2011年7月24日日曜日
8月31日 旅の休憩
8時起床、朝食をとる。
日本を発ってこのかたサバイバルゲームのような毎日だったので、今日は一日お休みにする。午前中はホテルでダラダラしたり、PCを借りてネットサーフィンなど。
14時頃おもむろにホテルを出て、バザールのチャイハナで昼食。マンティを食べる(1250 cym)。その後バザールをブラブラ散歩して、サマルカンド大学で日本語を勉強中だという売り子のおねえさんと立ち話をする。
16時頃ホテルに戻って洗濯したり、休んだり。
19時頃ホテルで夕食。今日のメニューはカルクリット。
このホテルは本当に日本人バックパッカーが多く、夕食の時間にはみんなで一つの長テーブルを囲んで旅の情報交換や世間話などをする。我々の他に10人ほどいるのだが、彼らはみんな顔見知り同士らしく、なにやらこちらはアウェイな雰囲気。といっても10人もの団体客、というわけではなくて、みんな風の向くまま気の向くまま、孤独にさすらって貧乏旅行を楽しむ、本物のバックパッカーらしい。いつまでに日本に帰るという予定も特に無いんだか、あるいはものすごい長期の旅なのかわからないが、一筆書きのルートを辿らない人が多い。「こないだまでキルギスに行ってたけどまたサマルカンドに戻ってきた」の、「タシケントでトルクメニスタンのビザを申請したので、発行されるまでの間またブハラやヒヴァをうろうろするつもりだ」の、たかだか(?)3週間程度の旅程の我々には信じられないような会話が繰り広げられるのだ。で、それぞれの街でバックパッカーの集う宿に泊まり、出会いと別れを繰り返すうちに、今現在中央アジアをうろうろしている日本人はみんな顔見知りになってしまうらしい。もともとアウトサイダーな旅人気質の者同士意気投合して、あだ名で呼び合う仲になっている。
彼らの間に挟まりつつ、会話を楽しんだり有用な情報を得たりする。興味深かった話題は、意外とウズベキスタンの料理がみんなの体に合わないということ。今までにもなかなか迫力ある国を回ってきたと思われるバックパッカーでも、結構食事がダメらしい。ホテルにある日本語の資料(たぶん日本人がよく来るホテルなので、日本大使館が置いてった)によると、ウズベキスタンの料理には綿花からとったコットン油というものがよく使われており、日本人の体質ではそれをうまく消化できないらしい。あとはあまり日本で見ない香草がよく使われており、それが苦手な人もいるよう。羊の肉がダメな人もいるし。私はというと、全然平気。現地の食事は何もかもおいしくてしょうがない。快食快便。むしろ日本にいたときより体調いいかも。
今日の支出:1ドル
2011年7月19日火曜日
ハッピーシンセサイザ
キラキラ、ピコピコしてて大好きな曲。
8月30日 タジキスタンへ?
タジキスタンはビザが無いと入国できないが、半日程度の観光であれば入れてくれるらしい、とネットに書いてあった。また同じ宿に泊まっている日本人の中にもタジキスタンをビザ無しで観光した人もいた。というわけでウズベキスタンを出国、歩いて国境を越える。そしてついにタジキスタン入国!
