2007年12月16日日曜日

The Nativity Story


『マリア』。
観ました。
感想書きます。
ネタバレすまん。
 
 
 
 
 
 
 
 
 

まずとにかく映像が綺麗だった。非常に絵画的というか。キリスト教徒じゃない私が言うのも変だけど、自分がもつキリスト生誕の原風景と同じだった。それがスクリーンで美しく再現されてた。映像だけでも観る価値あり。マリア役の女優が、いわゆる西洋美人じゃなくて、エキゾチックな雰囲気のある素朴な魅力をもつ人で、とても良かった。彼女は以前「クジラの島の少女」という映画でアボリジニの血を引く主人公の少女役で、本人もマオリ族と欧人のハーフらしい。私も「クジラ~」を観たので、あのときの女の子がすっかり「若い女性」に成長したんだなあ、と思った。ヨセフ役の俳優はまさに私の中のヨセフ・イメージで言うことなし。音楽も良かった。
ストーリーは、特に目新しいものではなかったのだけど、つまり、キリスト教を良く知らない私でも知ってるような
 
・マリアの処女懐妊
・ヨセフと身重のマリアの、ナザレからベツレヘムへの苦難の旅
・ベツレヘムの町はずれのうまやどで、出産
・東方の三賢人が今まさに生まれたばかりの「メシア」に貢物
 
といったエピソードでもって、マリア受胎→出産をルポした、という感じ。でも聖書にあるようなこれらのエピソードを、ガチでやるとどれだけ大変か、ということが細部に渡って現実的に再現されてたのがおもしろかった。
だって処女懐妊からして、端から見れば婚約中のマリアがどこぞの男と不義密通してできちゃったようにしか見えないわけで。親は悲しいやらヨセフに申し訳ないやら、ナザレの村のみんなからは「真面目なお嬢さんかと思いきやとんだアバズレ娘だわ」って感じで白い目で見られるし。でも一番悲惨なのはヨセフだよな。一応ヨセフのところには大天使ガブリエルが「神の子だからよろしく」って言いに来るんで、その後はマリアを慈しんで護っていくんだけど、そう言われてもねぇ。神に間男された男の気持ちってどうしよもないよなぁ。かわいそうに。代理出産なら、出産経験有る女性に任せるのが安全性が高いと思うんだけど。まあ洋の東西を問わず、神様はバージン萌えだからのう。変態め。
 
