2012年11月27日火曜日
11/27 とくダネの感想、脱原発
橋下氏(維新の会)、河村氏(減税)、谷岡氏(みどりの風)で原発に関する討論をしてたんだけどさ。
別に橋下氏好きじゃないし、維新の会に政権取って欲しいなんて思わないんだが、まともに日本語話しているのが橋下氏しかいなくて唖然とした。あの番組見て河村氏や谷岡氏を支持しようとする視聴者がいるとは思えない。あの二人には知性の欠片も感じない。
あんなバカを相手にするんじゃなくて、橋下氏はもっとまともな人と議論したほうが面白いし、番組も盛り上がると思うんだけどな。
2012年11月26日月曜日
11/13 とくダネの感想、男性不妊
とくダネが不妊治療について三日間の特集を組んでおり、三日目のこの日は男性不妊をテーマとしていた。
やっと!やっととくダネが「男性にも不妊症があるらしい」と気付いたよ!よかったよかった。テレビの力は偉大なので、これからも定期的に取り上げて「不妊症=女の病気」という偏見を払拭していただきたい。
何組かの男性不妊カップルのルポを見るに、「妻を検査しても異常は見当たらず、何年間も不妊治療を行うが一向にうまく行かず、もしやということで夫の精子を調べたら原因はこちらだった」というケースが多そうだ。
なんで妻しか不妊の検査をしなかったんだろうね。夫婦同時に検査すれば良かったじゃん。不妊治療……というか妊娠出産において、数年のタイムロスは大きい。初めから「夫が原因」とわかっていれば授かる可能性も高かっただろうに、夫婦共にアラフォーの今になって原因がわかっても時既に遅し。は言い過ぎかもしれないが、若い頃に比べて圧倒的に授かりにくい。
カップルのどちらに不妊の原因があるかを示したパイチャートでは、正しい数字は覚えてないけれども男:女:両方=1:2:1くらいだった。あと原因不明が何割か。
これを見て「意外と男にも不妊症がいるもんだな」「でもやっぱり女が男の倍なのか」と思う人がいるかもしれない。でも番組内で挙げられたカップルのように「不妊=女が原因」と思い込んでいるせいで検査すらしていない不妊男性がまだまだ大勢いるんじゃないかな。男:女=1:2というのは「自分に原因があると自覚している男性は女性の半分」とも言える。
近年男性不妊患者が増加しているらしい。これも生活習慣の変化、環境ホルモンの影響などが原因の可能性もあるが、番組内のカップルのようにきちっと検査をする男性が増えてきただけのことかもしれない。
昔は「三年子なきは去れ」なんて婚家を追い出された女性が、再婚したらあっさり授かったなんて話もよくあったそうだしね。
特集のまとめの段に入り、「少子化の原因は?」の問いに対して、とくダネ常連の医療ジャーナリストの伊藤氏が「女性の社会進出が原因の一つ」と述べていた。この人自身は割と冷静で客観的な発言をするし、主張が飛躍することもあまり無い。「女性の社会進出が原因の一つ」というのもある立場からすれば正しいと思う。
が、心配なのはこれを見た愚かな視聴者が何を思うかということ。
少子化の原因は女性の社会進出、女の分際で仕事をしたいなんてワガママを言うから日本がやばい、やはり男は男らしく女は女らしくすることがあるべき姿であり、日本再生のために取るべき唯一の道である。
女性の社会進出を禁止することで少子化が止まるならそうすりゃいいけどさ。そうなると男性が妻子を養わなければならないけど、大丈夫?できる?
