2012年11月3日土曜日

劇場版魔法少女まどか☆マギカ総集編 前後編3-5:まどか


☆ネタバレありの感想

これで最後。











・まどか

こういうファンタジーでありがちなのが、少年少女が主人公なのに親の存在感がないこと。でもそれはある程度仕方がない。良識ある大人がそばにいると主人公が不思議や危険に巻き込まれる機会が失われてしまう。物語が始まらない。

まどか☆マギカも例に漏れず、まどか以外の4人は親が死んでいるか、そもそも言及されない。
でもまどかだけは違う。両親と弟と4人家族で、支えあい慈しみあう幸せな家族であることが丹念に描かれている。劇場版ではOPから幸せ家族のダメ押しをしている。
そして中学生になり、自分の生き方についていろいろ考えるようになってきた娘に対して、両親はそれぞれ人生の先輩として己の見解を語るんだよね。特にまどか母の晩酌シーンが良い。

母「まどかは良い子に育った。嘘もつかない、悪いこともしない。だから今度は間違えることも覚えな。若いうちは傷の治りも早い。今のうちに上手な転び方を勉強しておけば、後々必ず役に立つ。大人になっちゃうとね、どんどん間違えられなくなっちゃうんだ。背負った物が大きくなる分、下手を打てなくなる。」
まどか「それって、つらくない?」
母「大人は誰でもつらいのさ。だから酒飲んでいいってことになってんのよ(笑)」
まどか「私も早く大人になって、ママとお酒飲みたいな。」
母「おー、なっちゃえなっちゃえ。つらい分楽しいぞ、大人は。」

こういうこと言える大人になりてぇ。
「俺、大人になったらママとお酒飲むんだ」っていう死亡フラグが泣ける。
子どもたちが笑ったり泣いたりしているだけでなく、かつてそういう経験をし、もっと難しい局面を乗り越えてきた大人をちゃんと描いているから、まどか☆マギカの物語は立体的になり、深みを増すんだよね。
そしてまどかの出した答えは、あの家族で育まれたからこそ、特にあの母親の娘だからこその選択だと思うんだ。

魔法少女のシステムについて明かされていく過程と、それでもやっぱり魔法少女になろうとするまどかの願いが興味深い。
「魔法少女になりたい」→魔法少女の死を目の当たりに→「さやかを助けたい」→魔法少女の本体はSG→「さやかを助けたい」→魔女は魔法少女の成れの果て→QBの目的は少女を魔法少女にして魔女化させること→「新世界の神になる(その結果さやかも助かる)」。

こうして見ると、まどかは大体さやかのために契約しようとしているんだね。というかQBは大概さやかをダシにして契約を迫るよね。やはりほむらはさやかを魔法少女にさせてはいけなかった。
魔法少女の契約がどれだけ胡散臭くて割に合わないか一つずつわかってきて、それでもなおさやかのために犠牲になろうとするまどかマジ女神。
またその度に駆けつけて、すんでのところで契約を阻止するほむらマジ苦労人。
そりゃ「何度忠告させるの。どこまであなたは愚かなの。」とキレたくもなる。
「どうしてあなたはいつも自分を犠牲にして……勝手に自分を粗末にしないで。あなたを大切に思う人のことも考えて。いい加減にしてよ!あなたを失えば悲しむ人もいるって、どうしてそれがわからないの?あなたを必死で守ろうとしてきた人はどうなるの?」と泣きたくもなる。
ほむらの真の敵は、何度忠告してもどんな目に遭っても、性懲りもなく契約しようとするまどか自身かもしれないww

最後のまどかの願いは、初めにテレビを見たときには全然腑に落ちなかった。なんでも叶えられるのに、なんでそんな微妙に痛みを伴う願いを選択したんだ。諸悪の根源はQBであり、魔法少女の犠牲なくしては成り立たない宇宙のエネルギーシステムであるのに、どうして「魔女を消す」なんて対症療法を取るんだ。

でも何度か見直すうちにわかってきた。
まどかは「魔法少女が起こした奇跡」は肯定しているんだよね。そして「奇跡には代償が伴う」ことも肯定している。QBとの関わりの中で人類が紡いできた歴史も肯定している。たとえQBに牧場の家畜扱いされていたんだとしても、彼らの干渉によって少女達が奇跡を願い、歴史が変わり、今の世界があることを、まどかは否定したくなかったんだね。

でもその代償が「魔女化」っていうのはあんまりだ。奇跡を祈った分呪いを背負い、希望を願った分絶望を撒き散らすなんて酷すぎる。
だからダークサイドに堕ちる前に、奇跡を願う綺麗な心のうちに、私がみんなを殺す。

そういうことなんだよね。まどかが変えたのはそこだけ。魔法少女の最期は「魔女化」ではなく「死」。
魔女化と死、どっちがマシかと言えばどっちもどっちだと思う。でも考えてみれば、命あるものは誰でも死ぬんだよね。ゾンビ状態の魔法少女が迎える死の形は、SGの消滅でしか有り得ない。さやかみたいに素質がなければ穢れの浄化が追いつかなくてすぐ死ぬだろうし、マミや杏子だったら結構長生きするだろう。人間と魔法少女のどっちが寿命が長いか知らんけど、生きるために戦い、最期には力尽きて死ぬのはどちらも変わらない。

