2016年5月24日火曜日

「軍艦『伊吹』の建造」4

4. ヒロインが魅力的

以下盛大なネタバレなので、未読の方注意。

本作に女性キャラはほとんど登場しない。
せいぜい行きつけの食堂の女将と、そこの看板娘。各自の奥方。その程度。

フネづくりは男の現場。
風の中のすばる、砂の中の銀河。
女子供に用はない。
この作品にヒロインはおらんのだな……いや違う。フネだ。軍艦『伊吹』そのものがヒロインなのだ。

と思ってた。思ってたのに。
残すところ4割を切ったあたりでにわかに登場したよ!ヒロインが!人間のヒロインが!
え、今?今からヒロイン出すの?マジで?

しかもそのヒロイン、

・女子高生(女学生)
・なのに海軍所属、階級は准尉
・理由は彼女の神通力が、厳しい戦局を打開する可能性を秘めているから

もう、典型的ヒロイン。ヒロインの属性盛り合わせ。

この作品はファンタジーであると前述したが、それは魔法使いや宇宙人が出てくるという意味ではない。
架空の巨大軍艦、巨大対空砲に寄せた「男のロマン」という意味でファンタジーと言ったのだよ。

しかしそうか……これまで綿密な考証を重ね、存在しない鎮守府、存在しない軍艦を、史実と見まがうリアリティで描き出していたのに……「魔法系ファンタジー」にしちゃうんだ……。

と不安に思ったのも束の間、このヒロインがなかなか良い。作品にうまく馴染んでいて、苦しい戦局・資材も人手も足りない現場、という終盤のつらい状況をふっと柔らかくするんだよね。

昔読んだ「鉄塔 武蔵野線」という小説を思い出した。
日本ファンタジーノベル大賞受賞作で、映画化もされている。主演は子役時代の伊藤淳史。
この作品、小学生が送電線を支える鉄塔をひとつひとつ観察しながら、その源泉である発電所を目指すという実に地味なストーリーで、ファンタジー感の欠片もない。
でも最後の最後で、この作品がなぜ「ファンタジーノベル大賞」なのかわかるような、大どんでん返しがある。

そんな感じで、「軍艦『伊吹』の建造」の突然のファンタジー転向もこの作品のおもしろさを邪魔しない。
むしろ、中盤から終盤にかけて物語の良いスパイスになっている。
まあ大型対空軽巡洋艦も超巨大対空砲も言ってしまえば魔法みたいなファンタジーだし、「神通力少女」が登場したくらいでガタガタ言うのは野暮かもしれん。

男だらけの環境に突如舞い降りた天使系ヒロインは「ありがち」であるし、私はそういうヒロインにイラッとすることが多いのだが、不思議とこの作品にはイラっとしない。
なんでかなぁ、といろいろ考えたんだけど、今のところの答えは

(1) 登場人物の誰一人としてヒロインに性的な要求をしない。
(2) 著者もヒロインに性的な要求をしない。

ってとこかな。
ロリコン大国日本において、「女子高生」を性的対象視しないフィクションは極めて稀と言わざるを得ない。
しかし成人男性が自分の歳の半分以下の少女を(プラトニックであれ)性的対象視する様は、リアルでもフィクションでもキモい。
表現の自由は担保されるべきだし、その創作物によって直接の害を被る児童が存在しないのはわかる。
でも世に溢れる「子どもを性的対象視する創作物」が、子どもを性的に消費することを肯定し、助長することを、製作者は自覚すべきだと思う。

最近気になったのが「僕だけがいない街」。すごくおもしろかったんだけど(原作未読)、アラサー男性の主人公とバイト先の女子高生の関係には引っかかった。なにかと主人公にかまいたがる女子高生を、主人公は「うるさい女」と煙たがるんだよね。うるさいガキ、じゃなくて、うるさい女。別に「女」呼ばわりしたからって、主人公が女子高生によからぬ想いを抱いていることにはならないのだが、主人公にとって女子高生は「子ども」ではなく「女」。そして案の定、アラサー主人公と女子高生は恋愛っぽい関係になる。実にキモい。