というか、「少数の裕福な男性のみが結婚し子を持つことができる」ってことになるよね。カップル数は激減するし子どもが増えるとは到底思えないんだが。
女性にも男性と同様仕事をする自由があるべき、という議論は大事だが、ここでは割愛しよう。
とにかく現代日本では、妊娠適齢期の若者には金がない。女性が働かずにすむ世の中ならいいけど、現実は甘くない。女性の社会進出は個人のワガママではなく、社会から強制されている。
で、男女問わず、妊娠出産育児は経済的にデメリットが大きい。支出が増すだけでなく収入が減る。それも一時のことではなく生涯にわたって。
妊娠適齢期の20代って気兼ねなく妊娠できる?普通は仕事が一番大変な時だし、この時期の頑張りが後々の出世や収入アップに繋がるわけで、妊娠なんかしている場合じゃないと思うんだが。男女問わず。
いくら出産手当だの子ども手当だのその場限りの現金を頂戴したって、「子どもがいなければ稼げたはずの額」を思えばなかなか産もうとは思えないよね。
で、30代も半ばを過ぎてやっと少々の見通しがついた、さて子どもを、という頃には男女問わず生殖機能が衰えて妊娠しにくくなっている。ある種の先天性疾患のリスクも上がる。
これって女のワガママのせい?でも男性も若い頃に子どもを持つことを積極的に忌避しているよね。確かに妊娠出産の身体的負担は女性にしか無いけれども、家計を同じくするカップルなら子どもをもつことによる経済的負担は同じ。子どもは否が応でも仕事の手枷足枷となるので、出世街道から外れるリスクも高まるし。それじゃあ子どもを持つ気にも、誰かと家計を同じくする気にもなれんわな。
うんだから、この特集で問題となっていた「初産を迎えるカップルの高齢化」は、結局若い時代に子どもが産めない社会の在り方に原因があると思うわけ。若者に「卵子の劣化がヤバいよ!男性不妊もヤバいよ!」と啓発したところで少子化は止められない。だって産めないものは産めないんだもの。
少子化を止めるには金がない若者が子どもを産める社会に変えていくしか無い。
例えば大学生の結婚妊娠出産を奨励する。
子持ちでも就職に不利にならないようにする。
新入社員のくせに結婚妊娠出産して職場に迷惑かけるヤツを白い目で見ない。
やれ産休だ育休だ子どもが風邪引いただでちょいちょい消えるヤツでも、それを理由に出世や給料で同僚と差をつけない。
要するに個人の考え方を変えないと少子化は止まらないと思うんだよね。
「親になるべきは経済的にある程度安定し、そこそこ将来の見通しも立つ大人のみ。金もないのに後先考えず繁殖するのはだらしがない、みっともない。」という常識を根本的に変えなきゃいけない。
だって「経済的にある程度安定し、そこそこ将来の見通しも立つ20代」は現代日本にはほとんどいないもの。
むしろ金はなくても時間はある学生時代に子どもを持って、育児で一番時間を拘束される時期を学生としてやり過ごし、子どもが保育所に預けられるくらいの歳になったタイミングで就職する方が賢い。
公的な支援もさ、産む時だけお金くれてもしょうがないんだよね。まあそれで助かる人もいるから無意味とは言わないけど、産んだら終わりじゃないんだからさ。一人一人にはした金を撒くんじゃなくて、そのお金を産婦人科や保育所の整備に回した方が少子化は止まるんじゃなかろうか。
少子化少子化と言ったって、その少ない妊婦や子どもですらあぶれている現状のわけだから。そりゃ子どもは増えないよね。
2012年11月23日金曜日
遺伝
先日の京都のシンポジウムには旧S研OBが勢揃いしてた。
フランスから帰ってきたHさんを後輩のS君やKちゃんに紹介しようとしたんだけど、「前の研究会で会ったよ(笑)」と余計なお世話扱いされてしょぼん。
いや、彼らが既に顔見知りであることは知ってたけどさ。せっかく親子?三代揃ったところだしさ。自分の師匠に自分の弟子を見せたかったんだよ。
Hさんが教えてくれたことは、この子たちに繋ぎましたよ、みたいなさ。
S君とKちゃんに教えたBSや卵取りは、私も同じようにHさんに教わったんだよ、みたいなさ。
遺すこと、伝えること。
2012年11月11日日曜日
台湾で日本人死亡 誤って転落?