あとまどかの願いは「魔法少女が絶望して魔女になる。その魔女を魔法少女が殺す。」という不毛なサイクルを止めたという意味もある。それに伴ってQBと魔法少女の関係も変化し、間接的に魔法少女の精神状態はマシになっているんではなかろうか。

QBは少女をSGにするだけでなく、明らかにわざと絶望に導いているよね。例えば契約前にさやかに「君はSGとなりゾンビになる。そしてやがて魔女になる。それでも彼の腕を治したいかい?」と説明したら、さやかはやはり契約しただろうし、うかつに魔女化することもなかったと思うんだ。

宇宙改変後、魔女に替わって世界の歪みを引き受けた「魔獣」。魔獣の発生メカニズムは作品中で明らかにされていない。とにかく新しい世界で魔法少女は魔獣を倒し、それで得られたキューブのようなものでSGを浄化し、濁りきったキューブをQBは回収してエネルギーか何かを取り出すようだ。

だからQBは契約した魔法少女はなるべく長持ちさせたい。一人当たりの総エネルギー回収量を上げるにはそうやすやすと死なれては困る。魔法少女がSGであることも、浄化を怠ると死ぬことも最初に説明して、彼女自身が呪いを生んでSGを消耗させないように、常に少女の精神状態を良好に保つよう勤めるのではないだろうか。もしそうなら「魔女化」の代わりに「死」をもたらした意味は大きい。

あと一番重要なのが、まどかが「概念」となったことで、副次的にほむらの努力がまどかに全部伝わったことだよね。ここで初めてほむらのたゆまぬ努力が、何度もやり直して、その度にまどかが死ぬのを見て、時には自らまどかを手にかけて、立ち止まることも諦めることも許されずに、たった一人で時間の迷路を走り続けてきたことが報われたんだよね。ここで声にならない声で泣くほむらに、もらい泣きせずにはいられない。


ところで、どんな願いでも叶うなら、「全ての魔女を生まれる前に消し去りつつ、私という個体を保ってこのまま人生をエンジョイしたい。」にすればよかったんじゃ?

劇場版魔法少女まどか☆マギカ総集編 前後編3-4:ほむら


☆ネタバレありの感想

続き。












・ほむら

冷静沈着な謎の美少女を気取っているけど、ほむらが一番頭悪いと思う。何度も何度もやり直している割に、物語中のほむらの行動には穴が多い。

ほむらの目的は二つ。
1. まどかの命を守る(そのためにはまどかを魔法少女にしてはならない)
2. ワルプルギスの夜を倒す(まどかの守ろうとした見滝原を守る)

ワルプルギスの夜をほむら一人では倒せないことがわかっているなら、マミ・杏子・ほむらの誰一人として欠けてはならないと思うんだよね。この三人で倒せなかったら、打倒ワルプルギスは諦めてまどかを見滝原から逃がすしかない。
あと目的達成のためにはさやかを魔法少女にしてはならない。さやかが魔法少女になったらそれだけ「さやかを救う!」とまどかが魔法少女になるリスクが高まる。おまけにさやかは大概ワルプル前に魔女化して、余計なGSを消耗させたり誰かを道連れにしたりする。
つまりマミがマミられさやかが魔法少女になった第四話の時点で、ほむら的にはほぼ詰みだったと思うんだ。ほむらの経験して来た中でも最悪な時間軸の一つじゃないかな。となればこの時間軸は早々に諦めて、次の時間軸のまどかを助けに行った方が良かったんじゃなかろうか。

あとほむらの言葉はわかりにくい。改めて見直すと、淡々と話すほむらの言葉の中にどれだけの思いが込められているのかを初めて知って泣けてくるのだが、あんな抽象的な話し方ではまどかにも視聴者にも何も伝わらない。
「家族や友達が大切ならば、今とは違った自分になろうなんて思わないことね。あなたは鹿目まどかのままでいればいい。今まで通り、これからも。」
じゃなくて
「なんか白い生き物があの手この手で『魔法少女になってよ☆』とか言ってくるけど、奴は人間を食うエイリアンで、奴の目的はまどかを絶望させることなのだから関わるな。」
とかさ。はっきり言えばいいのに。事実まどかには全然通じず「私の願いは魔法少女になること☆」とか寝言をほざくじゃないか。

ほむらは何度も何度もやり直してきたけれど、その失敗から学ぶんじゃなくて、逆にどんどん意固地になってどツボにハマってしまうんだよね。そこが彼女の少女らしさだと思う。
もう誰にも頼らない。私一人でまどかを救う。まどかに嫌われたっていい。私はどうなったって構わない。他の魔法少女はどうでもいい。私はまどかだけを守り、ワルプルギスの夜を倒す。
その犠牲的精神はとてもピュアでせつないんだけども、そういう考え方でいる限りほむらは目的を達成できないと思う。ほむらが一人になる過程も作品中では描かれるんだけれども、それにしたって周りの人間を見限るには早計だと思う。もっとやりようがあったんじゃないかな。