できなかった。入管の屈強な軍人のおっさんは「ビザが無い」という時点で門前払い。いくらネットの情報にあったの、昨日もビザ無しで入った人がいたの、袖の下渡すの言っても聞く耳持たず。どうやら入管の人に依るのね。適当な担当者だったら通してくれるし、融通利かないというかきちっとした人だとダメ。まあ中央アジアだしね。運が悪かった。しかたなく退散。ウズベキスタンに再入国。
いったん宿に戻り、12時にバザールに行く。昼食にラグマン(2500 cym)。
13時半頃バスに乗り(500 cym)、ウルグベク天文台跡へ(3800 cym)。
ウルグベクはティムールの孫で、グリ・アミール廟にも彼の墓がある。若干15歳にしてティムール帝国の君主となったウルグベクだが、統治者としてよりも学者としての功績が大きいそうだ。天文学者であるとともに音楽、神学、歴史学にも通じていて、サマルカンドには彼の建設した多くのメドレセやモスクが存在する。そこで貧しい家の子どもたちに数学や天文学を教えたり、ペルシャから高名な学者たちを招いたりするなどして、彼の時代にティムール帝国の高度な文明が花開いたのだという。
しかしながらその科学への熱意が仇となり、ウルグベクは保守的なイスラム教指導者によって謀殺された。ウルグベク天文台も彼らによって破壊されてしまったそうだ。
今では天文台の基礎と六分儀の一部しか残っていないが、この六分儀がすごかったらしい。地下深くから地上高くそびえる六分儀は弧長63 m、高さ40 m。それを高さ30 m以上の建物が取り囲んだ、現代の天文台もびっくりの巨大な観測施設だったらしい。ここでの観測で彼は1年を365日6時間10分8秒と算出したという。今日の精密機械で測ると365日6時間9分9.6秒なのだそうで、その差は1分に満たない。すごい。
バスでバザールに戻り(400 cym)、そこからタクシー(1500 cym)でグム百貨店へ。グム百貨店は日本を発って以来初めて見る、普通のデパート。普通と言っても、なんだかソ連っぽくて陰鬱。まず、店内の照明が暗い。エスカレーターが止まっていて、上の階が封鎖されている。壁や天井に装飾は一切なく、まるでコンクリートの箱のよう。こんなに広いのに、息苦しい。そういう感じ。ここでは服や生活雑貨の他に、インテリアや貴金属など高価なものも売っていた。水着もあった。
お土産を物色したが、特にめぼしいものはなかった。カフェのようなところでファンタオレンジを飲んで(300 cym)、百貨店をあとにする。
ホテルに戻ったのは17時。今日も暑くて疲れたので夕寝。19時にホテルの夕食。今日のメニューはカオプ。
20時ホテルを出て散歩。レギスタン広場に多くの椅子が並べてあり、そこに日本人ツアー客と思しきおじさんおばさんが座っている。何か広場で催し物があるらしい。我々も椅子に腰掛けようとするとお代を要求されたので、後ろの方で立ち見することにする。
レギスタン広場に向かい合う3つのメドレセのライトアップが落ちる。期待は高まる。
ウルグベクメドレセのみがライトアップされ、イベント開始。なにやら日本語でのナレーション。レギスタン広場に集う3つのメドレセ、そしてティムール帝国の壮大な歴史物語が語られるらしい。
照明が切り替わって今度はティラカリメドレセのライトアップ。ナレーション。次はシェルドルメドレセ。次はまたウルグベクメドレセ。……。
いっこうにおもしろくならない。3つのメドレセがかわるがわる、あるいは同時にライトアップされ、ナレーションが続くだけ。ナレーションの雰囲気はディズニーシーのミスティックリズムのオープニングのような、何かが始まりそうな、厳かな雰囲気を醸し出しているのだが、何も始まらない。そういうのはあんまり長いとだれる。しかもその日本語ナレーション、一応ネイティブジャパニーズを使っているようなのだが、セリフが素人っぽい。結構聞くに堪えない。
いつかおもしろくなるはず、と頑張って居座ってたのだが、「これはそういう催しなのだ」ということがわかった時点で席を離れた。
きっとこういう適当なイベントで観光客からがっぽり儲けてるんだろうな。おそらくその日本人の団体旅行ではすでにツアーに組み込まれていて、参加せざるをえないんだろう。
しかしながら、イベント自体は大規模だ。なんせサマルカンドの目玉であるレギスタン広場の3つのメドレセのライトアップを動かしたり、日本語ナレーションを放送したり。サマルカンドの夜に響き渡る日本語はなんとも異様だ。たぶんあれ、日替わりで英語版とか韓国語版とかあるんだろうな。明らかに一介の興行師の企画ではなく、サマルカンド観光支部が噛んでる糞イベント。
