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2011年8月16日火曜日

9月2日 タシケント帰還

8時起床、朝食。

街をうろうろすると、メイド服姿の女の子を発見!それも大勢。しかも小学校低学年からハイティーンの少女まで。そういえば街ゆく男の子たちも白くて糊のきいたYシャツに蝶ネクタイをしてめかしこんでいる。なんだなんだ?

と、思い至ったのは、昨日は祝日で今日は9月最初の平日だということ。きっと今日は夏休み明けの始業式。ウズベキスタンでは学校の特別な行事に正装(女の子はメイド服)を着用するのが決まりなのでは?

奇しくもウズベキスタン最後の日に、ウズベキスタン初日の謎が解明されるとは。

12時にチェックアウトし(60 ドル)、タクシーに乗って長距離タクシーの乗り場へ(2000 cym)。そこでタシケントへ行くタクシーに乗り換える(17500 cym)。

16時タシケント着。

少し早めの夕食を取る(4300 cym)。

デパートやお店などをうろうろ。

20時にタクシーで空港へ(2500 cym)。早朝のフライトに備え、仮眠を取る。

今日の支出:82ドル

2011年7月26日火曜日

9月1日 シャフリザーブス観光

8時起床、朝食。9時半に乗り合いタクシーでシャフリザーブスへ(5000 cym)。11時半に到着。

シャフリザーブスは7世紀、三蔵法師がインドへの旅路の途中に立ち寄った、との記録があるほど古いオアシス都市。そしてかのティムールが1336年に生を受けたのもこの地。

その上今日は独立記念日。ガイドブックによると「1991年のソ連解体と同時に独立を余儀なくされた。」「不本意な独立」などと書かれていて興味深い。不本意とはいえ祝日であることに変わりはない。人出は多いし、みんなおめかししている。

ティムールが遺した最大の建築といわれるアク・サライ宮殿。現在残っているのは入り口のアーチの残骸だという。このアーチは中に入って上れるらしいのだが、祝日ということでウズベキスタン人の長蛇の列。ということで、外国人の我々は泣く泣く諦める。

そこから南下しつつ、マリク・アシュタール・モスク、アブドゥシュル・アガリク・モスク、ハンマム跡と見ていく。

チョルスーバザールをうろうろしてさらに南下、ドルッティロヴァット建築群(1500 cym)やドルッサオダッド建築群を見学。ドルッサオダッド建築群にはティムールの廟と言われる墓室と石棺がある。結局サマルカンドに葬られたティムールだが、彼が生前自分のためにと用意した廟だそうだ。本当は生まれ故郷に還りたかったのかね。

その後チャイハナで昼食。ショルパとビールを注文(2500 cym)。いや、注文するときはビールとはわからなかった。ただ周りの客が黄色くて透明な炭酸飲料をおいしそうに飲んでいたので、「あれを下さい」と頼んだらビールだった。でも癖があって、日本のビールとはかなり違う

バス停がわからず、いろんな人に尋ねてみてはそれぞれてんで違う場所を指示され、かなり放浪するもやっとのことで発見。ミニバスにていったんキターブへ行き(500 cym)、そこからタクシーでサマルカンドに戻る(6000 cym)。標高2000 mのタフタカラチャ峠を越えるときの景色が素晴らしい。

17時半ホテルに到着。19時夕食。

20時頃、再び夜のグリ・アミール廟へ散歩。

スマホを持っている日本人旅行者が「福田総理が辞めた!」と言っていた。

えー。

今日の支出:13ドル

2011年7月24日日曜日

8月31日 旅の休憩

8時起床、朝食をとる。

日本を発ってこのかたサバイバルゲームのような毎日だったので、今日は一日お休みにする。午前中はホテルでダラダラしたり、PCを借りてネットサーフィンなど。

14時頃おもむろにホテルを出て、バザールのチャイハナで昼食。マンティを食べる(1250 cym)。その後バザールをブラブラ散歩して、サマルカンド大学で日本語を勉強中だという売り子のおねえさんと立ち話をする。

16時頃ホテルに戻って洗濯したり、休んだり。

19時頃ホテルで夕食。今日のメニューはカルクリット。

このホテルは本当に日本人バックパッカーが多く、夕食の時間にはみんなで一つの長テーブルを囲んで旅の情報交換や世間話などをする。我々の他に10人ほどいるのだが、彼らはみんな顔見知り同士らしく、なにやらこちらはアウェイな雰囲気。といっても10人もの団体客、というわけではなくて、みんな風の向くまま気の向くまま、孤独にさすらって貧乏旅行を楽しむ、本物のバックパッカーらしい。いつまでに日本に帰るという予定も特に無いんだか、あるいはものすごい長期の旅なのかわからないが、一筆書きのルートを辿らない人が多い。「こないだまでキルギスに行ってたけどまたサマルカンドに戻ってきた」の、「タシケントでトルクメニスタンのビザを申請したので、発行されるまでの間またブハラやヒヴァをうろうろするつもりだ」の、たかだか(?)3週間程度の旅程の我々には信じられないような会話が繰り広げられるのだ。で、それぞれの街でバックパッカーの集う宿に泊まり、出会いと別れを繰り返すうちに、今現在中央アジアをうろうろしている日本人はみんな顔見知りになってしまうらしい。もともとアウトサイダーな旅人気質の者同士意気投合して、あだ名で呼び合う仲になっている。

彼らの間に挟まりつつ、会話を楽しんだり有用な情報を得たりする。興味深かった話題は、意外とウズベキスタンの料理がみんなの体に合わないということ。今までにもなかなか迫力ある国を回ってきたと思われるバックパッカーでも、結構食事がダメらしい。ホテルにある日本語の資料(たぶん日本人がよく来るホテルなので、日本大使館が置いてった)によると、ウズベキスタンの料理には綿花からとったコットン油というものがよく使われており、日本人の体質ではそれをうまく消化できないらしい。あとはあまり日本で見ない香草がよく使われており、それが苦手な人もいるよう。羊の肉がダメな人もいるし。私はというと、全然平気。現地の食事は何もかもおいしくてしょうがない。快食快便。むしろ日本にいたときより体調いいかも。