私はテレビ版でも劇場版でも、まどか☆マギカが本当におもしろいのは2周目だと思う。テレビ版を2回でもいいし、テレビ版と劇場版1回ずつでもいいけど、とにかく2回は観て欲しい。「シックスセンス」ばりの様々な仕掛けが作品冒頭から散りばめられている。冷酷無比なほむらが時折見せるやりきれない表情とか、感情を抑えたセリフの中に見える溢れんばかりの思いとか、まどかの何気ない一言をどんなにせつない気持ちで受け止めていたかとか、それは2周目でやっとわかるし、それを受け止めずしてまどか☆マギカを観たとは言えないんではなかろうか。

第十話から最後まで涙涙なのは当然として、例えば第四話とか2回目に見るとやばいよね。
「一人が救われただけで、私は嬉しい。」これ本当に嬉しいんだよね、ほむらは。
「そう言ってくれる人がいるだけ、巴マミは幸せね。……羨ましいほどだわ。」そうだよね。羨ましいよね。
まどかの「私は覚えてる!」にふと顔を上げるほむらがもう可哀想で可哀想で。


ほむらはまどかに因果を重ねることを嫌って諦めたけれども、構わず何度でもやり直してまどかを育成すれば、QBの母星?を脅かすほどのポテンシャルを秘めることになって、結果QBはまどかに接触するのをやめるんじゃないだろうか。

2012年11月2日金曜日

劇場版魔法少女まどか☆マギカ総集編 前後編3-3:杏子


☆ネタバレありの感想

続き。











・杏子

杏子はさやかの対となる存在だね。地元の平和を守るために魔女を倒すさやかと違って、杏子は自分が生きるために魔女を狩る。
さやかにとって魔女は悪であり、魔女が人を食うことは阻止すべきであり、それを実行する自分は正義の味方。
杏子にとって魔女は悪ではないし、自分が正義であろうとする気もない。魔女が人を食うのも魔法少女が魔女を食うのも自然の摂理。
QBにネタばらしされる前に自分で魔法少女の在り方に近づいた彼女は賢い。もちろんそれに気付くために、彼女は正義に対して凄まじい挫折を経験したのだが。
でもさやかから見れば杏子は、人を守る力を持っているのにそれを行使しないどころか、私利私欲のために人を見殺しにする「悪」なんだよね。

そして自身の正義を見失っていくさやかとは対称的に、杏子はさやかの正義に感化され、もう一度夢とか奇跡とか綺麗事を信じてみようという気になる。

ネット評では「いかにもな『悪役』で登場した杏子が唐突にお利口さんになるので、ご都合主義的に見える」という批判もあるが、私はそうは思わない。杏子の変化はさやかとの関わりや魔法少女の真実を知る中で、とても説得力のある形で描かれていると思う。

QBから最初にさやかのことを聞いたとき、杏子は「どうせまた幸せバカが気まぐれに首突っ込んだんだろ。」と思ったんじゃないかな。生き延びるためには魔女を狩るしかない杏子が、家に帰れば家族がいてうまいもんが食える甘っちょろいヤツに、見滝原という極上のえさ場をみすみすくれてやる道理はない。あいさつがてらちょろっと脅しをかければピーピー泣いて逃げ出すに違いない。

でもさやかはただの幸せバカじゃなくて、まれに見る大バカだった。魔法少女を正義の味方と勘違いしている、かつての杏子のようなバカだった。だからこそさやかは杏子の内部に土足で踏み込むこととなり、杏子に「うぜえ。」と言わしめたんじゃないかと思う。しかも全治三か月くらいのジャブをかましてやれば大人しくなるかと思ったのに、さやかは全力で立ち向かってきた。正義を気取って己の力量も省みずがむしゃらに向かってくるさやかに刺激されて、杏子はほむらに止められるまでさやかをフルボッコした。

この戦闘シーン、よくよく見ると杏子はさやかを威圧しているように見せつつ、まどかを引き離して結界を張っているんだよね。カタギの人間は巻き込まないという杏子は漢だ。

その後杏子はさやかの願いが「想い人の腕を治したい」だったと知る。
やはりさやかは尋常でないバカだった。
他人の幸せの形を乏しい想像力で勝手に決めつけ、それを「奇跡」によって実現することのリスク。
その薬になるか毒になるかわからない危険な賭けのために何もかもを投げ出したということ。
それらに気付いていない、気付こうともしない愚かさ。
それはまさしくかつての杏子の姿だったんだね。だから杏子はさやかにちょっかいを出さずにはいられなかった。「想い人の手も足も二度と使えないように潰してやりな!」なんてわかりやすい挑発をしてね。
でも実際、さやかはこのくらいのことをしてもいいと思うよ。物理的に潰すのはアレだけど、上条に魔女退治の見学をさせて、「あんたの腕を治したから私は一生魔女を倒さなくちゃいけないの☆」って恩でも売れば、上条は身動きとれなくなるんじゃね?そしたらワルプル前に魔女化してみんなに迷惑をかけることもなかったんじゃね?