話を軍艦伊吹に戻す。
妻帯者である主人公はもちろん、周囲の成人男性の誰一人として、ヒロインを女扱いしない。徹頭徹尾子ども扱い。またヒロインも周囲の成人男性に対してセックスアピールをしない。ヒロインの言動を性的に解釈するバカがいない。実に尋常な職場環境である。

作品の成人男性がヒロインを性的対象視しないのは、著者がヒロインに性的な役割を要求していないからだと思う。
特徴的なのが、ヒロインの外見的描写がほとんど無い点。
素人作品やラノベにありがちなのが、とにかく筆を尽くしてヒロインの美しさを描写したがること。
著者の脳内には超絶かわいい萌えイラストがあり、「みんな!ぼくのかんがえたさいきょうのヒロインを見てくれ!」と言わんばかりに書きまくる。
目が大きいの、それが好奇心でキラキラしているの、透き通って青みがかっているの、髪は黒よりもなお黒く艶やかだの、小柄で華奢なのにおっぱいが立派だのなんの。

そういうヒロインの描写が本作には無い。でも、たとえば
「髪は切れとは言わないから、まとめて服の中にいれて首にタオルを巻きなさい」
という主人公のセリフでヒロインが長髪であることがわかる。
主人公らが頻繁にヒロインの頭をポンポンと叩くことで、ヒロインの頭が叩きやすい位置にある、おそらく平均以下の身長であることがわかる。まあ高身長でも叩けないこたないけど。
そして「フネの部品」として『伊吹』に乗り込むのに、顔面の美醜は関係ない。だから言及しない。

美醜が言及されていないからといって、読者があえてブサイクを想像することはあまりないだろう。
ヒロインは概ね、「ブス」の記述が無い限り「美人」である。
「ぼくのかんがえたさいきょうのヒロイン」を押し付けるのではなく、読者に各自の「ヒロイン」を想起させる。これはマンガやアニメにはできない、文章独特の表現方法だと思う。

ヒロインに「著者の理想の女」であることを要求しない。描写は最小限にとどめ、あとは読者に任せる。
実に潔い。

余計なセクシャリティを省いたことにより際立つのが、ヒロインの巫女性。
私はセックスシンボル*としてのヒロインにはイラっとするのだが、シャーマンとしてのヒロインは大好物。なにせ中二病だから。
(*幼児性を性的魅力に数えているタイプのヒロインが生理的に無理。峰不二子みたいのは好き。)


しかも少女の「特別感」を持ち上げ過ぎないところにリアリティがある。
つまりその少女は特殊な血を引く者でも、世界で唯一の異能者でもないんだよね。
とある新型機器を扱うのが「今のところ」一番うまい少女。
新型機器の性能が確認され、『伊吹』以外のフネにも搭載されることになれば、誰でもコントロールできるようヒトの訓練とキカイの開発が双方進められることになるだろうが、今回『伊吹』に試験的に搭載するにあたっては、最も安定して結果を出すことができる少女を「とりあえず」乗せる。
このギリギリのラインが私好み。
そしてシャーマンの能力として外せないのが「人外との交感」。
洋の東西を問わず神と交感する巫女。FFでは幻獣と交感する召喚師。
今作のヒロインが交感するのは「フネ」そのもの。
フネが昔から「女性」であることを考えれば、『伊吹』の進水と同時にひょっこり現れた不思議な少女は「『伊吹』の化身」と言えるのかもしれない。
本当にうまくできている。

どうやらこのヒロイン(及び軍艦『伊吹』)は、別の著者によって書かれた前作に登場するらしい。
前作と言っても物語の時系列としては本作の後。本作で建造された『伊吹』が海戦で活躍する様を描いたのが前作。おそらくヒロインも得意のエレクトリック神通力を駆使して奮戦するんだろう。そっちも読んでみたいな。

で、人間のヒロインを登場させながらも、「主人公にとってのヒロイン」はやっぱり軍艦『伊吹』なんだよね。そこにうるっときた。

0 件のコメント:

VPS