今日の支出:1ドル

2011年6月25日土曜日

8月28日 ブハラからサマルカンドへ

8時起床。まだのどが痛むが、熱は下がったようだ。9時にチェックアウト(30ドル)。オリムにはすごく良くしてもらったので、別れるのが名残惜しい。

ラビハウズでショルパを食べる(5000 cym)。タクシーでバスターミナルへ(3000 cym)。乗り合いタクシーでサマルカンドに出発。

15時回る前にサマルカンド到着。

古代からシルクロードの中心都市として栄えたサマルカンド。13世紀チンギスハーンの侵略により灰燼に帰したが、14世紀ティムールが西トルキスタンを制覇し、サマルカンドを壮麗な「青の都」へと復興させた。ティムール帝国は15世紀の最後の年に滅びるが、サマルカンドはソ連時代の1930年までウズベキスタンの首都だった。

有名なティムール像のところでタクシーを下ろしてもらう(44000 cym)。近くの店でシャシリクを食べる(10000 cym)。

17時ホテルバハディールにチェックイン。ここでは他の日本人のバックパックグループもいた。日本人御用達らしい。

18時、レギスタン広場を散策。ここは三つのメドレセが向かい合うようにして建てられている。「ばかの一つ覚えみたいにメドレセばっかり建てやがって」なんてふざけて話していたが、ひとつひとつ個性的な建造物で興味深い。それでいて見事に調和している様に圧倒される。まさに青の都。

ウルグベク・メドレセ

シェルドル・メドレセ

入り口のアーチに人面や動物が描かれているのが特徴。この人面はCym紙幣のデザインにもなっている。偶像崇拝がご法度のイスラム国家においてあえて人面を描いたのは、戒律をも破る権力を時の支配者が示したかったため、と言われている。しかしその命を受けた建築家が責任を取って自殺した、と言う伝説もある。

ティラカリ・メドレセ

ドームの内側から見る、金貼りの天井の精緻な幾何学模様がすごい。

ウズベク・メドレセの警備員に袖の下(6000 cym)を渡してミナレットに登る。夕闇に沈んでいくサマルカンドが美しい。

19時にホテルに戻り、夕食。ここは朝だけでなく夜も食べられるので良い。おいしいウズベキスタンの家庭料理。

今日の支出:56ドル

2011年6月23日木曜日

8月27日 ブハラ観光(2)

のど痛い。熱っぽい。風邪引いた。

7時半起床。9時にホテルを出、ラビハウズでフライドラグマンを食べる(2300 cym)。

ぶらぶら歩いてサーマーニ公園内のイスマイール・サーマーニ廟へ。これは892年から943年にかけて造られた、中央アジアにおける最古のイスラム建築なのだそうだ。

コルホーズ・バザールに出てリンゴを買い、それをミネラルウォーターで洗って食べる。

バザールの近くのバスターミナルからタクシー(2000 cym)に乗ってチャル・バクルへ。

チャル・バクルは広大な墓地の遺跡。ブハラ中心部の喧騒から遠く離れ、民家もまばらな草原に忽然と現れる。入館料がいるようだが、正規の入り口ではないところから迷い込んでしまったらしく、金を払いそびれた。チャル・バクルは「4人のバクル氏」という意味らしく、この墓地の奥に彼らのものと言われる4つのおおきな柩があった。青いタイルで美しい装飾がなされていた。

チャル・バクルを出ると運よくコルホーズ・バザール行きのバスに遭遇する。バザールに戻り、今度は別のタクシーでストライマヒ・ホサ宮殿へ。

ストライマヒ・ホサ宮殿とは、「月と星の宮殿」という意味らしい。ちょうど結婚式をやっていた。ブハラ・ハーン国最後のハーン、アリム・ハーンが建設させ、1911年に完成した。ロシアの建築家が手がけたというだけあって、ロシア風というか、ヨーロッパ風の佇まい。宮殿内は博物館になっており、西洋の品物や、中国の磁器、日本の陶器なども展示されていた。アリム・ハーンの肖像画が、どう見ても麻原焼香だった。

宮殿の外に出てお庭を散策。30人の女性が住んでいたというハーレムもあり、その前には長方形のプールがあった。このプールではかつてハーンの妃たちが裸で泳ぎ、それをハーンはハーレムのテラスから眺め、今夜の伽と決めた女性にリンゴを投げたのだという。なんというアラビアンナイト。それにしても30人か……日替わりで全員と寝るのに一ヶ月かかるわけだな。

そのテラスは今ではちょっとした喫茶店になっており、そこでファンタ・オレンジを飲んだ。

バスでブハラの中心部に戻るも(300 cym)妙なところで降ろされ、若干迷う。ベッラ・イタリアというイタリア料理の店を発見し、それが「地球の歩き方」のブハラの地図内にも記載されていたことから、なんとかホテルに戻れた。

またオリムにメロンを切ってもらい、部屋で食べる。冷えててとてもおいしい。

疲れのせいで体調が悪化し、夕方以降寝る。

今日の支出:9ドル

2011年6月22日水曜日

8月26日 ブハラ観光(1)

7時半起床、洗濯など。9時にホテルを出てブハラ観光。

タキ・サラファン

タキ・テルパクフルシャン

タキは丸屋根で覆われたバザールのこと。上から見ると半球が規則正しくもこもこ配列している感じ。

タキ・ザルガラン

ミル・アラブ・メドレセ

カラーン・モスク

カラーン・モスクの横にあるカラーン・ミナレットに登る(4000 cym)。このミナレットはヒヴァのもののように彩色されているわけではなく、代わりに日干し煉瓦を組み合わせた複雑な幾何学模様をしている。