ところがその決闘の場でさやかはえらいことになる。そして杏子はQBの口からとんでもない真実を聞く。
願いを叶えた時点で杏子もさやかも死んでいた。QBは二人に何の断りもなく、二人の姿を石ころに変えていた。「魔法少女になる」とはそういうことだった。

杏子のさやかへの執着が「好意」という形になるのはこれがきっかけだと思う。確かにさやかは幸せバカだったけれど、その幸せは既に全部奪われていて、何もかも取り返しがつかなくなっていた。さやかは杏子と同じところまで堕ちてしまっていた。

杏子自身はその真実を聞いても、初めこそ自分を騙したQBに怒りはしたけれど、まあ自分の祈りへの報いだし、魔女を狩ってGSを得るだけのお仕事なのは今までと変わらないし、別にいいやと思っている。
でも他人のために奇跡を願い、他人のために日々戦っているさやかは違う。「他人が幸せなら自分はどうなってもいい」という綺麗事は言葉ほど簡単なものじゃない。いざそれが現実になり毎日積み重なると、初心を保つのは不可能に近い。「なんで私だけこんな目に」「私がこんなに苦労しているのに」に堕ちずにいるのは、並大抵の精神力でできることじゃない。
杏子はそれをよくわかっているんだよね。さやかの正義はさやかを苦しめるだけ。この理不尽とうまくやっていくには、開き直って受け入れて、自分のことだけを考えて生きていくしかない。
さやかはもはや親友からも引き離されて、孤独の世界の住人になってしまった。かつて同じような経緯を辿って孤独の世界に連れてこられた杏子は、新しい住人と共有したいことが沢山あったんだね。だからさやかを教会に連れ出して、自分の過去を語った。

以前まどか☆マギカの感想で「杏子の親父がクズ過ぎてもったいない。少し工夫すれば親父にも正義を持たせられると思うんだけど。」というようなことを書いたんだけれども、改めて見直してみて、杏子の親父はクズであることに意味があるんだと思った。
もちろん酒に溺れて最終的には一家心中を企てたのは杏子自身も認めるクズなんだけれども、杏子の親父は最初からクズだよね。というか狂人だよね。そして親父がクズであることにより、それを盲信する杏子の少女らしさと異常性が際立つように感じた。
親父の信仰がどんなものであったかアニメでは明かされておらず、それがわからない以上親父が正しいか否かはわからんよな、なんてテレビを見ていた時は思ったけれど、彼の信仰なんて関係ないんだよね。親父の語るものの中身がどうあれ、彼の頭がおかしいことには変わりない。それを「親父の言うことをみんなが聞いてくれますように」と願い、それが全ての幸せに繋がると信じて疑わなかった杏子は、やっぱり幼かったんだよね。

杏子は常に何か食べている。テレビを見ていた時はそれを単なる萌え要素だと思っていて、そこに何らかの解釈を加えている人を見て「深読みしすぎじゃない?」と思っていたけど、やっぱり彼女の食への執着は物語上の意味があるのかもね。すべてを受け入れ、前向きに生きているように見えるけれど、そうあり続けることの無理や歪みが過食として表れているのかもしれない。

とはいえ自分の願いが一家心中を引き起こしたとあっても絶望しなかった杏子は強すぎる。
QBはガッカリしたんじゃないかなwwあれを耐えたとなると、杏子はもう絶望によって魔女化することはないと思われる。しかも彼女は強力な魔法少女で、GSを培養する知恵もあるので、SGが濁りきるにも相当時間がかかる。QBにとって杏子はとんだ不良債権なのかもしれない。

教会に話を戻すと、結局杏子がさやかに語ったことは、何一つ彼女に届かなかったんだよね。さやかバカすぎる。ほむらと違って、杏子はストレートな言葉を使ってわかりやすく説明しているのに、さやかはそれでも正義を貫くことを諦めなかった。せつない。

そしてとうとうさやかは魔女になった。さやかの遺体を抱えてまどかに出会うシーンは泣けるね。
「さやかちゃんは魔女から人を守りたいと言って魔法少女になったのに」
と泣き崩れるまどかに、追い討ちをかけるようにして
「その祈りに見合うだけの呪いを背負い込んだまでのこと。あの子は誰かを救った分、これからは誰かを祟りながら生きていく。」
と言い放つほむら。
それを聞いた杏子が、まどかの前にそっとさやかの遺体を下ろすんだよね。それがあまりに優しい所作で泣ける。
さやかを放すと今度は打って変わって、激しくほむらの襟首を掴む杏子。
「なんでそう得意げにしゃべっていられるんだ!こいつはさやかのっ……さやかの親友なんだぞ。」
絞り出すように言った「さやかの親友なんだぞ」がもうね。胸が詰まるね。
杏子はさやかの親友じゃないんだよね。ほむらの言葉に胸を抉られているのは杏子も同じなのに、目の前でさやかが魔女になって、自分には何もできなくて、自分だってまどかのようにさやかに取りすがって泣きたいのに、できないんだよね。親友じゃないから。