日本人観光客が死亡、100m下に転落か…台湾
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20121110-OYT1T00828.htm
7年前母と妹と台湾を旅行した時、太魯閣渓谷にも訪れたんだが、その道程で台湾人のガイドさんが道祖神?に出会うたびに拝んでたんだよね。台湾人は信心深いなあ、なんて思いつつ私もそれに倣ったんだが、現地に着いてみてびっくり。
太魯閣渓谷は切り立った崖と紺碧の渓流、至る所から噴出する滝が織りなす風光明媚な場所なのだが、前日豪雨があったそうで濁流渦巻きヤバいことになっていた。
でガイドさんが案内の途中にちょいちょい「ココ先月の崖崩れの痕ネ」「昨日もあの辺で崖崩れがあって、観光バスに直撃しそうになったけれど間一髪助かったネ」と差し挟むんで生きた心地がしなかった。ガイドさんがあんなに真剣に拝んでいたのはそういうことだったのか。
一番怖かったのは、渓流の数十 m 上空 に張り出した崖をくりぬいて作ったらしい歩道を歩いていた時、そこに500円玉大の穴を見つけたこと。
穴があいているから怖かったのではない。穴から見える濁流に足がすくんだのでもない。
その穴によって、今いる歩道がわずか 2 cm 足らずの厚みしかないことに気づいてしまったからだ。
前日の悪天候にも関わらず太魯閣渓谷は観光客でかなり賑わっていたのだが、私は蜘蛛の糸のカンダタの気持ちがよくわかった。
この記事には「誤って転落した」とあるけど、私は何かの事故に巻き込まれた可能性もあるんじゃないかと思う。
でも一度は本当に綺麗な太魯閣渓谷を見てみたいんだけどねー。
2012年11月8日木曜日
幸せの閾値
最近「シュタインズゲート」というアニメを見て、面白かったので原作のゲームを購入した。
ゲームの方もアニメ同様ストーリーやSFの設定がよくできていて面白いんだけど、残念なことに日本語がおかしい。特に馬から落ちて落馬系が多い。
例えば
「鮮やかなほどの紅が……」
「俺は心の中の好奇心を抑えきれずに……」
「○○という危険性がある可能性を考えて……」
などなど。
ゲームが面白いだけに、こういうところが何とももったいない。
まあ私の文章も大概だけど、プロの仕事には相応のクオリティを要求したい。
ライトノベルにも酷いのがあるよね。
ある大人気ラノベを試しに開いてみたんだけど、1ページ目で読む気が失せた。筆者の知性の無さがその1ページから溢れんばかりだったよ。あれ以上読み進めるのは生理的に無理。
しかしあのラノベが好きな人は大勢いるんだよな。おそらく彼らはあの稚拙な日本語に違和感を抱くことなくスイスイと読み進め、筆者の描く独創的な世界を堪能できるんだろう。それは良いことのような気がする。「私インテリだから、こんな文章恥ずかしくって読めないわ」なんてお高く止まるよりも、ずっと人生楽しいと思う。
あることに対して造詣が深まると、それと比例して満足を覚える閾値が高くなってしまうんだよね。文章だけでなく音楽とか絵画とかその他諸々。
両親は音楽の専門家なのだが、小学生の頃音楽会の出し物にダメ出しされた記憶がある。小学生の合奏に何のクオリティを求めているんだと、小学生ながら思った。いや親としては子どもたちよりも、それを指導する専科の教員に物申したかったのかもしれんが、「よく頑張ったね。」「みんなとっても上手だったよ。」と褒められることだけを期待して帰宅した小学生に言うセリフじゃないだろう。当時の自分も可哀想だが、意気揚々と帰ってきた子どもにダメ出ししちゃう親もある意味不幸だと思う。それが満足の閾値が上がってしまった結果もたらされたものならば、「違いのわかる耳」を持つことが果たして幸せなのかどうか。
私は舌が肥えていないので何食っても美味いと感じるけど、「美味しんぼ」の山岡みたいな食通は世の中不味い物ばっかりで可哀想だと思う。
そういうのっていろいろあるよね。芸術だけじゃなくて、スポーツとか道具へのこだわりとか、本当にいろいろ。
私は生物を専攻しているが、生物に造詣があるせいで満足しづらいこと、何かあるかなー。「iPS細胞ちゅーので抜け毛から知らないうちにクローン人間が作れるらしい!」というノリについていけないことくらいか(笑)。科学を取り扱う小説などは、余程変でなければフィクションだと割り切るしなー。
あ、でも科学者の扱いに関しては結構敏感かな。「シュタインズゲート」はまさにそう。メインヒロインが天才科学者って設定なんだが、その割に頭が悪い。主人公との議論も稚拙。まあ作者の知性を超える作品は書けないってことだね。
他の作品でも科学者キャラがやたら科学者を自称したり、「論理性」を強調したりしているのはイラッとくる。しかも全然論理的じゃないし。