11時、チャシマイ・ミロブにて昼食(8800 cym)。ミル・アラブ・メドレセ、カラーン・モスク、カラーン・ミナレットを一望できる素敵なロケーション。

12時、アルク城を見学(5200 cym)。邪智暴虐のハーンが圧制を揮ったという城の跡で、今は博物館になっている。大学生のバイトらしい兄ちゃんが城壁の上へ案内してくれる(4000 cym)。ここから見下ろすブハラの町並みは美しかった。

14時ホテルに戻る。洗濯物を干すのに難儀していたら、オリムがひなたに案内してくれた。彼はいい人だ。

少し休んで15時半に再びホテルを出、うろうろ。今度はラビハウズの東側を散策。チャル・ミナルを観る。

屋台でメロンを買う(1100 cym)。

タキ・サラファンやタキ・テルパクフルシャンでお土産を物色するも、値が下がらなかったので断念。

ホテルに帰ろうと路地に入ると、アクセサリー売りのお兄さんに

「コンニチハ」

と話しかけられる。彼は日本語を勉強中なのだそうだ。

17時半ホテルに着き、昼寝。

20時に、昼と同じチャシマイ・ミロブにて夕食。牛肉・きゅうり・パクチー・ピーマン・たまねぎの入った炒め物がとてもおいしかった。目の前に佇むミル・アラブ・メドレセ、カラーン・モスク、カラーン・ミナレットがライトアップされていてキレイだった。

22時帰宅。シャワーを浴びる。さっき買ったメロンを食べるためにオリムに包丁を借りに行くと、「僕がカットして持っていくから部屋で待ってなよ。」と言われた。さらに「今日食べない分は冷蔵庫に入れておくよ。もっと欲しかったら声かけて。」と。なんて親切なんだオリム。

ほどなくしてオリムがお皿にメロンをのっけて部屋まで届けてくれた。すごくおいしかった。

今日の支出:21ドル

2011年6月21日火曜日

8月25日 ウルゲンチからブハラへ

7時半起床。ホテルで朝食をとり、8時半出発。バスターミナルへ。しかしながら、いつバスが来るのかわからない。毎度おなじみ「タクシ?タクシ?」と群がるドライバーをやり過ごし、ベンチに座って気長に待つことにする。と、ここにも新手のドライバーが現る。

「どこまで行くんだ?」「ブハラだ。」「乗ってけよ。」「バスで行くから結構だ。」「まあ話を聞けよ、一人15ドルで乗せてやる。」「え!!」

これ、タクシーにしてはかなり格安。他のドライバーは普通にその3倍の額を吹っかけてくる。どうやらこの運ちゃん、ブハラに私用があるらしく、ついでに客でも乗っけて小金を稼ごうという腹らしい。我々にとってはえらくラッキー。

というわけでほとんど時間のロスもなく、9時半に出発。少し風変わりなおっさんも客として同乗。このおっさん、なぜかアムダリヤ川の橋の真ん中で降ろしてくれと言い出し、その通りにしてあげたが、あの人あのあとどうするんだろう。

さて、できることなら客を満載してブハラに行きたいこの運ちゃん、ベルニーで停車して新たな客を物色し始める。客が捕まるまで我々のことは放置するつもりらしい。適当だ。こちらもタクシーを降りて周辺を散策。

1時間ほどベルニーに留まってようやくおっさんの客を確保した運ちゃん。11時半ベルニーを出発。140 km/h でぶっとばす。おっさんと百均の「ロシア語会話」用いてコミュニケーション。どうやら彼は兄弟の結婚式のためにブハラに行くらしい。

さて、1550分ブハラ着。予定より大幅に早い。バスだと8時間かかるそうなので、本当にあの運ちゃんに捕まったのは運が良かった。

ブハラの中央、ラビハウズで降ろしてもらう。ハウズは「池」の意で、ラビハウズは1620年につくられた人工の池らしい。オアシス都市国家ブハラの命の水。が、見た目は緑色で、飲んだら死にそう。洗濯したら余計汚れそう。

旅仲間が宿探しに出かけ、私は荷物番をしつつしばし休憩。ナーディール・ディヴァン・メドレセの石段に腰掛け、涼をとる。ブハラも町全体が遺跡という感じ。

と、一人の青年が「ツーリストか?」と英語で尋ねてきた。「そうだ。」「宿は決まってるのか?」「まだだ。」「うちのホテルにくるといい。」

お、これはまずいぞ。若干おろおろしていると、宿探し組が帰ってきた。「君らは仲間か?」「そうだ。」「うちのホテルに来いよ。」「いくらだ。」「一人10ドルだ。」

それはなかなかお安い。

「シャワーはついてるのか。」「もちろん。ちゃんとお湯が出る。」「クーラーは?」「ついてるよ。とても新しくてキレイな部屋だ。」

そんなにいい場所だったら「地球の歩き方」に載っているだろうに、とページを繰ると、

「いや、ガイドブックには載ってないよ。とにかく新しいホテルだからね。すぐ近くだからついてきてよ。」

やや警戒しつつ、すぐ近くだと言う彼の言葉を信じ、ついていく。と、本当にメインストリートのバハウッディン・ナクシュバンディ通りから路地を10 m も入らずに到着した。案内された部屋は想像以上に新しくてキレイ。35ドルもぼったくられた昨日の宿と比べてもずっと広い。エアコンも最新式。お湯も湯水のように使える。ここ ”MALIKJON B&B HOUSE” はかなりの掘り出し物だった。タクシー運ちゃんに引き続き、またしても青年に捕まってよかった。彼の名前はオリム。大学生で、夏休みはこのホテルでバイトらしい。