同じように、まどかとの会話シーンもせつない。一般人を巻き込むのは杏子の主義に反するけど、さやかを救うためには手段を選んでいられない。
杏子の言葉は絶対にさやかに届かない。杏子はさやかを救うことができない。だから「親友」のまどかを使うしかない。
このシーンで人魚とユニコーンの紋様が見切れるわけよ。人魚はさやかの、ユニコーンは杏子の象徴なんだよね。これは泣く。
そして正義も夢も奇跡もなく生きてきた杏子が、さやかの正義に心を動かされ、奇跡を信じてさやかを迎えに行くわけだ。

ついにオクタヴィア戦。まどかを結界で守り、自分は魔女を絶対に傷つけず、ひたすら攻撃に耐える。攻撃特化の杏子が防戦に転じた時の弱さときたら。
「怒ってんだろ?何もかも許せねえんだろ?わかるよ……それで気が済んだら目ェ覚ましなよ。な?」
このセリフの優しさがね、もう。「わかるよ……」が重いね。

魔女が杏子に襲いかかろうとしたところをまどかが庇い、替わりにまどかが捕まってしまう。魔女は親友であるまどかを握り潰し始めた。

杏子が奇跡を諦め覚悟を決めたのはここだと思う。自分はどんなに攻撃されても良い。殺されても良い。でも親友を手にかけるようじゃもうダメだ。さやかは戻らない。奇跡は起こらない。この魔女は殺すしかない。でも一人では逝かせないから。

そして気絶したまどかをほむらに託し、杏子はさやかと心中する。
「心配すんなよさやか。ひとりぼっちは……さびしいもんな。いいよ……一緒にいてやるよ……さやか。」

このセリフを言っている時の慈愛に満ちた表情が神々しすぎてヤバい。杏子が宗教者だった過去がそれを際立たせているね。髪を下ろして祈りを捧げる杏子はまさに聖女。さやかが成し得なかった「献身」を、皮肉なことに、彼女が悪と罵った杏子が成し遂げたんだね。

劇場版魔法少女まどか☆マギカ総集編 前後編3-2:マミ・さやか


☆ネタバレありの感想

続き。











・マミさん

マミさんは作品の中で「普通の魔法少女モノだと視聴者に誤解させる」「普通の魔法少女モノではないということを視聴者に突きつける」という両方の役割を担う超重要キャラ。
だからこそマミさんは他の誰よりもカッコ良くてかわいくて、幸せいっぱい夢いっぱいの「普通の魔法少女」なんだな。
映画ではそのキラキラ感が大盛り特盛りになっててさ……でもマミさんがはしゃげばはしゃぐほど、のちに訪れる悲劇を彷彿とさせてやるせなくなるよね。あんなに幸福感Maxのシーンで既に泣き崩れている自分。やっすい涙だなw

またまどかにとってマミさんは自信に満ちた素敵なお姉さんなんだけど、実際はそうあろうと無理をしている幼い少女だっていうのが切ない。
たった一人で辛かったよね。怖くても辛くてもどれだけ頑張っても、誰もわかってくれない。そんなところへやっとやっと仲間になってくれるかもしれない子達が現れた。そりゃ張り切るよね。
でもメリットばかりを提示して闇雲に誘うんじゃなくて、それに伴うリスクも説明して彼女ら自身に決定を委ねるところがフェアだな。QBと違ってw

ほむらとは対立するんだけれども、マミさん自身はほむらをそんなに嫌っていない気がする。QBやまどか達に害をなす可能性もあるわけだから「私が守らなくちゃ!」と気を張っている面もあるだろうけど、誰もいなかった見滝原の魔女空間にフラッと現れたほむらを意外と歓迎しているんじゃないかな。GSを取り合うライバルとして。

第十話で発狂するので、ネットでは「豆腐メンタル」なんて揶揄されるけれど、彼女が思い詰めたのは彼女の契約理由が関わってると思うんだよね。他の4人には「契約しない」という選択肢もあったけれどマミさんにはなかったわけだから。

・さやか

マミさんから主人公の座を引き継いだのがさやか。さやか一人について語るだけで、この作品を概ねネタバレすることになる。
他の魔法少女と違って、さやかは視聴者が見ているところで魔法少女になり、魔女になる。またその過程で、魔法少女というシステムについて様々なことが明らかになっていく。そういう意味で彼女はこの作品の中心軸と言ってもいいかもしれない。

それからさやかは序盤でかなり重要なことを言っているんだよね。
まどかに対してほむらのことを
「あー決まりだ。それ前世の因果だわ。あんたたち、時空を超えて巡り会った運命の仲間なんだわ。」
って言ったりね。実際にそういう話なんだよコレ(笑)。
あと魔法少女になるための願い事がなかなか決まらないとき、
「別に珍しくないはずだよ、命を引き換えにしてでも叶えたい願いって。それが見つからないあたし達って、その程度の不幸しか知らないってことじゃん?だから幸せバカなんだよ。」
とかね。まさしくその通り。のちに杏子が言ってるのは、そういう幸せバカが好奇心や上っ面の正義感で命を投げ出すなってことなんだよね。

