に最後の最後まで「少年少女に何が起こったのか」が明かされないので、初見の人はミスリードされてしまうかも?とはいえびっくりするほど分厚い文庫本を2時間半の尺に縮めたことを思えば、これだけのクオリティを保てたのはすごいと思う。

あと単に原作を簡略化するのではなく、映画ならではの表現方法が光ってた。昭和から平成にかけての風景や服装の変化、それに伴う登場人物らの成長や老化が目に見えるのは良いね。私の貧困な想像力で文章からその情景を再現するのは非常に難しいので、やっぱ映像の力ってすごいな、と思う。あと小説はその表現方法の制限から伏線を貼るのが難しいと思うんだけれど、映像なら視覚が使えるのでさりげなく織り込むことができる。
例えば容疑者宅のゴミ箱にプリンの箱が捨ててある。刑事は殺された被害者がその直前に同じプリンを買ったことを知っているので、あっと思う。そして同時に刑事が「プリンの箱に気づいた」ことを容疑者娘が気づき、さらに「容疑者娘が気づいた」ことを刑事も気づく。原作の叙述もなかなかだったけれど、映画なら「刑事視点のプリンの箱」→「容疑者娘視点の刑事の顔」→「刑事視点の容疑者娘の顔」と映すだけで表現できてしまう。

俳優陣は素晴らしかった。何をおいてもまず子役。主人公の男の子と女の子をはじめ、子どもの演技が飛び抜けていた。こういう映画でここまで見事な演技をしたら、彼らにトラウマが残ってしまうんじゃと心配になるくらい。特に映画終盤での亮司少年のシーンには泣かされた。雪穂を逃がして、遺体(まだ息はあったけど)の処理をして、火事場の馬鹿力でドラム缶や粗大ゴミを移動して。そこまでしてからやっと自分も逃げ出して、泣き叫びながら野っ原を走り抜けて、小川で狂ったように手と凶器を洗って。壮絶だった。

大人になった主人公らも良かった。堀北真希は「演技がうまい」というより「雪穂役が合ってる」という感じだった。微笑も憂いも打算まみれの雪穂が、ウェディングドレスの試着をしたときにショーウィンドウの外から見守る亮司に向けて見せた、唯一の本当の笑顔が泣かせる。

あと船越英一郎が良かった。小説よりも映画の方が笹垣刑事個人のことを描いていた気がする。自分の子ども?が死んで、後輩だか同僚だかに出世を抜かれ、定年退職した後でもずっと「あのときの少年少女」を追っている。ドラマでは(あんまり見なかったけど)笹垣役を武田鉄也がやっていて、それがどうも金八とかぶるというか説教臭く感じたので、私は船越さんの笹垣の方が好きだな。眼光鋭くかつ慈愛に満ちている。

私が一番好きなのは亮司の母親弥恵子。彼女は全ての発端となった「質屋殺し」の被害者の妻で、容疑者になったこともあるが、店がなくなった後どういう苦労を重ねたのか、数年後にはスナックのママとして再登場している。事件当時の冴えない奥さんが、今や女手一つで店を切り盛りするセクシー熟女に変身しているのがおもしろかった。戸田恵子いい味出し過ぎ(笑)笹垣刑事との腐れ縁というか、こなれた仲が見てて気持ちいい。

地味だけど江利子もいいね。冴えなくて芋臭い女子中学生だったのが、大学で御曹司に見初められたことでどんどん垢抜けて行く過程が見事だった。雪穂は自分を絶対的に崇拝するもの、かつ自分の引き立て役として江利子を中学のときから飼っていたのに、みるみる自立して花開いていく。おまけに目をつけていた御曹司はなぜか江利子を選ぶし、江利子は江利子で「(髪型・服装を変えて)ごめんね」「(小学生の頃の知人が雪穂に絡んでいたことを)黙ってて『あげるね』」と100%の善意でもって雪穂のプライドを傷つける。そこらへんの雪穂のフラストレーションにぞくぞくした。作品の中で雪穂は多くの善良な凡人を酷い目に遭わせているけれど、そのほとんどが彼女の打算というか、成り上がるための踏み台として利用していたのに対して、江利子の場合は雪穂の嫉妬がそうさせたという、ある意味唯一人間らしい動機だったと思うんだよね。まあそのあとでちゃっかり御曹司の妻に収まるんだけど。