16時半、ラビハウズの屋外カフェでラグマンを食べる。

18時ホテルに戻り、シャワー・洗濯など。

今日の支出:19ドル

2011年6月20日月曜日

8月24日 ムイナクからウルゲンチへ

7時半起床、朝食。8時半、キリストによく似たイタリア人とタクシー相乗りし、バスターミナルへ(400 cym)。9時にヌクス行きのバス出発(3500 cym)。

12時半頃ヌクスに着くが、一昨日のバスターミナルではなく、どこかのバザールの前に降ろされた。「地球の歩き方」に載っているヌクスの地図はあんまり信頼できないが、とりあえずそれを見ながらうろうろする。とさっきタクシーで相乗りしたキリストを発見。彼、その風体やタクシーの値切り交渉の巧みさから言って、相当旅慣れてるっぽかったので、バスターミナルへの行き方も尋ねてみた。彼は日本で言う「地球の歩き方」のような本をめくりながら、親切にもターミナル行きのバスまで連れて行ってくれた。その本にはかなり詳しい情報が掲載されているようなので、ついでに「ウルゲンチ行きのバスが何時に出るかもわかるか?」と尋ねてみた。するとキリストは「客が一杯になったら出発するよ。」と答えた。適当だ。さすがイタリア人。

ターミナル行きのバス、というか小さなワゴン車には野菜売りのお姉さんが乗っていて、ターミナルで我々が降りるときにタダでトマトをくれた。ミネラルウォーターで洗って食べた。おいしいトマトだった。

バスがいつ出るのか不安だったか、かなり運よく、ほとんど待たずに乗ることができた。14時出発。ひたすら広大なステップを走る走る。ヤギ、ウシ、ロバなどの家畜も多く、癒される。カラカル・パクスタン共和国を出て、17時ウルゲンチ着(4000 cym)。

バス停から現在地を把握するのはかなり難易度が高い。ヌクスに引き続いてウルゲンチでも迷ってしまう。お店の人や街行く人に地図を見せつつ尋ねるも、言葉がわからないとどうもうまく情報伝達できない。結局諦めてタクシーを拾い、手ごろなホテルまで連れて行ってもらえるように頼む(5000 cym)。

で、本日のお宿はホテルウルゲンチ。若干ぼったくられた気もするが(35ドル)、ともかく昨日のホテルが過酷だったので、クーラーあり、お湯の出るシャワーあり、はかなり助かる。

18時頃夕食を食べに外出。ちょっとした広場の出店のようなところでシャシリクを食べる(3000 cym)。その後、明日のブハラ行きバスのバス停を確認するのも兼ねて、ウルゲンチを散策。オガ・ヒイ像なるものを眺めながら大きな公園を突っ切り、アル・ホレズミ通りに沿ってひたすら南下、ウルゲンチ駅へ。かなり立派な駅。ブハラへは電車で行くのも悪くないかと思いつき、駅員に尋ねたり時刻表らしきものが無いかうろうろしてみたりするものの、よくわからなかったのでやっぱり明日はバスに乗ることにする。

バスターミナルの位置も把握したところで、ホテルに戻ることにする。と、小腹が減ったので通り沿いのカフェに寄る。スープがおいしかった(2800 cym)。

22時頃ホテルに戻り、就寝。

今日の支出:48ドル

2011年6月18日土曜日

8月23日 ムイナクへ、船の墓場

PCのデータ整理してたらスタン紀行が発掘された。
もうだいぶ時間が経ってしまったけど(2008年の旅行だし)、せっかく人に読んでもらうために書いた文章なので、ぼちぼちコピペします。
でも写真貼るのがズレたりなんだりで結構めんどうなので、文のみで。あしからず。

823日 ムイナクへ、船の墓場

7時起床。ホテルで朝食。日本人の若夫婦と少し話す。彼らは仕事を辞め、世界一周を目標に旅をしているらしい。日本を出て一年経った今でも、アジアから出られないらしい。

8時にホテルをチェックアウト(15ドル)、タクシー(4000 cym)でバス乗り場へ。

850分頃、ムイナク行きのバス(3500 cym)が発車する。こちらのバスは日本と同じ大きなバス。満席で、荷物を抱えながら座るとかなり窮屈。でも窓からのそよ風が気持ちいい。隣席のウズベキスタン人グループと仲良くなる。

12時半、ムイナク到着。しかし何も無いバス停だ。タクシーも来なさそうだ。

どうしよう、と困っていると、先ほど仲良くなったバスの同乗者がホテルアイベックまで乗せて行ってくれた。しっかり運賃は取られたが。

ホテルで少し休み、韓国人らしいホテルの主人に道を訊いて、『船の墓場』へ出かける。

この船の墓場、私は来るまで知らなかったが、最近メディアでも取り上げられた有名なところらしい。

ソ連の灌漑事業の弊害と地球温暖化があいまって、砂漠化が進むアラル海。かつて漁村として活気のあったムイナクも、今ではすっかり寂れてしまった。アラル海が干上がって海岸線が100 kmも遠のき、置き去りにされた漁船が無残な姿を晒している。なんともやるせない風景。「地球の歩き方」に載ってる写真では辛うじてステップの草木が船の周囲に繁っていたが、今ではもう完全な砂漠。サラサラの砂。遠く地平線を眺めやると、徐々に青緑色になっているが、これはアラル海の水ではなくて草原の海。早晩あそこも砂漠になるんだろう。

村唯一と思われる小さな食料品店で、ガス入り水を 6 5800 cym)買い込む。あまりの渇きと暑さに正常な判断力を失って、アホみたいに買ってしまったのだが、これがあとでとても役に立った。