さやかは晩年周りの人間の好意を拒みまくって自滅したのでネットでは嫌われているけど、普通の少女なら当然そうなってもおかしくないだろうし、さやかはむしろ大人びている方じゃないかな。上記の「幸せバカ」発言もそうだし、マミさんがマミられてすっかりへにょへにょになったまどかを尻目に、さやかは命の危険をわかっててそれでも他人のために契約したんだから、相当強い子だと思うよ。

ただやっぱり年相応の幼い面も目立つよね。
どんな願いも叶えられるって言ってんのに、なんで望みが「上条の左腕」だけなんだwwどうせなら全身治してやれよwwww
だいたい、手を失ったら彼は不幸なのか?バイオリニストになる以外、彼は幸せになれないのか?手がないならないなりの人生があるじゃんか。プロのバイオリニストになるってすごく大変だよ。手を治したところで彼が一生バイオリンを弾き続けるとは限らないよ。

でもあんな風に荒れて苦しんでる上条を見て、さやかはもう契約するしかなかったんだよね。その視野の狭さも純粋さも、彼女が少女である故のものなんだよね。せつないわ。

あと自分の本体がSGになってしまったと知って荒れるのも少女らしさだよね。私だったらすっかりQBと同意見だわ。ゾンビだろうがなんだろうが、日常生活に支障を来さないなら別によくね?「こんな体で抱きしめてなんて言えない」って、別に普通に言えばいいじゃんね。ご飯も食べればうんこもするし生理も来るんだろうよ。やろうと思えば子どももできるんじゃね?何がそんなに問題なのさ。むしろ上条に永遠にピチピチJCの肉体を与え続けられるんだから、仁美よりもだいぶアドバンテージがあるじゃん。おっと下品な話になってしまった、失礼。

自分の体の在り方に拘るのも第二次性徴期の少女故なんだろうな。QBが少女しか相手にしないのはエネルギー回収効率がどうのというより、大人じゃそうそうQBの甘言に惑わされないし、ちょっとやそっとじゃ絶望しないからに違いない。

映画では一気に見るので、「私は私の願いを叶えて魔法少女になったの。だからまどかは引け目を感じる必要なんてない」から「何でもできるくせに何もしないあんたの代わりに私がこんな目に遭ってるの!」への転落が鮮やかだった。
何の下心もなく見返りも求めずに、地元の平和を守る正義の味方であろうとした彼女が、
「なんで私だけこんな目に」「私がこんなに苦労しているのに」「何こいつ。私はこいつらを守ってるの?こいつらのために私は死んだの?」と自分の正義の在り方や魔法少女になった理由を見失っていくのが可哀想で可哀想で、同時にものすごくリアルで胸が詰まった。


右も左もわからないピュアな子どもが酸いも甘いも噛み分けた大人になるまでに、そういう穢れの道を辿るのは人として当然のことなのに、それを食い物にするQBさんマジ外道。

2012年10月30日火曜日

劇場版魔法少女まどか☆マギカ総集編 前後編3-1:曲など


☆ネタバレありの感想

今日からネタバレ気にせず本気でダラダラ語る。
これからまどか☆マギカを見ようとしている人はブラウザバック!










・前編のOP, ED

前編のOPでいきなり泣いたよ!まどか誕生からの生い立ちがさー、もう。こんなに家族に愛されて、こんなに真っ直ぐに育った子が、それ故あんなことになるなんて。
またほむらとまどかが二人でイチャイチャしてるところがさ。ほむほむ笑ってるよ!メガほむでもリボほむでもない普通ほむの笑顔は、皮肉なことにこのOPでしか見られない(泣)

前編EDもヤバかった。
この劇場版総集編では前編がテレビの第一話〜第八話、後編は第九話〜第十二話にあたる。
つまり前編は
「魔法少女と呼ぶべきだよね(笑)」
で終わるんだ。テレビとほぼ同じ感じで。
そしてEDテーマ ”Magia” がテレビより凶暴になった編曲で入る。
そのスタッフロールの背景がさ、過去の魔法少女たちのシルエットなんだよね。
まどか達はいったい誰と戦ってきたのか、それが明らかになった途端にこの映像ですよ。
これは泣くだろ。泣くしかないだろ。

しかも第八話で切るって相当えげつないよね(笑)。あんなところで切られたら後編見るしかないだろ。しかも第八話までって主人公はどう考えてもまどかじゃなくてさやかじゃんww

・後編の挿入歌「コネクト」

第十話該当部分が終わったところで「コネクト」が、しかもほむら ver. の映像で流れた。このファンサービスに感涙。でも劇場版初見の人には意味不明だと思う。

さらに最終話のエンディングが入るタイミングでもう一回「コネクト」。その後エピローグが流れた後に劇場版エンディング「ヒカリフル」。
ファンサービスなのは嬉しいけれど、ここはさすがにやりすぎだと思う。
私としては最終話のエンディングは「コネクト」じゃなくて「ヒカリフル」で、そこでスタッフロールも全部やってしまって、最後にエピローグの方が締まったんじゃないかと思う。