しかし知識に乏しい方が幸せなのかというと、それもおかしい。
以前研究室の先輩が
「小説は、漫画・ゲーム・アニメ等の動画に比べて劣っている。なぜなら漫画・ゲーム・アニメは絵や音声や自分で動かすことを通じて効率的に情報を得られるのに対し、小説は文字情報しか持たないため非効率的だからだ。」
なんてアホなことを言い出したのでびっくりした。そういう考え方があり得るのか。
でもラノベをチラ見して、その先輩の言わんとするところが多少わかった。
全部がそうだとは言わないけど、ラノベの多くは映像が前提なんだよね。
筆者の頭の中でアニメが放映されていて、それをそのまま原稿に記載している感じ。同人作家など素人が陥りやすい。私も中学生の頃文芸部でその手の小説を書いていたので、痛々しさがよくわかる。
これじゃ確かにその作品が小説である価値は無いわな。
しかも小説を書くのに道具は要らない。漫画には多少の道具と画才が必要だし、ましてアニメは素人一人で作れるようなものではない。だからいつか人気が出てアニメ化してもらうのを夢見ながら、自分は小説での表現で妥協してるわけだ。うん。小説はアニメその他に劣っている。
でもさ、文章ってそうじゃないよね。文章はそれ自体が芸術なんだよ。小説を読むのは「文字という乏しい情報から時間的肉体的コストをかけてストーリーを把握する作業」じゃなくて、文章そのものを鑑賞しているわけよ。
小説で表現できないことをアニメその他で表現できるのかもしれないけれど、アニメその他で表現できないものが小説にはある。優劣なんぞつけられない。
小説から芸術を引いたら文字情報しか残らない。音楽から芸術を引いたら音声情報しか残らないのと同じように。
その先輩には文章に対する感受性が無いから、あんな恥ずかしい発言をしちゃうんだな。それってすごく貧しいし、不幸なことだと思う。まあ本人がそれを認識してない以上「幸せ」なのかもしれんが。
造詣が深くなると満足の閾値は上がるのかもしれないが、素晴らしいものが本当に素晴らしいことを理解できるんだね。
アマチュアオケのクソ演奏でもそれなりに感動してしまう私の耳では、本物の本当の良さが理解できないのかもしれない(笑)。理解するためにはそこそこ時間をかけて勉強しなければならない。
シュタインズゲートや某人気ラノベを手放しで楽しめないのは残念だけどねー。
2012年11月3日土曜日
劇場版魔法少女まどか☆マギカ総集編 前後編3-5:まどか
☆ネタバレありの感想
これで最後。
・まどか
こういうファンタジーでありがちなのが、少年少女が主人公なのに親の存在感がないこと。でもそれはある程度仕方がない。良識ある大人がそばにいると主人公が不思議や危険に巻き込まれる機会が失われてしまう。物語が始まらない。
まどか☆マギカも例に漏れず、まどか以外の4人は親が死んでいるか、そもそも言及されない。
でもまどかだけは違う。両親と弟と4人家族で、支えあい慈しみあう幸せな家族であることが丹念に描かれている。劇場版ではOPから幸せ家族のダメ押しをしている。
そして中学生になり、自分の生き方についていろいろ考えるようになってきた娘に対して、両親はそれぞれ人生の先輩として己の見解を語るんだよね。特にまどか母の晩酌シーンが良い。
母「まどかは良い子に育った。嘘もつかない、悪いこともしない。だから今度は間違えることも覚えな。若いうちは傷の治りも早い。今のうちに上手な転び方を勉強しておけば、後々必ず役に立つ。大人になっちゃうとね、どんどん間違えられなくなっちゃうんだ。背負った物が大きくなる分、下手を打てなくなる。」
まどか「それって、つらくない?」
母「大人は誰でもつらいのさ。だから酒飲んでいいってことになってんのよ(笑)」
まどか「私も早く大人になって、ママとお酒飲みたいな。」
母「おー、なっちゃえなっちゃえ。つらい分楽しいぞ、大人は。」
こういうこと言える大人になりてぇ。
「俺、大人になったらママとお酒飲むんだ」っていう死亡フラグが泣ける。
子どもたちが笑ったり泣いたりしているだけでなく、かつてそういう経験をし、もっと難しい局面を乗り越えてきた大人をちゃんと描いているから、まどか☆マギカの物語は立体的になり、深みを増すんだよね。
そしてまどかの出した答えは、あの家族で育まれたからこそ、特にあの母親の娘だからこその選択だと思うんだ。
魔法少女のシステムについて明かされていく過程と、それでもやっぱり魔法少女になろうとするまどかの願いが興味深い。
「魔法少女になりたい」→魔法少女の死を目の当たりに→「さやかを助けたい」→魔法少女の本体はSG→「さやかを助けたい」→魔女は魔法少女の成れの果て→QBの目的は少女を魔法少女にして魔女化させること→「新世界の神になる(その結果さやかも助かる)」。