原作「白夜行」は「悪い女と悪い男が周囲を不幸にしながら成り上がっていく」物語であり、「大人に壊された少年少女が、手に手を取って懸命に生きてく」物語でもあった。でも映画では尺の制限があるとはいえ、亮司が雪穂に尽くす側面しか描かれていなかったのが残念。「少女が日の当たる場所を歩けるように、少年は日陰に身を落として、命をかけて少女を守った」とでも言うかな。亮司がなぜそうまでして雪穂を守るのか、という視点で過去の「質屋殺し」を描いていたので、映画としては筋が通っているんだけども。原作では雪穂も亮司のためにいろいろしてあげてるんだよね。
あと原作を簡略化したせいで亮司の悪事が「強姦」と「殺人」に終始してしまったのも残念。原作ではけっこう非合法な金儲けにもスポットが当てられていたんだけど、今回は売春斡旋くらいしか金儲けのシーンは出てこなかったよね?それも金儲けがメインというよりは薬剤師のおばさんと知り合うきっかけみたいな描かれ方だった。原作はカード偽造やらプログラミングやら当時の先端をいく犯罪を描いていたので、さすが娯楽小説の東野圭吾だな、と思った。亮司の荒稼ぎには雪穂の立場を利用した情報リークが不可欠だったりして。またそうやって稼いだ亮司の莫大な資金を元手に雪穂が株取引をしてボロ儲けしたりして。原作はそういう感じなのよー。単に亮司が雪穂にとって邪魔な人間を犯したり殺したりしてるわけじゃないのよー。

基本的に原作をうまく映画化してるなーと思ったんだけど、変に原作に忠実すぎて辻褄合わない点もある。まず亮司のED。原作ではこの設定は重要なんだけど、映画ではあんまり関係ないよね?陵辱された女性たちもそこまではされていなかった、という表現が映画の中では無かったと思うので、かえって混乱のもとになるんじゃ。
あと薬剤師のおばさんが自殺した理由がわからん。自分が用意した青酸カリが犯罪に使われたから?亮司が罪を犯したことに耐えかねて?亮司が帰ってこないから?亮司が自殺を誘導したんだとしても、それで得られる利益がわからん。おばさんに罪をかぶせる目的だったにせよ、青酸カリを手に入れたのは彼女でも死んだ人間たちと彼女には接点がない。実際彼女の部屋に入った船越英一郎に亮司の「切り絵」を見つけられてしまうし。原作では薬剤師とおばさんは別の人物なんだけどね。

モールス信号や人形を介して意思疎通を図るのは映画オリジナルの設定で、なかなかよかった。涙を誘うモチーフとしてよく活かしていた。原作では二人がどうやってつながっていたのかはほとんど描かれていないけれど、数々の犯罪の内容から直接かつ密なやり取りであることがわかる。映画では主に殺すか犯すかだったんで、二人が直接会わなくてもターゲットの名前が伝われば概ね良かったんだろうね。それにしても児童館の爺さんが、大人になった彼らを視認していないのはいささか不自然。小学校卒業してから現在まで全く姿を見せていなかったならまだしも、ああいう形での意思疎通はずっと続いていたようだし。

御曹司「篠崎」は原作の「江利子を好きになった篠崎」と「雪穂と結婚した高宮」が合体した感じだった。原作の簡略化で仕方のないことではあるけれど、そのせいで男に関しても雪穂の完全勝利になってしまったのが残念。原作の篠崎は唯一「雪穂」ではなく「江利子」を選んだ男性であり、後々「雪穂」の欺瞞を見抜くキャラでもある。また雪穂が初めて「道具」ではなく「男」として執着した相手であり、そしてあらゆる策略を使ったにもかかわらず「手に入れる」ことも「不幸にする」こともできなかった男性。彼の存在が「完全無欠の悪女ではない雪穂」を引き立たせるいいスパイスだったんだけどなー。映画の篠崎は完全に雪穂に蹂躙されてたなー。というか、映画の篠崎はどういう状態なんだろう?パーになっちゃったのかと思ったら、笹垣とのやり取りを見るに単なる引きこもりのようだし。うーむ。

エンディングもだいぶ原作とは違う。まあ落ちるというオチは一緒なんだけど、そこに至るまでがね。原作では笹垣の想いもむなしく、追いつめられた亮司が転落する。映画では笹垣の父のような愛を聞き届けた上で、亮司は「きちんと」死を選ぶ。どちらもアリだと思うけど、映画の方が救いがある反面甘さを感じてしまうね。

暴力あり殺人あり性行為ありのひどい内容でありながら、それらの描き方に品を感じた。うまくいえないけど、必要以上に見せないというか。観客の劣情をくすぐるためにそういうシーンを「魅せる」映画はたくさんあるけれど、この映画では淡々と、必要最小限描くにとどめたような。そこらへんに好感が持てた。
なので、堀北真希の濡れ場は皆無と言っていいよ!背面全裸はあるけど乳首どころか乳そのものもほとんど映らないよ!残念!

0 件のコメント:

VPS