ファンサービスは程々に、映画としての完成度を優先して欲しかったな。

2012年10月29日月曜日

劇場版魔法少女まどか☆マギカ総集編 前後編2


☆テレビ版と劇場版の違い

基本的に劇場版はテレビ版とほとんど同じ。ストーリーはもちろんセリフもだいたい一緒。
ただテレビ放映の反響を参考にしてか、ミスリードを防ぐために説明的なセリフが増えていたり、いくつかのシーンをバッサリ切ることでより焦点を絞った作りになったりしていた。
またセリフがほとんど同じながら収録は新たにしたらしく、声優の演技が随分変わっていた。
同じセリフが読み方でこうも印象変わるなんて、お芝居ってすごいね!
テレビ収録時は最新の台本しか手元になく、動画も未完成の状態で録るけれども、劇場版の場合は声優の方々も結末を知っている状態で録るから、演技が変わるのも当然かもしれない。
概ねテレビの演技は淡々としていて、映画は感情的な印象。テレビの方が良い、映画の方が良い、と思う部分はそれぞれあるけれど、全体的には甲乙つけ難い。

で、それを踏まえてテレビ第十話に該当する部分が録り直しではなくテレビ放映時そのままというのが心にくい。第十話は私も大好きで、そこだけ何度も見返してしまうほどなんだが、製作者自身も「あれ以上の芝居はできない」という判断から録り直さなかったんだろうな。「あれ以上の芝居はできない」と思える芝居ができるって奇跡的だと思う。

以下印象に残ったものをダラダラ挙げていく。テレビを見た人にはネタバレで、見てない人には意味不明。

・冒頭のワルプルカット
冒頭のワルプルが丸々カットで、鹿目家の平和な朝から始まっていた。
確かにテレビと違って映画では、来週も見てもらうために奇をてらった演出をする必要は無いんだが、あれは後半の重要な伏線にもなっているのでちょっと残念だった。
が、第十話に当たる部分まで来たときにやっとわかった。
テレビでは第十話のあのシーンで「なるほど、第一話の冒頭はそういう意味があったのか」と伏線回収の印象の方が強かったんだよね。
それが冒頭をカットすることによって、あのシーンのほむらの想いをより強調するという効果が生まれていた。ここまで頑張ったのに最後の最後で出し抜かれたという彼女の無念がダイレクトに響いてきて涙腺決壊。
あとまどかの「昨夜夢の中で会ったような?」の意味も変わるね。単に冒頭の夢をさすのではなく、もっと混み入った伏線になっている。

・マミさんがパワーアップ
魔法少女の変身シーンは全員テレビと違っていたんだが、中でもマミさんの演出がすごかった。
ちょいちょい顔や体のデッサンが狂っていたところも修正されており、さらに表情がテレビ以上に生き生きして愛らしくなってた。
マミ「今日という今日は速攻で片付けるわよ」まどか「そんな……」
のシーンでは、テレビでは「そんな……(困惑)」だったのが「そんな……(笑)」になってて、マミさんのおどけた雰囲気がわかりやすかった。

映画ではマミさんが契約理由を語るシーンをカットしていた。なくてもまあいいんだけど、あんなに仲間を欲しがっているマミさんがそれでもなぜ後輩達に熟考させようとするのかの説明がなくなってしまったのは残念。映画では魔法少女5人の中でマミさんだけ契約理由がわからなくなってる。
あとその続きのさやかに釘を刺すところもなくなっていた。
「あなたはその人の夢を叶えたいの?それともその人の恩人になりたいの?同じようでも全然違うことよ、これ。」
というセリフが印象深かったのでちょっと残念。やみくもに勧誘しているわけじゃない、マミさんの人柄が立体的になるいいシーンだし、のちのさやかの伏線にもなってるんだけどな。

・マミさんのSGのサイズが普通。

・みんながよく寄るおしゃれカフェが映画ではフードコートになっていて、年相応というか財布相応になってたww

・頭部のSGが砕けるシーンが追加されてわかりやすくなってた。

・シャルロッテの爆弾が盛りすぎでワロタwwほむら容赦ねぇww

・エリーに引き裂かれる時のまどかの悲鳴がカットされていたような?あれ好きだったんだけどな。

・シャルロッテ戦でのほむらをさやかが誤解しているシーンがカットされていたので、ほむらへの敵意や他の魔法少女をGS目当てだと断じるのが少し唐突な感じがした。

・さやかはあんまり素質がなくて、まどかはべらぼうな素質を秘めているというシーンがカットされていたので、第八話の雨宿り中のさやかとまどかの会話が少し唐突な感じがした。

・第九話冒頭のさやかの悲鳴がカットされていた。これだけはなんでカットしたのかわからない。時短にもなっていないし。あの叫び声が悲痛で残酷で、物語には必要不可欠だと思うんだけどな。