こうして見ると、まどかは大体さやかのために契約しようとしているんだね。というかQBは大概さやかをダシにして契約を迫るよね。やはりほむらはさやかを魔法少女にさせてはいけなかった。
魔法少女の契約がどれだけ胡散臭くて割に合わないか一つずつわかってきて、それでもなおさやかのために犠牲になろうとするまどかマジ女神。
またその度に駆けつけて、すんでのところで契約を阻止するほむらマジ苦労人。
そりゃ「何度忠告させるの。どこまであなたは愚かなの。」とキレたくもなる。
「どうしてあなたはいつも自分を犠牲にして……勝手に自分を粗末にしないで。あなたを大切に思う人のことも考えて。いい加減にしてよ!あなたを失えば悲しむ人もいるって、どうしてそれがわからないの?あなたを必死で守ろうとしてきた人はどうなるの?」と泣きたくもなる。
ほむらの真の敵は、何度忠告してもどんな目に遭っても、性懲りもなく契約しようとするまどか自身かもしれないww
最後のまどかの願いは、初めにテレビを見たときには全然腑に落ちなかった。なんでも叶えられるのに、なんでそんな微妙に痛みを伴う願いを選択したんだ。諸悪の根源はQBであり、魔法少女の犠牲なくしては成り立たない宇宙のエネルギーシステムであるのに、どうして「魔女を消す」なんて対症療法を取るんだ。
でも何度か見直すうちにわかってきた。
まどかは「魔法少女が起こした奇跡」は肯定しているんだよね。そして「奇跡には代償が伴う」ことも肯定している。QBとの関わりの中で人類が紡いできた歴史も肯定している。たとえQBに牧場の家畜扱いされていたんだとしても、彼らの干渉によって少女達が奇跡を願い、歴史が変わり、今の世界があることを、まどかは否定したくなかったんだね。
でもその代償が「魔女化」っていうのはあんまりだ。奇跡を祈った分呪いを背負い、希望を願った分絶望を撒き散らすなんて酷すぎる。
だからダークサイドに堕ちる前に、奇跡を願う綺麗な心のうちに、私がみんなを殺す。
そういうことなんだよね。まどかが変えたのはそこだけ。魔法少女の最期は「魔女化」ではなく「死」。
魔女化と死、どっちがマシかと言えばどっちもどっちだと思う。でも考えてみれば、命あるものは誰でも死ぬんだよね。ゾンビ状態の魔法少女が迎える死の形は、SGの消滅でしか有り得ない。さやかみたいに素質がなければ穢れの浄化が追いつかなくてすぐ死ぬだろうし、マミや杏子だったら結構長生きするだろう。人間と魔法少女のどっちが寿命が長いか知らんけど、生きるために戦い、最期には力尽きて死ぬのはどちらも変わらない。
あとまどかの願いは「魔法少女が絶望して魔女になる。その魔女を魔法少女が殺す。」という不毛なサイクルを止めたという意味もある。それに伴ってQBと魔法少女の関係も変化し、間接的に魔法少女の精神状態はマシになっているんではなかろうか。
QBは少女をSGにするだけでなく、明らかにわざと絶望に導いているよね。例えば契約前にさやかに「君はSGとなりゾンビになる。そしてやがて魔女になる。それでも彼の腕を治したいかい?」と説明したら、さやかはやはり契約しただろうし、うかつに魔女化することもなかったと思うんだ。
宇宙改変後、魔女に替わって世界の歪みを引き受けた「魔獣」。魔獣の発生メカニズムは作品中で明らかにされていない。とにかく新しい世界で魔法少女は魔獣を倒し、それで得られたキューブのようなものでSGを浄化し、濁りきったキューブをQBは回収してエネルギーか何かを取り出すようだ。
だからQBは契約した魔法少女はなるべく長持ちさせたい。一人当たりの総エネルギー回収量を上げるにはそうやすやすと死なれては困る。魔法少女がSGであることも、浄化を怠ると死ぬことも最初に説明して、彼女自身が呪いを生んでSGを消耗させないように、常に少女の精神状態を良好に保つよう勤めるのではないだろうか。もしそうなら「魔女化」の代わりに「死」をもたらした意味は大きい。
あと一番重要なのが、まどかが「概念」となったことで、副次的にほむらの努力がまどかに全部伝わったことだよね。ここで初めてほむらのたゆまぬ努力が、何度もやり直して、その度にまどかが死ぬのを見て、時には自らまどかを手にかけて、立ち止まることも諦めることも許されずに、たった一人で時間の迷路を走り続けてきたことが報われたんだよね。ここで声にならない声で泣くほむらに、もらい泣きせずにはいられない。
ところで、どんな願いでも叶うなら、「全ての魔女を生まれる前に消し去りつつ、私という個体を保ってこのまま人生をエンジョイしたい。」にすればよかったんじゃ?