15時ごろホテルに帰り昼寝。砂漠の炎天下はキツイ。一番人間が活動してはいけない時間に、活動してしまったのだ。せめてもの体力温存。ただこのホテルクーラーはもちろん扇風機も無いので、寝苦しいことこの上なし。

19時頃ホテルで夕食を取る。生野菜は避けるようにしていたが、余りの野菜不足に耐え切れず、N氏(医者)の「おれのクラビットやるから、食え」のお言葉に甘えて、もりもりサラダを食べる。やっぱ野菜うまいな。

20時頃、陽が翳ってきたので再び船の墓場を散策。

このぐらいの時間帯に現地の人は活動するらしく、子どもたちも遊んでいた。

彼らは見慣れない日本人に興味津々で、しきりにまとわりついてきた。アイベルクくんとシトーくん、あと二人いたが忘れてしまった。彼らと、墓場の船の上によじ登るなどして遊んだ。とても楽しかった。

21時頃ホテルに戻る。このホテルアイベックは当然ムイナク唯一のホテル。最近観光客に注目されているとはいえ、こんな寂れた砂漠の村にホテルがあること自体驚きなのだが、これがなかなか迫力ある佇まいなのだ。

特に閉口したのがトイレ。汚い。臭い。かつては水洗だったようなのだが、今は動かないらしく、便器のそばに水を溜めた樽と手桶がある。それが触れただけでもコレラになりそうな汚水なのだ。そこに手桶が半ば浸かってぷかぷか浮いているのだ。触れるかー!!!たぶん船の墓場らへんで野糞でもしたほうがよっぽど衛生的。どんな下痢便でも次の日になればたちどころに乾燥・滅菌されるだろう。

トイレの隣にシャワースペースもあるのだが、そこも水が出ないらしい。まあ出たとしてもどんな汚水かわかったもんじゃないし、こんな臭いところで浴びる気にもならんが。

と、旅仲間が随分さっぱりした様子で外から戻ってきた。曰く、「ホテルの前の廃墟で水浴びてきた。」とな。え、このガス入りミネラルウォーターを?

「スパークリングシャワーっすか!!!」

「いや、意外とスパークリングしなかった。」

確かに今日は汗びっちょりで、是非ともシャワーを浴びたい。

でも廃墟で?うら若い乙女が?生肌晒して水浴び?アブねえじゃねーか。

「……行ってきます。」

「おお、いってら。」

「なんかあったら大声出します。」

「ハイハイ。」

てなわけで、洗顔フォーム、バスタオル、そして1 ℓのミネラルウォーターを引っさげ、廃墟へ。

一部ずつ脱いだり着たりしながら水浴び。でも気持ちよかった。乾燥してるからすぐ乾いちゃうしね。

布団に入り就寝するも、暑くて寝苦しくて何度も起きてしまう。その度に、パジャマやベッドが濡れるのも厭わず、頭からミネラルウォーターをかぶる。どうせ一時間もしないうちに乾いちゃうからね。6 ℓ買っておいてよかった。

今日の支出:30ドル

2009年8月13日木曜日

8月22日 古城巡り、カラカルパクスタン共和国へ

8月22日 古城巡り、カラカルパクスタン共和国へ

6時半起床。屋上に行って、朝日に照らされるヒヴァの街を眺める(写真①)。そこでホテルのオーナー一家の長男に遭遇。彼の自室が屋上にあるらしい。
8時にホテルをチェックアウト(25ドル)。ホテルが呼んでくれたタクシーに乗り込む。今日はこのタクシーで古代ホレズム王国の城跡を回るのだ。

アムダリヤ川(写真②)を越えて2時間ほど走る。最初の古城は『アヤズ・カラ』(写真③)。カラは城市の意。アヤズ・カラは6,7世紀のもので、ふたつの城跡の山が並んでいる。そのうち登れる山のほうを登って探検。またその城跡からもう一つの城跡を見下ろす。茫漠たる大地の中に忽然とそびえる古代の遺跡。ロマンだねえ。そこでドイツ人旅行者に出会い、しばし英会話。彼に写真を撮ってもらうと、
「日本人は写真を撮るのが好きと聞いていたけど、それは本当だね!」
と言われた。

小一時間ほど散策したのち、チャータータクシーに乗って次なる古城、トプラク・カラへ(写真④)。こちらはかなり広いお城で、いろいろな部屋があり、おもしろかった。
タクシーまで戻ると、運ちゃんが別のおっさんとしゃべっている。我々の他に西洋人の旅行客のグループがおり、おっさんはそのタクシードライバーらしい。
運ちゃんが我々に気づき、おっさんと別れてこちらに来た。タクシーに乗り込むかと思いきや、カタコトの英語で何か話しかけてきた。概ね以下の内容だと推測される。

ホテルの話だと、お前たち今日はヌクスまで行くそうだな。ホテルからは「カラ巡りをしつつベルニーのバス停までつれていってやってくれ、彼らはそこからバスでヌクスに発つのがいいだろう」、と言われた。しかし、それなら俺が直接ヌクスまで連れて行ってやろうと思う。カラ巡りも含めて一人30ドルはどうだ?