・テレビでも背景などにさやかと杏子の伏線がちょいちょい挟まっていたんだが、映画の第九話の部分には感動した。
杏子とまどかの会話シーンなんだけど、引きのカットで店の看板らしき人魚とユニコーンのレリーフ(?魔女の宅急便みたいな、鉄製の丸いアレ)が見切れていて、それがオクタヴィア戦の伏線であることに気付いた時は鳥肌が立った。
テレビでもあったっけ?あったとしても、映画ではそれがよりわかりやすく強調されていたと思う。

・杏子の演技はテレビと映画で随分違っていた。物語の中で印象が大きく変化するキャラだけれども、映画の方が統一感があった気がする。変化するけどブレてない感じ。
あと第九話は追加シーンも多く、杏子の想いの変遷や行動の意図がよりわかりやすくなっていたと思う。
「足手まといを連れたまま戦わない主義だろ」
も、セリフは同じなのに全然違っていた。映画の方がほむらのためらいも表現できていて好きだな。

・第十話のオクタヴィア戦開幕がIt's Show Time!って感じで派手になった。

・映画の方がイヤミったらしくなってたwwセリフはテレビと同じなのに
「なるほどね。原因は『君に』あったんだ。正しくは君の魔法の『副作用』と言うべきかな。」
と『君に』『副作用』にアクセントが置かれていて、憎たらしさ倍増。

・まどかの選択は理解するのが難しいんだけれども、彼女の意図は後のさやかとの会話である程度説明されてる。そこがテレビではかなり抽象的な物言いだったのを、映画では言葉を足してより具体的に説明していた。それでもわかりにくいけどねー。

2012年10月28日日曜日

劇場版魔法少女まどか☆マギカ総集編 前後編1


上映中なのでネタバレなし、ありに分けてダラダラ感想書く。

☆全体的な感想(ネタバレなし)

一言で言えば素晴らしかった。
ここ最近観た映画の中ではダントツの作品だと思う。
深夜放送のオタク御用達アニメ、というイメージが強いけれども、誰でも楽しめる質の高いエンターテイメント。
アニメ映画はディズニーとジブリくらいしか観ない、という人にこそお勧めしたい。
絵柄やタイトルで敬遠するのはもったいない。

ただ、思春期未満の小さなおともだちには難しいかもしれない。
でもそれはテレビで取り沙汰されているように、残酷なシーンがあるからではない。
残酷といっても観客の劣情を煽るような見せ方をしているわけではないし、必要最低限の描写にとどめているので、むしろ品があると思う。
「カリオストロ」で悪い奴が時計に挟まれるとか、「もののけ姫」で侍の腕の切断面があらわに描かれているとか、その程度。

私が子どもに受けないと思う理由は、まず色彩が渋いから。
私の時代ではセーラームーン、今ではプリキュアなどに当たるだろうか、いわゆる魔法少女モノはキャラのイメージカラーが原色に近いんだよね。たぶんそういうはっきりした色合いが子どもの視覚に訴えて、楽しい気持ちにさせるんじゃないかと思うんだ。
でも「まどか☆マギカ」は、例えば赤系のキャラはワインレッド、黄系のキャラはベージュや茶色、というように配色がオトナな感じなんだ。そこが私にとっては好ましいんだが、子どもは飽きちゃうかもしれない。

それから「まどか☆マギカ」は魔法少女モノの典型を逆手に取った構造なので、「魔法少女モノの典型」を踏まえていない子どもにはまだ早いと思う。「まどか☆マギカ」を先に見ちゃうと、他の魔法少女モノを素直に見られなくなると言うか、どんなしっぺ返しがあるんだろうとハラハラしながら見ていたが最後まで何もなかったみたいな、そういう見方になっちゃうと思うんだよね。それはもったいない。子どもは子ども向けの作品を充分楽しんでから大人向けの作品に触れるべき。
同様に「正義は善」「嘘をつくことは悪」「逃げることは無様」をすり込む前に、正義を口実にしたエゴとか、嘘も方便だとか、時には逃げることが一番賢い選択だとか、そういう話を見てもピンと来ないんじゃないかな。まあ子どもだってわからないなりに受け取れる部分を受けとって楽しめるだろうけどさ。

5時間強のテレビアニメを前後編あわせて5時間弱の映画にしたということで、内容はテレビ版とほとんど同じ。
でもグラフィックや音響が全然違うので、空間の広がりや立体感がすごかった。
単に「テレビ番組を映画館で観た」ではなく、映画館で観る価値がある。

でも「まどか☆マギカ」で一番感動するのは声優の演技だね。ストーリーは知っているし、シーンによってはセリフもほぼ覚えているのに、それでも泣かされる。感動系映画ではもれなく泣く私だが、嗚咽が漏れそうになるくらい本気で泣いたのは「ET」以来だ。

もちろんストーリーの良さは言うに及ばず。構造的というか、計画的というか、約5時間という上映時間を過不足無く使い切った感じ。すごく構成が練られていて気持ちがいい。

そういうわけで、「まどか☆マギカ」オススメです。
VPS