劇場版魔法少女まどか☆マギカ総集編 前後編3-4:ほむら
☆ネタバレありの感想
続き。
・ほむら
冷静沈着な謎の美少女を気取っているけど、ほむらが一番頭悪いと思う。何度も何度もやり直している割に、物語中のほむらの行動には穴が多い。
ほむらの目的は二つ。
1. まどかの命を守る(そのためにはまどかを魔法少女にしてはならない)
2. ワルプルギスの夜を倒す(まどかの守ろうとした見滝原を守る)
ワルプルギスの夜をほむら一人では倒せないことがわかっているなら、マミ・杏子・ほむらの誰一人として欠けてはならないと思うんだよね。この三人で倒せなかったら、打倒ワルプルギスは諦めてまどかを見滝原から逃がすしかない。
あと目的達成のためにはさやかを魔法少女にしてはならない。さやかが魔法少女になったらそれだけ「さやかを救う!」とまどかが魔法少女になるリスクが高まる。おまけにさやかは大概ワルプル前に魔女化して、余計なGSを消耗させたり誰かを道連れにしたりする。
つまりマミがマミられさやかが魔法少女になった第四話の時点で、ほむら的にはほぼ詰みだったと思うんだ。ほむらの経験して来た中でも最悪な時間軸の一つじゃないかな。となればこの時間軸は早々に諦めて、次の時間軸のまどかを助けに行った方が良かったんじゃなかろうか。
あとほむらの言葉はわかりにくい。改めて見直すと、淡々と話すほむらの言葉の中にどれだけの思いが込められているのかを初めて知って泣けてくるのだが、あんな抽象的な話し方ではまどかにも視聴者にも何も伝わらない。
「家族や友達が大切ならば、今とは違った自分になろうなんて思わないことね。あなたは鹿目まどかのままでいればいい。今まで通り、これからも。」
じゃなくて
「なんか白い生き物があの手この手で『魔法少女になってよ☆』とか言ってくるけど、奴は人間を食うエイリアンで、奴の目的はまどかを絶望させることなのだから関わるな。」
とかさ。はっきり言えばいいのに。事実まどかには全然通じず「私の願いは魔法少女になること☆」とか寝言をほざくじゃないか。
ほむらは何度も何度もやり直してきたけれど、その失敗から学ぶんじゃなくて、逆にどんどん意固地になってどツボにハマってしまうんだよね。そこが彼女の少女らしさだと思う。
もう誰にも頼らない。私一人でまどかを救う。まどかに嫌われたっていい。私はどうなったって構わない。他の魔法少女はどうでもいい。私はまどかだけを守り、ワルプルギスの夜を倒す。
その犠牲的精神はとてもピュアでせつないんだけども、そういう考え方でいる限りほむらは目的を達成できないと思う。ほむらが一人になる過程も作品中では描かれるんだけれども、それにしたって周りの人間を見限るには早計だと思う。もっとやりようがあったんじゃないかな。
私はテレビ版でも劇場版でも、まどか☆マギカが本当におもしろいのは2周目だと思う。テレビ版を2回でもいいし、テレビ版と劇場版1回ずつでもいいけど、とにかく2回は観て欲しい。「シックスセンス」ばりの様々な仕掛けが作品冒頭から散りばめられている。冷酷無比なほむらが時折見せるやりきれない表情とか、感情を抑えたセリフの中に見える溢れんばかりの思いとか、まどかの何気ない一言をどんなにせつない気持ちで受け止めていたかとか、それは2周目でやっとわかるし、それを受け止めずしてまどか☆マギカを観たとは言えないんではなかろうか。
第十話から最後まで涙涙なのは当然として、例えば第四話とか2回目に見るとやばいよね。
「一人が救われただけで、私は嬉しい。」これ本当に嬉しいんだよね、ほむらは。
「そう言ってくれる人がいるだけ、巴マミは幸せね。……羨ましいほどだわ。」そうだよね。羨ましいよね。
まどかの「私は覚えてる!」にふと顔を上げるほむらがもう可哀想で可哀想で。
ほむらはまどかに因果を重ねることを嫌って諦めたけれども、構わず何度でもやり直してまどかを育成すれば、QBの母星?を脅かすほどのポテンシャルを秘めることになって、結果QBはまどかに接触するのをやめるんじゃないだろうか。
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