ははーん、さては西洋人旅行客の運ちゃんに焚きつけられたな。このカラ巡り+ベルニー行きのタクシーは現地住民のホテルの人が交渉してくれたおかげで、一人あたり17ドルという格安で乗れることになった。それにこの運ちゃん、ほとんど英語が話せず、旅行客慣れもしていないようで、日本人からはもっとふんだくれるということをご存じなかったらしい。

で、互いの客が遊びに行ってる間、タクシー運ちゃん同士「どこまで乗せるんだ?」「いくら取るんだ?」という会話になったのだろう。で、西洋人相手のおっさんの方が「なに?!そんだけしかとらねえのか?もったいねー。あれジャパニーズだろ?その倍は搾り取るね、俺なら。」「え、そうなの?でももう交渉成立しちゃったしなぁ…。」「待て待て、あの日本人はベルニーに用事があるんじゃなくて、そこからバスに乗り換える算段だろ?」「うん、ヌクスに行くらしい。」「じゃあお前が直接ヌクスまで連れてってやりゃーいいじゃんか。」「!」

とまあだいたいこんなとこだろう。我々が「いや、最初の約束どおりベルニーまででいい」と固辞すると、今度はその西洋人らの運ちゃんも「いや、バスは一人10ドルするし、結局タクシーと変わんないぜ?」だの「バスはきっついぞー、数ドルの違いだし、絶対彼に載せてもらった方がいいって。」などと加勢に出る。こっちの運ちゃんはかなり英語が堪能だ。きっとあの西洋人からもたんまりもらっているのだろう。

とはいえこちらもそうやすやすとぼったくられるわけにいかない。結局運ちゃんが根負けして、当初の予定通りベルニーまで送ってもらうこととなった。
それにしても、素朴でいまいち客から金を引き出せない実直な運ちゃんと、そんな純情な同業者のために一肌脱ぐ旅行客擦れした運ちゃん、どちらも微笑ましい。

そして最後の古城、クワット・カラ(写真⑤)。インディー・ジョーンズに出てきそうな、神秘的で不気味なような佇まい。古の物語に想いを馳せてしまう。しかしかなり暑い。朝からあちこち回ってきて、このときはすでに正午をまわっている。遮るものが何もないステップでの直射日光は、既に充分歩き回ってへとへとな体にはこたえる。

やっと城壁のふもとにつくが、入り口が見当たらない。他の観光客もおらず、タクシーまで戻るのもかなりしんどいので誰かに尋ねることができない。正面は写真のような形状なので内部への通路はなさそうだと認識し、向かって右側の面に回る。お、こちらにはあった。が、入り口というよりは抜け穴。人一人腹ばいになって通れるかどうかの穴が、数m上方の城壁にあり、そこまでは60度ほどの急斜面。また、その斜面に入るまでに、なんかすごくとげとげの植物が繁茂している。頑張れば行けなくもないが、現代人向けの入り口ではない(写真⑥)。
そのまま背面にまわる。どうやらこの城は正方形に近い、比較的単純な形状らしい。ここにも、やはり数m上方に入り口らしきものがあった。今度はただの穴ではなく、なんとなく入り口の体をなしてる感じだ。が。そこに到るまで幅10 cm弱、奥行き5 cm 程度、段差 50 cm 強のふざけた階段が続いている。爪先立ちで頑張ってもムリそう。っていうか危ない。
最後の望み、左面。しかし、こちらには入り口そのものがなかった。

となれば抜け穴か、階段か。背面に戻って階段に足をかけるも、これを爪先で維持しつつもう片方の足を次の段にかけるのは至難の業。これ、登り始めちゃったら、途中で降りることもできないし、想像以上に危ないので断念。そこで右面に戻って抜け穴へ(写真⑥)。長ズボンであることに感謝しながらとげとげの植物を掻き分け、手足を使って急斜面を登り腹ばいになって穴を通る。まさにインディー・ジョーンズ。あるいはミステリーハンター。

そして城跡に入ることができた。中はでこぼこした地面が広がっているだけだが、城壁から見える景色は格別。正面中央に見える、何かのシンボルのような縦長の穴は高さ2mぐらいで、ちょうど人一人が収まるサイズ。城壁に沿って内部をぐるっと回り、穴のところに佇んでみたりしていると。

ん?坂がある。幅3mくらいの、広い下り坂(写真⑦)。斜度も緩やか。その坂の終着地は、城の外、正面出っ張った部分の左側。ちょうど、写真の陰になっているところ。

まともな入り口だ……。

というわけで、今度はそこから地上に降り、城を後にする。

さて、タクシーに乗り、ベルニーという街に着いたのが13時半頃。ここで運ちゃんとはお別れ。運賃はホテルでは一人17.5ドルという話だったが、いろいろよくしてもらったし、一人20ドル渡す。と、運ちゃん大喜び!
タクシー降りたとたんに他のタクシードライバーが我々に群がり、「どこまで行くんだ」「俺のタクシーに乗れ」攻撃が始まったのだが、運ちゃんは彼らから我々をガードし、「控え控えい!このお客様をお通ししろ!」とばかりにずんずん突き進んで、ヌクス行きのバスまで案内してくれた。数ドルの心づけが相当嬉しかったらしい。しかし助かった。

バス、といっても大きめのワゴン車のようなものなんだけどね。出発するまでの間、乗客や運転手とウズベク語対日本語の会話。彼らは我々のバイブル「地球の歩き方」に興味を示し、貸してあげたら大興奮で回し読みし始めた(写真⑧)。確かに、外人が持ってる母国のガイドブックって興味深いよね。

そうこうしているうちにバスは出発し、カラカル・パクスタンの国境を越え、2時間ほどしてヌクスに到着。タクシーに乗り(3000 cym)、ホテルジペック・ジョリに着いたのは17時。今日は移動も多かったし、炎天下を歩き回ったのでくたくた。シャワーを浴び、少し休む。

18時半頃夕飯を求めて放浪。カラカル・パクスタンの首都というだけあって、ヒヴァに比べてかなり現代的。まあタシケントには遠く及ばないけど。そしてなんとなくソ連っぽい(写真⑨)。栄えてるんだけど陰鬱な感じが。学校や体育施設みたいなものもあった。