レギスタン広場を後にして、街をぶらぶら。途中のガーデン・レストランのようなところで結婚式をやっていたり。そうこうしているうちにグリ・アミール廟に到着。ここもライトアップされていて、なかなかの雰囲気。
ここでちょっと人探し。N氏は3年前にもやはり日が暮れてからここに散歩に来て、そこで出会ったお土産物屋の青年がなんと、グリ・アミール廟の地下にある本当のティムールの墓に案内してくれたらしい。なんだかその青年と意気投合して、彼の通うサマルカンド大学の講義に潜り込ませてもらったりもしたそうだ。
というわけで当時の土産物屋の青年、オリフを探す。お土産物屋のおっさんにオリフはまだここにいるかと尋ねると、「オリフはいないが、弟のオディールならいる」とのこと。ダメもとで訊いたのでびっくり。早速オディール君を呼んでもらい、兄の居場所を尋ねると、
「今は友達の結婚式に出てるよ。」
さっきレストランでやってた結婚式にオリフも出席しているんだそうな。なんということでしょう。
オリフに会うのはあきらめて、彼が今何をしているのかを尋ねる。3年前に大学生だったのだから、今はもう何者かになっていてもおかしくない。オディール君によると、オリフはサマルカンド大学を卒業後、学校の先生になったらしい。そして今年10月に結婚するらしい。おめでとうと伝えてくれ、と言ってオディール君と別れる。
グリ・アミール廟をぐるっと回って宿に帰る。本当のお墓に入りたかったが、鍵がかかっている上に厳重に鎖がまいてあったので諦めた。残念。
今日の支出:11ドル
2011年6月30日木曜日
先生。
2011年6月26日日曜日
8月29日 サマルカンド観光
8時起床、ホテルで朝食。9時ホテルを出発。
本日最初の目的地はビビハニム・モスク(入場料 3800 cym)。中央アジア最大のモスクというだけあって、その壮麗な様に圧倒される。
ビビハニムとはティムール最愛の妃の名前。絶世の美女だったらしい。インド遠征から凱旋するティムールのために、ビビハニムが贈ったのがこのモスクだそうな。伝説ではモスクの建設を担った当代随一のイケメン&カリスマ建築家がティムールの妻たるビビハニムに横恋慕してしまう。ビビハニムは彼の求愛を何度も拒絶するも、あまりのしつこさに根負けし、彼女の頬にくちづけすることをイケメン建築家に許してしまう。そのキスの痕が痣となり、彼女の頬に残る。
インドから凱旋帰国したティムールは、寵妃に贈られた荘厳なモスクに感動し、礼を述べにビビハニムの元へ。しかし久々に会った妻の頬に痣を見つけ、ティムールは最愛の女の裏切りを知り、怒り狂う。すぐさま間男のイケメン建築家は処刑され、ビビハニムは彼女の夫へのプレゼントであるモスクのミナレットから突き落とされたのだそうな。ビビハニムかわいそう。イケメン間男あほすぎる。ほっぺにちゅーまではいいとして、吸引しちゃいかんだろう。でもまああれか。彼女が自分のものにならないなら、彼女に自分の愛の証を刻印して、共に死ぬことで一緒になろう、という純愛の狂気ともとれるな。
中庭の露店でアクセサリーを物色。おみやげにちょうどよさそうなビーズの腕輪があったので、売り子の少年に声をかける。バトル開始。
「いくらだ?」と訊くと「2ドルだ。」と言う。
「500 cym (言い値の約5分の一)なら買う。」と言うと「冗談じゃない、売れるわけない。」と言う。そこから複数個買うからまけろだの、cymとドル細かく変換してちょっとずつ値を下げさせるだのして頑張ってると、裏から顔の濃いおっさんが現れる。どうやらこの露店のオーナーであり、少年の父親であるらしい。おっさんはこう言った。
「おおマダム、この腕輪はね、さっきのアメリカ人観光客には1個5ドルで売ったんだ。でもジャパニーズはMy friend だから、1個2ドルで売ってあげるんだよ。」
よく言うわ~~~!!!
で、結局1個1ドルで3個買った。善戦したと思う。
まあ1ドルだろうが2ドルだろうがどっちだっていいんだけどさ。たとえ一円未満のところでも争う、というのが楽しいよね。言葉と心の駆け引きと言うかね。それに「日本人はぼれる」という奴らの先入観を少しでも払拭しておくのが後の日本人観光客のためにも重要だと思うしね。まぁ1ドルでもぼられてるかもしれんけどね。
お次はビビハニム・モスクの向かいにあるビビハニム廟。不幸な最期を遂げたビビハニム妃を祀ってある。豪華絢爛なビビハニム・モスクと異なり、こちらは質素で素朴な雰囲気。でも室内の壁の幾何学模様はやはり見事。ビビハニムのものと思われる柩が安置されている。周辺の喧騒とは一線を画していて、とても静か。
