2012年3月2日金曜日

光市母子殺害事件

mixi ニュースから。

死刑の是非を問うとき、

1. 冤罪の可能性があるから、死刑廃止
2. いかなる犯罪者の命も公権力で奪ってはならないから、死刑廃止

という2つの議論は分けなきゃいけないと思う。

この13年前の事件はその残忍さと犯人が少年であることから世間の耳目を集めたし、死刑廃止派の弁護団が犯人の少年を旗印として利用したことでも有名だ。

でもこの死刑廃止派の人々がいったい何をしたかったのか、よくわからん。
いや死刑を廃止したいのはわかるんだけどさ。

少年が母子を殺したのは確実で、というか「少年は犯人か否か」は争点ではないので、「1. 冤罪の可能性があるから、死刑廃止」という議論ではない。
私も死刑の議論に冤罪の恐れを持ち出すのはなんか違うと思う。無期懲役だろうが罰金1万円だろうが冤罪はいかんでしょ。

で、「2. いかなる犯罪者の命も公権力で奪ってはならないから、死刑廃止」という方向で攻めるなら、「こいつはこんだけ悪いやつだが、それでも死刑だけはいかん。」というロジックで主張すべきだと思うんだよね。そういう意味ではこの事件の犯人は死刑反対の旗印に最適だったと思うよ。人間のクズだから。

でも弁護団が行ったのは犯人の少年に対する気違いじみたフォローだった。ドラえもんが云々とか。
いや、犯人をフォローして無罪にするなり減刑を試みるなりするのは弁護士の仕事で、当たり前のことなんだけどさ。「死刑廃止」とは関係ないよね。
少年を弁護することにより「少年の死刑」は回避できるかもしれないけど、「日本の死刑廃止」には全く繋がらないよね?

少年に殺意はなかった、特殊な生い立ちで情状酌量の余地がある、若いから更生の余地もある、だから死刑は反対。えらい普通の主張だ。そして死刑そのものは否定していない。
「少年の犯した罪は死刑になるほどではない」ってつまり、「もっと酷い犯罪なら死刑でも仕方がない」ってことだよね。

根本的に死刑そのものを廃止したいなら、「この少年は弁護する価値もない人間のクズで、反省の色もなければ更生の余地もなし、仮に数年後社会に放てば似たような犯罪をする可能性が大いにある、それでも死刑だけはいかん。」って言わなきゃいけないんじゃないの?というか、死刑廃止派はそう思ってるんだよね?「2. いかなる犯罪者の命も公権力で奪ってはならない」、その理由を彼らは持っているんだよね?私にはわからないけれど。

だからドラえもんじゃなくてさ、どんな犯罪者も死刑にしてはならない理由を裁判で述べてさ、世間に「なるほど確かに死刑はだめだ」って思わせないと「死刑廃止運動」にはならないんじゃないかなー。

というわけで、弁護団が何をしたかったのかわからない。
「死刑廃止派はドラえもんだの蝶結びだの言って少年を『弁護』するキチガイ軍団で、ろくなもんじゃない」というメッセージはしっかり受け取ったけどね。
少年を死刑廃止のために利用したんじゃなくて、本当に少年の利益を守りたかったんだけど無謀な弁護のせいで裁判に負けちゃった、ということなのかな。



■光市母子殺害の被告側、判決訂正申し立て
(読売新聞 - 03月02日 11:39)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=1936073&media_id=20
 山口県光市の母子殺害事件で殺人罪などに問われ、最高裁で2月20日に死刑判決を受けた元会社員大月(旧姓・福田)孝行被告(30)の弁護側が1日、最高裁に判決の訂正を申し立てた。訂正が認められた例はほとんどなく、棄却されれば正式に死刑が確定する。

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