地球の歩き方にあるヌクスの地図はあんまり詳しくなく、しかもところどころ間違ってる(それでも掲載してあることのほうがすごいが)ので、待ち行く人に尋ねつつ、空腹を抱えてうろうろ。それに、「カフェ」と書いてあるので入ってみると、いかにも夜のお店だったり。ウズベキスタンではそういう商売は禁じられているが、カラカル・パクスタンは法律が違うらしい。カラカル・パクスタンの政治的区分がどうなっているのかよくわからないなぁ。国境越えのとき検問はあったもののパスポートは検められなかったから、ウズベキスタンの領内ではあるんだろうが。

で、やっと「地球の歩き方」に載っている食堂、「バヴァリア」に辿りついた。ペリメニ、スープ、ナンを食べた(9000 cym)(写真⑩)。うーん、生き返る。隣の席でビジネスマン風の日本人がビジネスの会話を日本語でしていて、びっくりした。観光でなく、仕事で来てる人もいるのね。

22時半頃就寝。

今日の支出:51ドル

2009年8月6日木曜日

8月21日 ヒヴァ観光

8月21日 ヒヴァ観光

10時に宿を出、『ホジ・アクバル』というカフェでラグマンを食べる。         
                               



ラグマンはうどんの上にトマトベースの具沢山スープがかかったような料理。生野菜が食べられなかったので、久々に野菜にありつける。とてもおいしい。


その後一人でヒヴァをうろうろ。いろんな小道を見つけて『イチャン・カラ』の構造を把握したり、結婚式に遭遇してビデオ撮ったり、城壁の外のバザールに迷い込んだり。

12時にホテルに戻り、午後は本格的に観光。いったんホテルとは反対側の西門にて観光チケットを購入(7000 cym)。


カルタミナル、ムハンマド・アミン・ハーン・メドレセを眺めながら歩く。
   
 
 
 
 
 
 
カルタミナルの碧いタイルが美しい。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

キョフナ・アルクとムハンマド・ラヒム・ハーン・メドレセを見学。




































キョフナ・アルク内の博物館。
学芸員?のおばさんが剣を持ってポーズをとってくれた。


 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

それから東門の方に戻り、さっきのバザールをまた散策。
14時にホテルに戻り、いったん休憩。ついでに洗濯。
人心地ついたところでまたホテルを出、タシュ・ハウリ宮殿を見学。
次はイスラーム・ホジャ・メドレセとミナレット。












このミナレットはヒヴァで最も高い45mの塔。もちろん登る(別料金1500 cym)。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ミナレットから見えるヒヴァの景色。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

それからパフラヴァン・マフムド廟。 
 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
最後はジュマ・モスクとミナレット。
ジュマ・モスクの中は照明がなく、明かりは天窓から差し込む陽光のみ。広い空間には無数の木柱が立ち並ぶ。その木柱は一本一本異なる浮き彫りが施されている。その緻密な装飾に息を呑むばかりだが、中には明らかに手抜きのものや、志半ばで提出しなければならなかったっぽいのがあって笑える。ここのミナレットも登る(別料金1500 cym)。何故登るのか。そこにミナレットがあるから。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 


 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ジュマ・モスクのミナレットから見える、イスラーム・ホジャ・メドレセのミナレット。

ヒヴァの有名どころは概ね回りつくしたので、ここらで腹ごしらえ。カフェ『ブル・ギュンバス』でサムサとシャシリクを食べる。サムサはパイ生地にひき肉とタマネギが詰まったもの。食事中、蜂にまとわりつかれて困っていたら、店員のお姉さんが蝿叩きで追っ払ってくれた。ちょうど店の入口から蜂を追い出したところで、別の旅行客がやってきた。すかさず蝿叩きを背中に隠して注文を承るお姉さんに萌え。

17時ごろホテルに戻ってダラダラ休憩。ホテルを経営する家族の長男らしき青年に国際電話をさせてもらえるよう頼む。妹にワンギリして、私の生存を知らせる。

夕寝の後にホテルをうろうろ。このホテルは屋上に出られることを発見する。満点の星空に沈む遺跡の街、イチャン・カラ。まさにアラビアン・ナイト。

屋上から降りるとテラスのテーブルにイタリア人ツアー客のカップルがいて、メロンを食べている。話かけられたので、しばし英会話。ついでにメロンもごちそうになる。とてもおいしかった。

今日の支出:15ドル

2009年8月5日水曜日

8月20日 タシケントからヒヴァへ

第1章 ウズベキスタン

8月20日 タシケントからヒヴァへ

7時起床。朝食バイキング。ウズベキスタンらしい(かどうかはわからないけど少なくとも日本ではあまり見かけない)料理が並ぶ。野菜サラダを食べたかったけれど、生野菜は厳禁らしいので(野菜を洗う水道水でおなか壊すから)、我慢する。

9時ホテルチェックアウト。ホテルに荷物を預け、フロントで教えてもらった通りを歩いてウズベキスタン航空に向かう。
今日は快晴。というか、この時期のウズベキスタンはおおむね快晴。気温は東京とあまり変わらない程度に暑い。でも湿気がない分爽やか。そのかわり日差しが強い。
途中大きなバザールがあったので見学。ミネラルウォーターを買う(300 cym)。

10時30分ウズベキスタン航空に着き、ドル→cymの両替(1ドル=1370 cym)と航空券を購入。1000 cymの札束がもっさりしているので、財布には一部を収納し、残りは別の袋にしまう。航空券は今日のタシケント→ウルゲンチ(96000 cym)と9月3日のタシケント→ビシュケク(265000 cym)。本当は9月1日にウズベキスタンを出国してキルギスに入りたかったのだが、あいにくちょうど『独立記念日』にあたって飛行機が飛ばないそうなので、次の飛行機で妥協。3週間の旅程で丸々2週間をウズベキスタンで過ごすことになる。
それにしてもこのチケット購入は大変だった。いかんせん英語が通じない。向こうもロシア語が話せない客の相手は面倒らしく、窓口をたらいまわしにされ、さんざん待たされる。それでもどうにかこうにかチケットを手に入れ、2時間ほどしてウズベキスタン航空を後にする。