11時に近くのシャブ・バザールへ行く。ここは大きなバザールで、生鮮食品や香辛料、洋服、靴、アクセサリー、おもちゃなどなんでも売っている。しばし個人行動。
立ち並ぶ服屋ゾーンのうちの一軒で、素敵な碧い長衣を発見。
ウズベキスタンはイスラム教が主流で、女性はくるぶしまであるスリムなワンピース様の長衣か、同じようなラインの上衣に同じ布のパンツを穿いている。といっても戒律はかなりゆるいのか、半袖で腕をむき出しにしているし、頭部にも何もつけていない。稀におばちゃんなどがスカーフを頭に巻いている程度。この長衣がなかなかエキゾチックで素敵なので、欲しいと思ってたんだよね。
というわけでさっそく値段交渉。店のおばちゃんの言い値は25ドル。こちらの初期値は10ドル。バトル開始。「このスカーフと一緒に12ドル出すから」と口説いてみたり、帰るそぶりをしてみたりで20ドルを割るところまでいったが、それ以上はなかなか難しい。素敵な長衣だけど、20ドルはちょっと高いので諦めて店を出る。
その後旅仲間集合。合流後も服屋をちらちら見つつバザールをぶらぶらするが、やっぱりさっきの碧い長衣を上回る品物は無い。きっとあれは運命の出会いだったんだ。あれを手に入れなければ絶対後悔する。
ということで、みんなにつきあってもらってさっきの服屋へ。店のおばちゃん、さっきのジャパニーズのねーちゃんが、今度は男を伴ってやってきたということで、「この客買う気だ!」と俄然やる気を出し始める。第2ラウンド開始。
いったん本当に店を出てしまったのが効いたのか、値段がさらに下がる。最後にcymをドルに換算する際ちゃっかり端数を切り捨てて、14ドルでお買い上げ。やったね!
お昼ごはんにトマト、リンゴ、桃を買い(二つずつ、全部で1000 cym)、ミネラルウォーターで洗ってその場で食べる。
腹ごしらえもすんで、13時シャーヒズィンダ廟群へ。ここはティムール縁の人々が祀られた霊廟が立ち並ぶサマルカンド有数の聖地。一つ一つの廟が個性的で、美しくて、とても興味深かった。
16時頃にグリ・アミール廟へ(入場料 3800 cym)。ティムールとその息子たちが眠る廟らしい。廟内で公開してある柩はレプリカだそうだが、地下にはレプリカと同じ並びで本当の柩が安置されているらしい。
帰りにコーラと水を購入(1600 cym)。17時半に帰宅。
19時にホテルの夕食。今日のメニューはラグマン。他の日本人バックパッカーと歓談した。
今日の支出:32ドル
2011年6月25日土曜日
8月28日 ブハラからサマルカンドへ
8時起床。まだのどが痛むが、熱は下がったようだ。9時にチェックアウト(30ドル)。オリムにはすごく良くしてもらったので、別れるのが名残惜しい。
ラビハウズでショルパを食べる(5000 cym)。タクシーでバスターミナルへ(3000 cym)。乗り合いタクシーでサマルカンドに出発。
15時回る前にサマルカンド到着。
古代からシルクロードの中心都市として栄えたサマルカンド。13世紀チンギスハーンの侵略により灰燼に帰したが、14世紀ティムールが西トルキスタンを制覇し、サマルカンドを壮麗な「青の都」へと復興させた。ティムール帝国は15世紀の最後の年に滅びるが、サマルカンドはソ連時代の1930年までウズベキスタンの首都だった。
有名なティムール像のところでタクシーを下ろしてもらう(44000 cym)。近くの店でシャシリクを食べる(10000 cym)。
17時ホテルバハディールにチェックイン。ここでは他の日本人のバックパックグループもいた。日本人御用達らしい。
18時、レギスタン広場を散策。ここは三つのメドレセが向かい合うようにして建てられている。「ばかの一つ覚えみたいにメドレセばっかり建てやがって」なんてふざけて話していたが、ひとつひとつ個性的な建造物で興味深い。それでいて見事に調和している様に圧倒される。まさに青の都。
ウルグベク・メドレセ
シェルドル・メドレセ
入り口のアーチに人面や動物が描かれているのが特徴。この人面はCym紙幣のデザインにもなっている。偶像崇拝がご法度のイスラム国家においてあえて人面を描いたのは、戒律をも破る権力を時の支配者が示したかったため、と言われている。しかしその命を受けた建築家が責任を取って自殺した、と言う伝説もある。
ティラカリ・メドレセ
ドームの内側から見る、金貼りの天井の精緻な幾何学模様がすごい。
ウズベク・メドレセの警備員に袖の下(6000 cym)を渡してミナレットに登る。夕闇に沈んでいくサマルカンドが美しい。
19時にホテルに戻り、夕食。ここは朝だけでなく夜も食べられるので良い。おいしいウズベキスタンの家庭料理。
今日の支出:56ドル