ちょうどその頃、人口調査のた国民は家族を連れて故郷に戻れ、というローマの命で、ヨセフとマリアはヨセフの故郷、ベツレヘムに行くハメになるんだけど、どっちにしたってナザレにはもういられなかっただろうね、あの若い夫婦は。でもナザレからベツレヘムへの約200kmは、山あり谷あり砂漠あり大川ありの過酷な道のり。マリアはロバに乗って、ヨセフはそのロバを引きながら徒歩で旅をするんだけども、あの悪路を流産しないで越えられたマリアはすごい。マリアといえば、高貴でたおやかな女性、すべてを包み慈しむ母、というイメージが強いと思うし、ダ・ヴィンチの受胎告知なんか美しく聡明なお姫様のように描かれているけれども、実のところはナザレなんちゅード田舎の貧民の娘なんだよね。だから神様が彼女を選んだのも、「純粋で清らかな女性」というだけでなくて「何があっても安産しそうな、貧民育ちのしぶといねーちゃん」だからじゃないかと思ってしまう。だって確実に産んでもらわなきゃ困るじゃん。      (↓『受胎告知』 レオナルド・ダ・ヴィンチ)
それよりもっと長い道のりを越えてきたのが東方の三賢人。東方というのは、ようするにペルシャのことだけども、あの三人がベツレヘムのうまやどで出生直後の「メシア」に拝謁するためには、マリアとヨセフがナザレを発つ大分前に、ペルシャを出て砂漠を越えなきゃいけない。大変だこりゃ。でもこの三人のやりとりが映画の中ではユーモラスに描かれていて、そこのところもよかった。
そして、なんと言っても一人一人のキャラクターが立ってた。かゆいところに手が届くというか、すごくいい味出してた。さっきも言ったけど、まず東方の三賢人ね。そのうちの一人が黒人でかっこよかった。いや、本人だけがかっこいいというより、彼がいることでビジュアル的に「三賢人」が締まるというか、威厳を増すというか。それでいて愉快なやり取りが、全体的にシリアスなこの映画の中でほっとさせる。もちろんギャグ担当という意味ではなくて、ヘロデ王との謁見、「メシア」に貢物を捧げるなど、物語で重要なところを担ってる。
あと、私が気に入ったのが大天使ガブリエルね。ガブリエルは受胎告知だけでなく、ヨセフへの事情説明とか羊飼いをうまやどに呼んだりとか、まあ神様のメッセンジャー的な役どころなんだけれども。天使と言えば、女性か子どもを想像しがちだけど、この映画のガブリエルはやせてごつごつしたオサーン。だよね、やっぱガブちゃんは成人男性だよね。天使をどう描くかというのはやっぱり時代や地域でいろいろだと思うんだけど、成人男性というのが元のイメージじゃないかなーと思う。まあ「元」というのがなんなのかよくわからんけど。役者もなかなか個性的な佇まいで、人間離れしたこのキャラクターにぴったりだった。それで鷲に姿を変えて飛び立つのがかっこよかった。
ヘロデ王もよかったな。暴君で、でも常に脅えてて、他人を息子ですら信用できない。そういうステレオタイプな独裁者像が。ヘロデと三賢人のやり取りがおもしろかった。
それから、マリアとヨセフの関係の変容とか二人の成長が丁寧に描かれててよかった。まぁこの映画のテーマはそこなんだろうけどね。
ヨセフは初めからマリアにぞっこんで、だからこそマリアがお腹でっかくして帰ってきたときには苦しむんだけども。だって結婚前の純潔期間が明けた暁には素敵な新居にマリアをお迎えしようと思って、一生懸命家を建ててるんだぜ?そしたらマリアが知らん男の子どもを身篭って村に帰ってくるんだぜ?やりきれないよ。で、ヨセフが声を上げて糾弾すればマリアは不義密通の咎で石打の刑で、でも愛してるからそれはできなくて、かといって「自分の子だ」と言ってマリアを庇えばそれはそれで嘘をついたことになるわけで。
その点、マリアの方があっさりしててリアル。ヨセフとの結婚だって親に命じられただけで、恋をしたこともないしヨセフのことよく知らないのに、結婚とかちょー微妙って感じで、始めのうちは困惑してる。まあマリアの親が娘をさっさと結婚させたのもマリアを思ってなんだけどね。生活が苦しいのはもちろん、税が払えない家の娘が役人にさらわれたりしてたから。で、そんなところにガブちゃんが来て受胎告知。マリアは神の子を産むということに不安やおそれを持っているし、また夫ヨセフになんて言おう、恥をかかせるんでは、と考えたりもするんだけど、おもしろいのが「ヨセフの子ではない」ということそのものには大して言及してないんだよね。そこのところに、現時点でのマリアからヨセフへの気持ちのあっさり感が出ててうける。ヨセフはこんなに愛してるのに。つまり、マリアがヨセフを好きなら、ヨセフの名誉より先に、ヨセフの子ではないのを妊娠してしまったこと自体にダメージがあると思うんだよね。まあ神様だからしょうがないか。
でもその苦難の旅を通して、マリアとヨセフの結びつきが密になって、お互い大人の女性と男性になっていく。うん。
旅の途中、マリアが「神の子ってどういうことなのかしら。自分で神の子だって言うのかしら。」って言うのがよかった。そうだよなあ。わかんないよなあ。とりあえず二人で「まあ僕らが教えることは何もないよ」という方向で落ち着いてたけど。
あと、マリアの出産直後、羊飼いがわらわらとうまやどにやってきたときの、ヨセフのきょとんとした感じがよかった。そりゃびっくりするよな。逆に羊飼いや三賢人の訪問が、マリアとヨセフの、その赤ちゃんが神の子だという確信になった、という風を匂わせてたけどね。作中で。
 
とりとめなく書いてたら思いの外長文になってしまった。
でも、とにかくオススメです。

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