最寄りのオイビキ駅からメトロに乗ってチョルスー駅へ。ウズベキスタンの首都、タシケントでも最大の規模を誇るチョルスーバザールに行く。果物・ドライフルーツ・香辛料などの食材から、靴や洋服、電化製品に到るまで、何でも売られている。なぜかメイド服、それもすごくコスプレっぽいものが売られている。なんだろう。誰が着るんだろう。
ともかく、とても活気がある。

ランチにシャシリクを食べる。シャシリクは大きな金属の串に肉のぶつ切りを刺したり練った肉のタネを巻きつけたりして焼いたもの。たまねぎの千切りがのせてある(でも生野菜禁止なのでよけて食べる)。とてもおいしい。他にナンとチャイをいただく。ナンはフォッカチオというよりも円盤状のパンに近い。チャイは普通の紅茶。日本のスタバで出てくるようなシナモン風味のミルクティーではない。急須に茶葉が盛られていて、お湯が満タンに入れられている。

バザールをしばらくうろうろした後、15時にチョルスー駅を出てオイビキに戻り、タクシーを拾う。一旦ホテルに寄ってもらって荷物を受け取り、タシケント空港へ(一人2000 cym)。
15時30分空港着。水を買うなどしてのんびりする。この辺では炭酸ガスが入った水の方がよく売られている。私もけっこうガス入りの水好き。

17時30分搭乗、18時離陸。20時ウルゲンチ着。空港外にて「タクシ?タクシ?」と群がるおっさんたちの中から一人を選び、ヒヴァへ(一人7300 cym)。

この国に着いて気になっていたのは街路樹や公園の木々、あるいは電柱など、「立っているもの」はすべからく、下から1 m程度白く塗られていること。昼間はその理由がわからなかったが、夕暮れから夜にかけてタクシーに乗っていてわかった。その白い部分が車のライトを反射して光るのだ。街灯のない道路を車が安全に走行するために、これはなかなか賢い規則。

21時、ヒヴァのホテル、イスラームベックに到着。一泊一人12ドルの部屋にチェックイン。コンセントから電気が取れないことを除けば、エアコン完備・お湯の出るシャワー付のなかなかよい部屋。

部屋に荷物を降ろし、人心地ついたところで夜のヒヴァへ繰り出す。ホテルのある『イチャン・カラ(内城)』は高さ8-10 m、厚さ6 m、長さ2250mの城壁に囲まれた小さな街で、ヒヴァの見所となるイスラム建築の遺跡もここに集中している。集中しているというか、そういう遺跡でつくられた街が『イチャン・カラ』。ホテルから一歩外に出れば、そこはシルクロードのオアシス都市そのもの。月と星に浮かび上がる青いミナレットはとても神秘的。

少し歩いて『ファマール』というチャイハナでプロフを食べる(6300 cym)。プロフはニンジンや肉などが炊き込まれたピラフのようなもの。結構脂っこいがおいしい。

夕食の後も街をぶらぶらして、明日の観光の予習。月夜に佇むモスクやメドレセ(神学校)はとても幻想的。

今日の支出:281ドル (ほぼ航空券代)

※写真等の無断使用はご遠慮ください。

8月19日 出発

序章 Departure

8月19日 出発

9時30分中部国際空港着。チェックイン。
中部国際空港は初めて。そう広くはないが新しくてきれい。あんまりジャパニーズのお土産屋はなく、どちらかといえば地元の若者が遊びに来るようなショッピングモール、といった印象。
パスポートを入れるための腹巻や、飛行機の気圧の変化で耳が痛くなるのを緩和するらしい耳栓など買う。
その後銀行で10万円引き出し、そのお金で800ドルを買う。これが3週間の命綱になる。
日本の最後にラーメンを食べる。母に出発の電話。
そしてついに出国。12時OZ121便離陸。

13時30分仁川空港着。耳栓はすごく効く。全然耳痛くならない。
トランジットの手続きを済ませ、空港内をうろうろ。仁川空港はかなりきれいで新しく、とにかく広い。ブランド物のDUTY FREE ショップは、同じ店を何度も見かける。
空港をうろつくのも飽きたので、ロシア語やウズベキスタンの勉強をしたり、眠ったり。

16時30分搭乗開始、17時30分OZ573便離陸。これから7時間のフライト。座席に個人用のモニターがついていたので、なぜか日本語吹替+中国語字幕で「アイアンマン」を観る。

21時タシケント着。税関申告書を書き直させられるなど、入国に少々てこずる。

空港を出て、客待ちのタクシーに声をかける。ホテル『オルズ』まで、3ドルということで話をつける。
そのタクシーはいかにも旧ソ車という感じで、フロントガラスにひびが入り、座席の皮ははがれ、なんとなく全体にべこべこしたつくり。

なぜか『グランドオルズ』という別の高級ホテルに連れて行かれる。「違う違う、『オルズ』だ。ウィ ハヴ ノーマネー、だからここには泊まれない。」と何とか伝えて『オルズ』に連れて行ってもらうが、あいにく満室。タクシーの運ちゃんが『グランドタシケント』という別のホテルに連れて行ってくれる。フロントとの交渉の末、一人26ドルで泊まれることになる。タクシーには追徴金2ドル取られる。ホテルのロビーに日本人旅行者の男性がいて、しばし話す。

『グランドタシケント』は値段の割にとてもいいホテル。部屋はきれいでエアコン完備、シャワーのお湯もしっかり出る。

ともあれ今日は移動で疲れた。時差のせいで1日が4時間も長い。おやすみなさい。

今日の支出:29ドル
VPS